第57話 偵察
カルルルル……、聞いたことのない類の音が聞こえるようになってきた。
「サンドラ、これ」
「ワイバーンの呼吸音。まだ遠くから聞こえるように思えるかもしれないだろうけど、気を付けて。この呼吸音は、ワイバーンとの距離感を狂わせるためにある」
聞けば、ワイバーンの呼吸音は、至近距離にいても、数百メートル離れていても、音の減衰というものがほとんどないらしい。そしてある境から、ぱたりと聞こえなくなるのだと。
だから慣れていればいるほど、人間に限らず、動物は距離感を見誤って遭遇、捕食されてしまうのだと。
「聞こえた時点から、警戒して。いつ遭遇するか分からないつもりで動いて。弓の冒険者にとって、敵と真正面からぶつかるのは一つの恥」
その言葉にトキシィを見ると、彼女はこくりと頷いた。弓の冒険者は松明とは違う。知恵を使い、優位に立ち、ワナや道具を使って、本来勝ち得ない敵を狩るのだ。
そこから、俺たちの行動は無音だった。会話もせず、サンドラのハンドサインを頼りに行動した。茂みに隠れ、木に登り、時にはなけなしの魔力を絞って数人まとめて浮いたりも。
そうして、今回のターゲットではないモンスターたちの全てを素通りする形で移動すること数時間。
サンドラの足が止まった。
「……」
サンドラは俺たちに振り返る。それから手で、姿勢を低く、あっち、と示され、屈んでその方向を覗き込む。
そこには、他のモンスターをむさぼるワイバーンがいた。
「カルルルル……」
緑のうろこを全身にまとった、十数メートルのドラゴン。その全長は、屈んでいても見上げるほど。皮膜の翼を畳み、爪でモンスターを押さえつけ、尖った口を頭から突っ込んでいる。
恐るべきは、そのモンスターが、かつて遭遇した強敵、マンティコアであったこと。そして呼吸音ばかりがそのままに、音もなく咀嚼していること。
俺たちは、ごくりと唾を飲む。
「捕食中。それなら安全」
そしてあろうことか、サンドラは話し始めた。
「ッ!? さ、サンドラ……?」
「大声出さなきゃ喋っても問題ない。私たちが食事中、周りにハトがいても気にしないのと同じ。ワイバーンは人間を恐れるモンスターじゃない。お腹が減ってたらマズいけど、今は私たち全員よりも食べ甲斐のあるモンスターを食べてる」
俺たちは困惑気味に口を開く。
「そ、そうか……。っていうか、モンスターが粒子にならずに死体のままそこに居るの、何か不思議な感覚だな」
「ダンジョンと森は違う。ダンジョン内のモンスターはいわばダンジョンの一部。死体になれば即座にダンジョンに吸収される。森は他のモンスターが食べて、生態系の中に吸収される」
「そんなもんか……そういえば訓練所の座学でも、そんなこと言ってたな。忘れてた」
「そんなところもチャーミング。だからワイバーンを狩ったら、ちゃんと皮を剥いだり肉を保存したり、色々する必要がある。経験は?」
俺含めた全員が頷く。その辺りの実習作業も、訓練所でやらされた。
あのときは割と多くの訓練生がダウンしていた思い出がある。アイスくらいのものだ、慣れていたのは。
「クレイは実習の時、顔真っ青だったよな。逆にアイスは何でかメチャクチャうまかった」
「そんな昔のことは忘れたね」
「お、お父さんの商売がうまくいかない時、家畜を自前で捌いたり、みたいなこと、させられてたから……」
俺がからかうと、クレイはわざとらしく肩を竦めた。一方アイスは照れ照れだ。
「いいなぁ~同期組は。思い出たくさんあって」
「拗ねるなよ。トキシィも、サンドラも、これから思い出を作っていこう。―――とりあえずは、ワイバーン狩りとかな」
俺が笑いかけると、トキシィは「そだね」と相好を崩し、サンドラは目をパチクリとさせる。
「ウェイド」
「ん? どうかしたか?」
「どれだけあたしのこと惚れさせるつもり?」
「それはちょっとちょろ過ぎじゃないか?」
という会話をしたところで、俺たちはいい具合まで緊張のほぐれを感じてくる。
「よし、切り替えよう」
俺は全員に呼びかけた。全員が押し黙る。
「再確認だ。今回は、ワイバーン狩りの前調査として様子を見に来ている。狩りにあたって、欲しい情報を揃えるのが今回の目的だ」
それぞれが頷く。俺はクレイを見る。
「調査の前準備として、僕らが欲しい情報は、『食性』『防御力』『毒耐性』『警戒心』『感電耐性』だったね」
「その内『食性』『警戒心』は分かったな。残りは『防御力』『毒耐性』『感電耐性』か」
つまり、仕掛ける気満々、ということだった。
「……俺が大人しくしてたら、反比例するじゃんみんなの闘争心」
「うぇ、ウェイドくんがメインで戦うとき、役立たずなのは嫌、だから……っ」
顔を紅潮させて精一杯訴えてくるアイスだ。
ちなみにアイスは『防御力』は挙げておきながら『攻撃力』は挙げなかったあたり、何と言うか『攻撃なんて食らう前提でモノは考えないよね?』みたいな本音が見えた。
残るは毒、感電の耐性という事だったが、これは誰が言い出したかは考えるまでもないだろう。
「じゃあ、早速やるね?」
言いながら、トキシィは棒状のモノを取り出した。そして口にくわえる。それ吹き矢か。弓矢だけじゃないのかトキシィ。
そして流れるようなスムーズさで、毒矢をワイバーンが食べ途中の肉に混入させた。
「食べたね。無味無臭だから気づかずに効果が確認できるよ。即効性だから、大体1、2分」
言われて、待つ。すると、ワイバーンは僅かに体にふらつきを見せた。
「ちょっとふらつく程度ね。なるほど……。おっけ、倒すのにどれくらいの毒が必要なのか分かったよ」
こんなすぐに判明するのか。流石トキシィというか、毒に対する知識の深さがえげつない。
「じゃあ、満を持してあたしの番」
サンドラは言って立ち上がる。一応、まだバレないように木の裏だ。
「限界までバチバチやって、身動き取れないようにしたら呼ぶ。そしたら氷ちゃんと土くんでボコボコにして、あの鱗がどれだ―――」
ぴた、とサンドラが言葉を止める。何だ? と俺たちは首を傾げる。
「ごめん、みんな」
サンドラは、冷や汗を垂らしながら言った。
「まさかまさかだった。油断した」
「え、何だよ。どういう」
不意に殺気を感じて、俺たちは空を見上げた。
そこには、俺たちが見ていたのとは、別のワイバーンが飛んでいた。
「ワイバーンが番いの可能性、抜けてた」
「グルギャォォオオオオオオオオオ!」
「サンダーボルト」
サンドラの周囲で、激しく電気の音が弾ける。彼女が手を挙げると、そこから小さな電気が立ち上り、俺たちの頭上に局所的な暗雲を発生させる。
「あたしが囮になる。みんなは逃げて」
輝き、轟音。ほとんど同時に襲い来たそれが、飛翔するワイバーンを貫いた。
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