第69話 狂気の開花:クレイ

 すっかり躁状態になってしまったトキシィは、自らの攻撃に苦しむワイバーンを見て笑う。笑い、笑って、崩れ落ちた。


「……ぅ」


「―――ッ? サンダースピード」


 サンドラは急いでトキシィを回収に動く。そして抱えてから再びサンダースピードで移動して逃げ、その様子を見つめた。


 トキシィは、ボロボロに泣いていた。小さく、「ごめんなさい、ごめんなさい……」と呟いている。


「薬の副作用? ……思ったより十倍くらい危険な狂気で驚き。でも、ナイス狂気だった。今はゆっくり休んで」


 離れた場所に寝かせる。それから、ワイバーンを見やる。


 ワイバーンは、トキシィが注いだ大量の毒で、見るからに弱っていた。全身の穴という穴から血を流し、倒れる寸前という様子で立っている。


「けど、もう一押しが必要」


 サンドラは考える。ここで自らが、ワイバーンに致命打を与えられるか、と。応えは否。サンドラがワイバーンに致命打を与えるには、肉の露出が必要だ。ワイバーンは弱っているが、鉄に帯びた鱗はまだ健在である。


 そこで、声が上がった。


「分かった。最初から、こうすればよかったんだ」


 言ったのはクレイだった。いつもの様な余裕の笑み―――いつも以上に余裕の色が差して、いっそ歪み走った笑みを浮かべる。


 そして言った。


「アイスさん。もう一度ワイバーンを凍らせて欲しい。外と内側のどちらからもだ。そうすれば、僕が鱗を破壊する。その後はサンドラさんに任せるよ」


「で、でも、クレイくん、さっきの攻撃力じゃ……」


 アイスは、トキシィの一暴れの間に、立ち上がれるまでに回復していた。だが、全快とは言えないだろう。


 そんなアイスの提言に、クレイは頷く。


「分かってる。それを含んで、考えた結果だよ。安心して欲しい。……僕も、殻を破るときが来たようだ」


 いつもの様な言葉遣いだが、何処かに吹っ切れたものがあった。それを信じたのか、アイスは首肯して雪だるまを派遣する。


「内側と、外側、両方……!」


 体の割に俊敏にまとわりついた雪だるまたちは、それぞれワイバーンのだらしなく開いた口の中、そして体の各部位にぴょんぴょんと移動する。


 そして、アイスは唱えた。


「アイス、ブロウ……!」


 多量の毒による免疫の低下、エネルギーの喪失も相まって、ワイバーンは明らかにスムーズに凍り付いた。このまま死んでくれれば最高だが、ドラゴンという種族はそういうものではない。


 そして、クレイが動き出す。


「少し、考えたんだ。僕なりに」


 クレイの抱える大槌。そこには、いつかまでは見なかった布が巻かれている。


「僕は凡人だ。ウェイド君に比べたら、それは明らかだった。それでも僕は英雄になりたい。けれど英雄は、凡人には門戸を開いていない」


 その布を、しゅるりとクレイはほどいていく。


「だが、それで諦められるほど、僕も単純な人生は送れていない。僕は宿命のように、運命のように、呪いのように、英雄にならなければならないんだ」


 だから。そう言いながら解かれた布の下には、ルーン文字が書かれている。


 だが、それは、を破っていた。


「だから、僕は開かれていない門戸を、破城槌で叩き壊して、外敵のように侵入してやろうと思ったんだよ」


「……クレイ、くん? あの、ルーンって、三つまでしか入れちゃダメって……」


 そこに書かれていたルーンは、大槌の柄から槌の頭部まで、びっしりとルーンが刻まれていた。


 それがマズイことは、ルーン魔法をまだ聞きかじり程度のサンドラですら分かる。魔法のを破ること。すなわちそれは、法ならぬ魔。魔術。と。


 そして神罰は、都市を容易に滅ぼす。


 だが、クレイは「違うよ」と言った。


「それは、正確な理解ではない。ルーン魔法は『神の文字』だ。文字は、読めなきゃ意味がない。刻まれた文字が法に適切でなくとも、本質的には


 けどね、とクレイは続けた。


「こんなもの、まだ序の口だよ。これはすでにアレクさんと話して、問題ないと判断された分野だ。僕の奥の手の一つではあったけれど、ワイバーンを砕くには、きっとまだ足りない」


 サンドラさん、とクレイはサンドラを呼ぶ。


「君の意図は分かってる。狂気だよね。狂気をこそ、君は求めている。人が普通やらないこと。そこに独自の強さ、常軌を逸した力が宿るのだと、君は考え、そのように僕らを仕向けた」


