第67話 サンドラ

 サンドラにとって、死は恐ろしいものではなかった。


『サンドラ、生きなさい。己の心の赴くままに、生きなさい。例えその先に破滅と死が待ち構えていようとも、心の赴くままの生であるなら、それ以上のことはないのだから』


 ドラゴンに街を襲われたあの日、とてもにこやかに、優しい笑みを浮かべて父は語った。


『サンドラ。あなたは私たちの子。常人からは、きっと理解されない運命の中にいる。けれど、それを恥じないで。どんなに無謀でもいい。どんなにつらく困難な道でもいい。あなたはあなたというだけで、最高の子よ』


 ドラゴンの卵を売った資金で得た杖を携えて、ひどく温かな微笑みを向けて、母は言った。


 そして、二人はサンドラに背を向けた。その瞬間から、両親の表情は親のそれではなくなった。


 冒険者の狂気の行きつく先。本来熟練の銀の冒険者が、ギルドマスターになるときに名誉職として受け取るばかりの称号。到達しえぬ場所に到達した、壊れた英雄の証。


 金の松明の冒険者証。


 両親の胸元には、その金の松明の冒険者証が、揺れていた。


『さぁ、願ったり叶ったりだな。卵も高値で売れて武器も新調できたし、こんなにたくさんのが釣れた』


『そうね。ああ、堪らないわ。堪らない戦争が始まる。ドラゴン一掃のクエストと、、両方を一挙にクリアできる』


『なぁ、俺たちは死ぬと思うか』


『ええ。今回ばかりは死ぬわ。けれど、これでいい。これ以上の死はありえない』


 両親は、手を取り合って触れるようなキスをした。


『愛している。ずっと、地獄に落ちても』


『私もよ。愛してる。死んでも、決して放してなんかあげないわ』


 そうして、二人はドラゴンに挑みに行った。あるいは、街を滅ぼしに行ったのか。


 結果として、祖母がサンドラを助けに来るまで、サンドラの家だけは安全だった。そして助け出されて家から出た時、サンドラは悟った。


 ああ、お父さんもお母さんも、全てを終えて、これ以上ない幸せな死を迎えたのだ、と。


 ドラゴンと無数の兵士の死体が広がる中心で、お互いを貫き合う真っ黒な二つの死体を見て、そう思った―――











「ウェイド君が速攻でメスのワイバーンを倒してくるだろうから、僕らもそれに負けないようにやろう!」


 ウェイドの側近のように振舞うクレイの呼びかけに、「了解!」とアイスが応答した。そのまま、二人は毒で痺れるワイバーンに向かって突撃していく。


「アイスさんッ!」


「うん……っ! アイスブロウッ」


 アイスの手、そして散った雪だるまの手から放たれる凍える突風は、ワイバーンを四方八方から氷漬けにしていく。


 そこに、クレイが突撃して、大槌を振るった。


「クェイク!」


 振動効果を加えた大槌の一撃は、ワイバーンの胴体ごと大きな亀裂を入れる。サンドラは、「おお」と他人事のように感心した。銅でアレだけの威力を出せる冒険者は、そう居ない。


「クェイク! クェイク! ……くっ」


 だが、その攻撃を連続しているクレイは、表情としてあまり芳しくない。まるで、高すぎる壁を前に、無力に跳ねるばかり。そういう顔だ。


 サンドラは呼びかける。


「焦らなくていい。凍った敵が固いのは当たり前。外皮さえ破壊できれば、あたしが魔法で焼き殺せる」


「……そうだね。僕は土魔法らしく、地道に、努力するよ!」


 クェイク! と叫びながら、クレイはさらに大槌を振り下ろす。粉砕系の攻撃力を持たないアイスや、すでに出来ることを終えてしまったトキシィは、その様子を見守るばかりだ。


「……何か、こうやって見守るばっかりだと、ちょっと申し訳ないね」


「……」


 苦笑するトキシィに、サンドラは、尋ねた。


「何故? 二人ともすでに役目は終えている。ワイバーンを無力化しただけで、普通なら英雄。誇っていい」


「まぁ、普通の基準ならそうだけどね」


 クェイク! とクレイが一心不乱に大槌を振り下ろしている。


「それでもさ」


 トキシィは言った。


「あんなにまっすぐに、強い敵と戦いたい! そのために強くなりたい! ……なーんて無垢な目をしたリーダーを見てると、『こんなのじゃ足りないな』ってなっちゃうんだよ」


