第68話 狂気の開花:トキシィ
サンドラは、銀等級、というベテランや凄腕が多く属する領域に、訓練所卒業から一年とせずたどり着いた天才だ。
こういう人材は、かなり珍しい。
普通等級と言うのはそう簡単に上がるものではなく、十代の大半は普通鉄のまま。二十台でやっと銅。三十代後半、ないし四十代でやっと銀、そして引退、と言うのが普通だ。
その意味で、十代で銅、というのがまずもって優秀である証になる。
銅等級の冒険者証の持ち主を舐めて掛かる人間はほぼいない。チンピラに銅等級を見せれば『ケンカを売れば無傷では済まない』と判断して退散する。
その意味で、銅はもう『プロ』なのだ。一般人は到底敵わない。
ならば銀は?
結論から言うならば、銀は人間を辞めている。魔法が優れた常人の領域から外れていたり、生身で怪物と渡り歩いて倒してしまったりするような段階に至っていると言っていい。
そしてサンドラは、実のところ訓練所卒業の時点でその領域に届いていた。
生まれた環境が恵まれていたのもあるだろう。各地の複数種類の魔法に長じた祖母。金等級という異常の領域に立っていた両親。そういった、外れた人々を基準に育ったのだ。
だから、強くなるにはどういう人生を歩むか。その内どこで一皮むけるのか、というものを、直観的に理解している節がある。
しかし、ここで直観に頼らず、あえて言葉にするのだとすれば、一皮むけるために必要なのは何か。銀に至るための資質とは何なのか。
サンドラは、こう答える。
「狂気」
―――ワイバーンが咆哮を上げる。未熟な天才一人と、目に『色』を宿し始めた三人が、人間に倒しえない怪物と対峙する。
クレイは叫んだ。
「勝とう! 勝つ! だから、そのための策を考える時間を僕にくれないか。絶対にワイバーンを僕らの手で倒す。そのために、君たちを頼れないか!?」
クレイはいつも余裕で冷静沈着。そういうところに、彼の正気と理性が置かれている。サンドラはそう見て取っていた。だから、サンドラはこう言う窮地が必要だと断じた。
「了解。……やろう、トキシィちゃん。サンドラさん」
アイスはおどおどして自信が足りない。けれど、どこか振る舞いに迷いがなくて、サンドラは一番開花に近いところにいると考えていた。アタリ、と心中で呟く。
「わ、分かった……! やる。やろう。どこまで出来るか、分からないけど」
トキシィはまともで常識人で、そしてどこか演技臭かった。きっと、彼女はもう開花している。だが、それを隠しているのだと。だから隠していられない、あるいは隠さなくていい状況が必要だと。
「まず、あたしが時間を稼ぐ。けど、いずれあたしが取るに足らない存在だと、ワイバーンは気づくよ。その時、みんなが頼りになる。ガンバ」
サンドラは一歩踏み出す。そして、口にした。
「サンダースピード」
サンドラの身体が、雷と化す。
その速度はまさに電光石火だ。サンドラはゆっくりになった時間の中で、それでも主観的に速くなった足で駆け抜ける。
誰よりも前に出て、そのままワイバーンの身体を駆け抜ける。電光石火となったサンドラは壁すら走る。だからワイバーンの身体も、そのままよじ登る。
そして、魔法を解除し、唱えるのだ。
「スパーク」
狙うはワイバーンの瞳。そこに、雷を思い切りぶち当てる。
「グギャァアアアオオオオオオ!」
ワイバーンは痛みよりも驚きにのけぞり、そのまま暴れた。だから電光石火の魔法で素早く退避する。ひとまず視界を奪った。戦闘の前半は、これで問題ない。
「みんな、今、だよ……っ!」
「「「キピッ」」」
アイスの雪だるまたちが、いつの間にかワイバーンの口周りにまとわりついていて、続々のその中に入り込んでいった。なるほど、とサンドラは感心する。
「凍り付か、せる……。アイスブロウ」
「ギャォォオオオオオオオオオオオオオオ!」
ワイバーンは明確に苦しんで暴れ狂った。そしてそのダメージが全部自分に返っていく。ワイバーンは血を吐く。のたうち回り、苦しんでいる。
「アイスちゃんすごい! このまま行けちゃうんじゃない!?」
「トキシィ、油断は禁物。ワイバーンはこの程度じゃ死なない」
「えっ!?」
しかし、ワイバーンは血を流しながら立ち上がった。そして全身を震わせ、熱を帯びていく。
「……だ、め……! 体の中を、凍らせきれない……っ」
そして、ワイバーンは高く飛び上がった。
「ッ! 来る!」
飛翔し、羽ばたく風が荒れ狂う。その中には魔法によってつくられたかまいたちが混ざっている。
その煽りを受けるだけで、メンバーの全員が全身に傷を負った。全員が身を固めてどうにか堪えるしかない。
だが、本当の脅威はここからだ。
サンドラは叫ぶ。
「アイス! 逃げて!」
「―――うんッ!」
アイスは躊躇わずに逃げ出した。そこをめがけて、ワイバーンは強襲してくる。直撃すれば即死の、隕石の様な強襲攻撃。だが、そのままやらせはしない。
「サンダースピード、スパーク」