「……クレイはよく人のことを見てる」


 拍手を返すと、クレイは笑って手を振った。


「要らないよ。僕は僕なりの狂気を証明して、強さを手に入れるだけだ。つまり」


 クレイは、腕をまくる。


。それも神が定めた法を。それこそが僕の狂気だ」


 右手。魔法印が伸びる腕。それを、クレイは晒していた。まだ未熟な魔法印。それは、恐らくこの場の誰よりも育っていないものだろう。


 そこに、クレイは左手を翳す。握られるは、彫刻刀。サンドラは息をのむ。


「まさか」


「そのまさかさ。安心しなよ。トキシィさんの毒と、アイスさんの氷で、時間ならある」


 クレイはサンドラを見る。その瞳孔は、とっくに全開だった。


「神の全ての入れ墨を入れれば、法に触れて乗っ取られる。なら、僕なりに神話を読み解いて、ギリギリまで掘る分には、きっと法には触れることはない」




 そして彫刻刀が、クレイの腕をえぐった。




 血が噴き出る。皮膚をガリガリとはぎ取っていく。だが、クレイは平然と話を続けた。


「僕が似ているとされる神は、ポセイドンだったそうだ。幼い頃海の神として教えられた神だったから、大地も司っているのだと知って驚いたよ」


 話ながらも、クレイの手は止まらない。あるいは、話すことでその痛みを堪えようというのか。


「その内、大地神としての側面が強く出たんだと教えてもらった。光栄なことだね。その話を魔法伝道師から聞かされた時は、僕は天才だと信じられた」


 サンドラは見ていられなくて、視線を逸らす。痛ましいとかじゃなく、ただただ痛々しい。平然と話しながらできるのが信じられない。


「けど、魔法印に祝福をくれる神なんて、結局は関係ない。本人の才能と、努力しかないんだ。僕はもう自分が天才だなんて思えない。けど天才は嬉々として努力を重ねる。努力と本人は気付いていないから、苦しいとも思わない」


 だから。


「だから凡人の僕は、天才―――ウェイド君に追いすがるほどの苦痛でもって彼に追いつく。追い越す。僕が凡人でも、君が天才でも、僕は君には負けない」


 クレイが、彫刻刀を払った。血がこの平原を汚す。その鬼気の迫りように、彫刻刀で掘っていない領域すら、魔法印が成長する。


「ワイバーン」


 クレイは、ワイバーンの足元に立って呼びかけた。


「君は、僕がウェイド君に至るまでの踏み台になってもらおう」


 クレイは、大槌を構える。布を、巻き方を変えて巻き直し、一つルーンをなぞるごとに素早く巻き直して様々なルーンを重ね掛けする。


「『粉砕』のルーンは君を完膚なきまでに砕く。『弱体』のルーンは君の防御を脆くする。『浸透』のルーンは衝撃を君の内側の深く深くまで至らせる。『呪』のルーンは君に逃れえぬ死の運命を宣告する」


 そしてクレイは、布で柄の全てを覆い、大きく振りかぶった。


「ロックハンマー」


 振るわれた大槌が、見る見るうちに巨大な岩を纏った。そして、ワイバーンを打ち砕く。


「ギャァォオオオオオオオオオオオオオ!」


 サンドラは目を剥いた。ワイバーンが、とうとう断末魔の叫びを上げた。クレイの一撃の威力はまるでウェイドもかくやというほど。大槌が、ワイバーンの足を砕く。


 そこで、クレイが精魂尽き果てたとばかり、その場にへたり込んだ。そして叫ぶ。


「サンドラさん! ……後は頼んだよ」


 サンドラは、頷いた。


「任せて。もう、あたしの独壇場」


 ワイバーンはすでに死に体だ。だが、トドメの一撃を譲られたからには、引き受けない選択肢はない。


「サンダースピード」


 サンドラは、電光石火の速度でワイバーンに接近し、そのままの速度を保って一撃蹴りを食らわせた。


 ワイバーンは毒に氷に岩にと叩きのめされて、サンドラの威力に欠けた体術でも、いとも容易く横転した。


「これで、終わり」


 そして横倒しになったワイバーンは、足元に断絶した傷を晒す。つまりは、肉。サンドラの電気の通り道。


 サンドラは、手を振りかざす。


「サンダーボルト」


 バチバチッ、と電気が腕にまとわりつく。それを背後に放ると、そこに電気の奔流がたまる。後はそこに、サンドラの腕が避雷針として誘導すればいいだけ。


「ワイバーン」


 サンドラは言う。


「鱗なしのドラゴンなんて、ただのおっきな鳥と同じ。でも毒で食べられないから、丸焦げにしてあげる」


 太い雷が、空気を裂く。目と耳をふさいだサンドラは、空気の焼け焦げた、独特の臭いを嗅ぐ。


 そうして閃光と轟音が走り去った後、炭化したワイバーンが残っていた。

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