 なんてね、と冗談めかして語るトキシィに、「そう」とサンドラは返す。


 それから、冷淡に聞こえすぎたかな、と思って、サンドラは言葉を足した。


「……確かに、このパーティ、思ったよりも居心地がいい。ウェイドがぶっ飛んでるのはそれとして、他のメンバーがそれに甘えてない。凡人の癖に、天才に憧れてる」


「サンドラ、それ褒めれてない」


「褒めてる。天才を目の当たりにして、憧れ続けられる凡人は異常。普通はすぐに折れる。けど、みんなは血眼でそれを追いかけてる」


 サンドラは、頷く。


「その目は、好き。ああやって凡人の癖に天才を真似て無我夢中で大槌を振り下ろしてるのも、天才の補助のために無数に思考を割いて魔法を使ってるのも、狂人の輪の中で常人でいることを貫くのも、身の丈が分かってなくて、冒険者らしくって、好き」


 だから忠告、とサンドラは続けた。


「それでも、ドラゴンは凡人には倒せない」


「―――ッ! く、クレイくんっ! 離れて! だ、ダメ、抑え、られな」


 アイスが突如叫んだのを受けて、クレイは「分かった!」とあまりに素直にその場を離れた。


 それは、きっと凡人の自覚がなせる業。天才と勘違いした凡人には、出来ない芸当。


 だから、で死ぬ人間は、一人もいなかった。


「ギャォォオオオオオオオオオオオオオオ!」


 アイスの凍える突風も、クレイの振動する大槌も、トキシィの麻痺毒も、ものともせず、ワイバーンは立ち上がった。激しく振動し、体に熱をため、ビリビリと衝撃波の様な咆哮を放つ。


 そしてまっすぐにこちらを睨みつけた。この、開けた場所で。敵が誰かがすぐに分かるここで。


「う、嘘……! まずいって、これ」


「は、はは……! 欲張らなくて大正解だ。あのまま攻撃を続けていたら、今頃叩き潰されていたね」


 冷や汗をかきながらも、余裕ぶったことをクレイは言う。


 一方、眉を困らせるのはアイスだ。


「ご、ごめん、ね……! たくさんアイスブロウを撃ったんだけど、毒が切れたらどうしようもなくて……」


「謝らないで、アイスちゃん。それで言ったら、私だってあの毒、もっと効く想定だった」


「僕だってその時間内にワイバーンの外皮を砕けなかったんだ。誰が悪いという話じゃない。僕ら全員が、力不足だった」


 三人は表情をこわばらせながら、健気にも武器を構えている。だがサンドラは断じる。それは無意味であると。


 ワイバーンの薙ぎ払いに対して、三人にできることはない。彼らには防御力がない。だから攻撃を食らえば耐えられずに死ぬ。彼らには機動力がない。だから回避もままならない。


 ワイバーンはずしんと足を踏み出して、こちらに一歩近づいてくる。その視線はまっすぐにサンドラたちを射抜いている。逃がしはしない。まるで、そう言っているかのように。


「これが正しい」


 サンドラは言う。


「ドラゴンは、人に打倒しえない生物。だから人工物に興味を示さない。人間がどれだけの努力と知恵を振り絞っても無駄だから」


「サンドラ、さん……?」


「ドラゴンは、強者の象徴。本来負けない生物。倒せない訳じゃない。倒せる人はいる。居るけど、じゃない」


 サンドラは、一歩踏み出す。


「さ、サンドラ? 何で向かってくの? あ、分かった。また囮になってくれるとか」


「囮をやるのは下策。今回は場所が開けてるのもあって、あたしが囮をやっても逃げるのすら困難。逃げたところでワイバーンは飛んで、空から強襲して終わり」


 サンドラの言葉に、全員の顔が強張る。及び腰になる。


 そこで、サンドラは尋ねていた。


「ねぇ、みんな。ウェイドのこと、好き?」


「……え? さ、サンドラ。こんな状況で聞くことじゃ」


「大切なこと。聞かせて」


 強く言うと、真っ先にアイスが答えた。


「愛してる。ウェイドくん以上に、大切なものなんて、ない。ウェイドくんさえ、幸せならいい」


「おぉ……」


 一番おどおどしているイメージのアイスが断言したので、サンドラはちょっと圧される。


 そこに、クレイが続いた。


「親友だよ。憧れてる。彼がどこまでも強くなるから、僕も並んでやろうと毎日必死さ」


「私だって! ……大好きだよ。私をあんなに温かく迎え入れてくれる人、ウェイドしかいない」


「……愛されてるね」


 なら、とサンドラは続けた。


「四人で、倒そ。あたしたちでは倒せない敵だから、あたしたちで倒そ。どうせ戦うしかないし。死力尽くして、ボコっちゃお」


 そう呼びかけて、怯むものはいなかった。全員の視線の中に、狂気の色が宿る。


 それは身の丈に合わない闘志。常軌を逸した決意。ウェイドの才能と狂気にふさわしいもの。


「ウェイド」


 サンドラは、口の中で小さく呟いた。


「いい仲間持ったね。だから、あたしも手伝ってあげる。―――全員、狂わせておくね。ウェイドの仲間に、ふさわしい目の色にしてあげる」


 サンドラは、微笑する。

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