サンドラは電光石火になって、そのまま高く飛び上がった。そして眼前にいたり、再びその目を潰す。
「グギャッ!」
ワイバーンは怯むも、その巨躯の落下強襲までは阻止できなかった。周囲の土が一気にめくれ上がるほどの威力。それは、走り逃げていたアイスに直撃しないまま、彼女を吹き飛ばした。
「きゃあっ!」
衝撃と土の波状攻撃を受け、アイスは数メートル吹っ飛ばされて転がった。辛うじて動いているが、スタン状態と見て良い。すぐには回避に移れない。
「う、うそっ。ど、どうすれば。クレイッ! まだ思いつかない!?」
「―――……」
クレイは、充血した瞳をギョロリと様々なものに向けて、考えを巡らせているようだった。司令塔としての、彼の戦い。そこには、静かながらも、余人の立入れないすごみがある。
「……う」
トキシィは怯み、サンドラに目を向ける。サンドラは言った。
「トキシィ。何度でも言う。あたしたちは、本来ワイバーンを倒せない。この四人で、倒せない。それを倒そうと、あたしたちは言っている。そのためには、一人残らず、殻を破るしかない。常識を脱ぎ捨てるしかない」
「……ぅ」
トキシィは、震える。そこから窺えるのは、恐怖だ。拒絶の恐怖。排除の恐怖。そして喪失の恐怖。サンドラは、心中で笑う。
何この子。この土壇場で、ワイバーンという脅威じゃなく、友達を失う事しか怖くないんだ。
だから、言った。
「臆さないで。大丈夫。この場のみんな、全員もう狂ってる。だから、トキシィも狂おう? 他の人なんてどうでもいいはず。だってこのパーティは、ウェイドっていう一番ナチュラルに狂った天才が率いるパーティだから」
「……ぁ」
開く。開いていく。
「トキシィ」
サンドラは、微笑みかける。受け入れると、全身で示す。
「狂っててもいい。狂っててもおかしくない。何より、この場で狂わなきゃ、アイスが死ぬ。だから、トキシィの狂気も、見せて欲しい」
「……」
じっと、トキシィはサンドラを見つめていた。ポロリと、彼女は涙を流す。それは次第の量を増やしていき、止められなくなる。
「あ、ああ、やだ。こんなの、こんなの見せたくなかったのにやだ。やだやだやだやだやだ!」
じゃら、と気づくとトキシィの手の平の内に、おびただしい量の丸薬が湧いていた。それを、トキシィはバリボリと貪る。
手の内からそのいくつもがこぼれても気にせず、彼女は夢中になって丸薬を食らい、そして。
「…………………………………あは」
ひどく、恍惚とした顔になった。
「……トキシィ?」
サンドラは想像以上のものが出てきてしまったと、密かに戦慄する。
そのとき、すでにトキシィは眼前にいた。
「っ」
「サンドラ、嬉しい。そう言ってくれて、嬉しいよサンドラ。ありがとう。あはは、ありがとう!」
頬を紅潮させて、トキシィはぎゅっと抱き着いてくる。そしてそのまま何かを手渡してきた。丸薬。飲め、ということか。
「これは」
「対抗薬。今から、ちょっと暴れるから」
「……分かった」
飲む。体には、即座の変調はなかった。
視線を上げると、トキシィは普段からは考えられないようなマイペースさで、全員に薬を配っていた。転んだアイスには飲ませてあげ、クレイは考えを中断せずに身体反応のように飲んだ。
そこで、ワイバーンが咆哮を上げる。それは衝撃波を伴い、地面をえぐりながらトキシィへと迫った。
「トキシィッ!」
「んー? あは」
ワイバーンが放つ横殴りの竜巻を前に、トキシィは笑った。
「遅ーい! あははっ」
トキシィは、離れた場所に立ってぴょんぴょんと跳ねている。サンドラは目を剥いてそれを見る。
「……いつ? いつ移動した? 見えなかった。何をした?」
サンドラの動揺を置いてけぼりに、トキシィは弓を空に向けて放った。
「ポイズン、ミスト――――――――ッ!」
元気いっぱいなその声とは裏腹に、打ち上げられた矢から、大量の、この周辺一帯を飲み込むほどの毒が散布される。
「……なるほど。さっきの対抗薬は、そのため」
降ってきた毒霧を受けて、ワイバーンは明らかに変調した。ぐらりと体をよろめかせ、辛うじて転ばないように踏ん張っている。その様子は、まるで酩酊しているかのようだ。
だがトキシィは止まらない。投薬のタイミングから始まった異様な移動スピードによって、気付けばワイバーンの足元に移動している。
そしてトキシィは、ワイバーンのよだれを垂らして空いている大口に、手を突っ込んだ。
「クレイが出来る限り無害な毒で、とか言ってたけど」
ニヤァと笑う。
「そんなこと言ってる場合じゃないし、いいよねっ」
―――ポイズンリキッド。
トキシィの詠唱を受けて、ワイバーンの口内が毒液であふれた。
「ゴボッ、ギャッ、ゴボボボボ!」
「あはははははっ! 毒でおぼれるドラゴン初めて見た!」
トキシィはケタケタと笑う。サンドラには、どちらが怪物か分からなかった。
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