第75話 支配魔法

 ドロップが持ってきたのは、ごくごく小さな首輪だった。


「支配の魔法が掛かった首輪よ。首輪を掛けた相手を、掛けられた側は主人と見做す。最初に三つの支配を課すことが出来るわ。定番は『反逆の防止』『命令順守』『報告の義務』ね」


 軽い調子で置かれた首輪に、俺は僅かに動揺を覚える。平然と相手の生殺与奪を握る、という話をされたのだ。


 だが、魔獣を飼う、というのはそれが当たり前の世界らしい。


「ひとまず、それでいい、と思う、よ? 物理的反抗がなければ殺されない。命令が履行されれば利益をもたらす。報告があれば精神的な反抗も防止できる、から」


 アイスの説明に、俺は唸る。


「……その、何だろうな。俺、強くて可愛いペットを飼う、みたいな気持ちでいたから、何と言うか」


「……アイス、その辺りの説明もしてないの?」


「店員さんの役目、だよ」


「脅されて逃げた身だけど、本当にアンタ図太くなったわね」


 ドロップの嫌味ににこやかに微笑み返すアイスだ。これはこれで良い関係なのでは、と俺は思う。


 ドロップは俺に説明し始めた。


「いい? 魔獣は、犬猫と違って、どんなに暴れても人間複数人がいれば何とかなるって生物じゃないの。メタモルドラゴンならさらに、よ」


 強い語調で、ドロップは続ける。


「想像してご覧なさいよ。ドラゴンがウェイドの隙を見て抜け出したとしたらって。もし大暴れしたら何十人が死ぬか分からないわよ? その責任は、ウェイドの命でも贖えない」


「……なるほど」


「メタモルドラゴンは、とくにそういう魔獣よ。人間の姿だからって油断して、主人だけど食べられた、とか、命令が甘くてその辺の人間を勝手に食べた、とか、そういう話はごまんとあるわ」


 ドロップは、鋭い目を俺に向けてくる。


「だから、こういう支配の魔法で強く縛るの。メタモルドラゴン用の基礎命令一覧みたいなのも、確か奥にあったから、メモでおまけに付けてあげる」


「それは助かるな。……それで、肝心のお値段は」


 俺が尋ねると、ドロップは言った。


「大銀貨5枚。かなりの高値だけれど、払える?」


 150万円相当か。


「意外に安いな。買い」


「ちょっとアイス! ウェイド金銭感覚ぶっ壊れてるんだけど! 何があったのよこのスラム生まれに!」


「ウェイドパーティの稼ぎ、すごい、よ……? このくらいじゃ、全然揺らがないくらい」


「……確かに、ドラゴン狩りしてきたらそのくらい儲かるでしょうけど」


 ドロップは、大きくため息を吐く。


「本当に何をどうしたらそんな強くなれるのよ。ドラゴンって。マンティコアでアレだけ必死に戦ったの、まだ数か月前でしょ?」


「懐かしいな。マンティコアか。前にワイバーンに食らわれてたよな」


「マンティコアのおじいちゃん顔、号泣してた、ね」


「うっ。……ちょっとやめてくれる? アレいまだにトラウマなんだからね」


 はぁ、と一息ついて、ドロップは聞いてきた。


「じゃあ、お買い上げで良いのね? 金額が金額だし、後払いでもいいけど、その場合は大銀貨一枚前払いしてもらうわよ」


「金貨しかないけどいいか?」


「……毎度ありがとうございます」


 金貨を渡すと、ドロップはどこからともなく取り出した金貨袋から、大銀貨五枚を取り出した。「お釣りです」と渡してくる。


「助かる。この店気に入ったから、また来るな」


「えぇえぇご贔屓に。とりあえずそこの性悪雪女はもう連れてこないでね」


「ウェイドくんがこの店来るときは、絶対付いてくる、ね」


「塩撒くわよ」


 微笑みと共に正面から殴るアイスと、睨み顔でケンカ腰丸出しのドロップ。俺は面白いなぁと思いながら、支配の首輪を手に取った。


「ちなみに、これサイズとかって大丈夫なのか? 合わなかったらどうすればいい」


「え? 勝手に合うようになるわよ魔法で。というか、実際のサイズなんてどうでもいいしね」


「……というと」


「付けて付けられてっていう儀式が重要だから。一回付けて『支配』を掛ければ、後はいつでも外していいのよ。あ、でも他の誰かに盗まれたらややこしいから、大事に保管なさいね」


「なるほどなぁ」


 俺は首輪を見下ろして、しみじみに考える。


「他に何かある? なければ今からリスト引っ張り出してきて重要情報メモってくるから、待っててもらえるかしら」


「ドロップちゃん、わたしから、いい?」


「……ええ。ですもの」


 この二人何やってもバチるな。


「施錠の確認はした。盗聴もないと確認した。だから、メタモルドラゴンの情報は、ウェイドパーティを除けばドロップちゃんしか知らない。……そういうことで、いい、よね?」


「そうね。もしこの情報が洩れて何か被害があれば、当店に責任があるとみなして問題ないわ」


 意外にも堂々とした態度で、ドロップは認める。アイスはにこにこだ。


「うん。その言葉が聞きたかったんだ……。あ、あとね、もう一つ」


「何よ」


 アイスの微笑みに、鋭さが混じる。


「ウェイドパーティは、ドラゴンを倒すだけの怪物退治パーティじゃない、からね。その少し前には、ナイトファーザーからてる。そのことは、知っておいてね」


 それを聞くと、ドロップの表情は変わった。


「……肝に、銘じておくわ」


 ドラゴン、というある種遠くの脅威より、明確に逆らってはいけない身近な例を出すことで、ドロップはその真剣さを理解した。表情はこわばり、青ざめ、また僅かに震えている。


「おい、アイス。あんまり脅かすなよ」


「ウェイドくん。商人の世界では、こういうのが、思う以上に効果がある、の。武力は、行使するものじゃなく、見せる、もの。その後に発生する紛争を、未然に防ぐ、最良の手段、なんだ、よ?」


 たどたどしい話し方ながら、確信さえこめてアイスは語る。俺はその理解の深さをよくよく理解して「分かった。アイスに任せるよ」ともろ手を挙げた。

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