第2話 前世の記憶

 ノロマ魔法を伝授されたその日、俺は周囲の声が何も聞こえないくらい憔悴していたらしい。


 気づいたら床に入っていて、ものすごく嫌な夢を見ていたように思う。ずっとうなされていた。本当に嫌な夢だった。


 夢の中で、俺は社畜と呼ばれる存在だった。こちらの世界で言うところの奴隷だ。毎日電車という奴隷船に自主的に箱詰めになり、会社と呼ばれる建物内で夜が明けるまでパソコンという箱に向かい合う。


 その疲れが祟って、夢の中で俺は倒れ伏した。そして気が遠くなっていき、俺は現実で目覚めた。


 そして呟く。


「……俺、異世界転生してたのか……」


 してたらしい。今知った。前世の名前とか思い出せないが、してた。


「実感ねぇ~……」


 何だか記憶を取り戻す前よりもカジュアルになった口調に自分で違和感を覚えながら、俺は床から起き上がった。起床時間ではないが、自主的な朝練は許可されている。


 俺は運動場に出て、自分の模造刀を手に剣の練習台の前に立った。案山子みたいな奴だ。いつもの通り、ボコスカ模造刀で練習台をタコ殴りにする。


 しかし、ジュウリョク魔法とは、昨日は実についてなかった。自分の動きをスローにするだけの魔法なんて、と思う。


 そこで、何か違和感を覚えて、俺は止まった。ジュウリョク魔法? 自分の動きがスローになる?


「……ジュウリョク魔法って、重力魔法ってことか?」


 え? と俺は止まる。いやいやいや。そんなまさか。何でマンガとかで最強格が使ってるような重力系の魔法が、ノロマ魔法だなんて呼ばれてバカにされてるんだよ。


 俺は右手を見る。右手には伝道師に刻まれた文様と、中心にニュートンという神の名前。ニュートンて。万有引力ってことなのだろうか。確かに偉人が全員神扱いでいいなら、ニュートン以上に重力を司る神なんていないだろうが。


「ちょっと、試してみるか」


 俺は右手の甲の文様―――魔法印をなぞり、今使える魔法を表示させた。魔法だか神の力だかで、手から浮かび上がるのだ。


 魔法、と言っても、いきなりイメージ力でその魔法にまつわるすべての魔法が使えるわけではない。炎魔法なら最初はファイアボールしか出せないように、右手の魔法印を成長させていく必要がある。


 そしてその成長とはつまり本人の成長という事で、戦ったり、何か上達したり、と経験を積むことで魔法印が成長し、新しい魔法を覚えるのだ、ということなのだという。


 ……まるでゲームみたいだな。


 ともあれ、俺は重力の魔法印を浮かび上がらせて、たった一つ使える魔法の名前を見た。


「加重、か」


 何となく予想が付きつつも、俺は練習台に剣を構えながら、魔法を唱えた。


「ウェイトアップ!」


 直後、俺は自分の魔法によってかけられた、数人分の重みに押しつぶされた。


 ぐしゃっと。






 思うに、この世界にはまだ重力の概念がないのかもしれない。


 そう気づいたのは、食堂で朝食を摂りながらのことだった。今日もおばちゃんが容赦なく盛るので、ものすごい勢いでかき込みながらの考えだ。


 前世の記憶を取り戻す前、俺はジュウリョクが重力だと気づけなかった。というか、シンプルに知らなかった。


 そもそも義務教育なんて存在すらしないような世界だ。見事に中世ヨーロッパ風。貴族層は知っててもおかしくないが、こんな市井オブ市井みたいな人間はもちろん知らない。


 しかも最初の魔法が加重というのが良くない。重力が何か分からない人間が初っ端でワクワクしながら発動させたら体が重くなるとか絶望以外の何物でもないだろう。


 そう考えながらモグモグしていると、横にドンと腰を落ち着ける奴がいた。


「よおウェイドくん! 今日は良い朝だなぁ!? そう思うだろ?」


 昨日炎魔法を伝授されていたフレインだった。俺はあまりにうざくってとても嫌な顔をする。


「ギャッハッハ! おいおいそんなしょぼくれた顔するなって! 昨日はめでたい魔法伝授の日じゃないか、なぁ! オレたち成績優秀者組から魔法を伝授してもらってよ!」


「……」


 俺は無視してご飯を食べ続ける。


「これから他の同期たちもぞろぞろと魔法を伝授されていくんだろうな? それで、良い魔法を伝授された奴がドンドン上に登っていくわけだ! それで? ウェイドくんはどんな魔法だったかな?」


「……重力魔法だ」


「え! じ、ジュウリョク魔法だって!? あのノロマ魔法と有名な!?」


 フレインが叫ぶことで、周囲の視線が俺に集まる。俺の魔法を知らなかったような連中も、俺の魔法を知って「マジかよ……あのウェイドが」「こりゃ卒業時に貰える冒険者証も、銅スタートは無理かもな」と言い始める。


 ウゼェ……。


「おいおいおい! これからどうするんだ!? 最優秀成績者で、どんな課題も涼しい顔して切り抜けてきたウェイドくん! こんな時でも涼しい顔を保てるか!?」


 ひとしきり言って、フレインは爆笑を始めた。俺は流石にうんざりして、「なぁフレイン」と奴を呼ぶ。


「目の上のたんこぶがいなくなって嬉しいのは分かるが、正直そんなことしてる暇なんてないだろ。冒険者になったら死と隣り合わせなんだぞ? つまらないこと気にするなよ」


「……あ?」


 フレインはギリ……と歯ぎしりをして、拳を固めた。殴ってくるのは見えていたから、初動で俺は、フレインの手首を掴んで制止する。


「今は飯時だろ。やめとけよ」


「―――――ッ!」


 フレインは俺の手を振り払って立ち上がった。まるで俺を親の仇のように睨んで、奴は言う。


「おい、ウェイド。明後日の魔法アリの模擬戦、オレとやろうぜ。まさか、逃げるなんて言わねぇだろ?」


「……」


 別に逃げたと言われても何も感じないので、付き合う必要はないのだが。


 こういう誘いには、確かにちょっと、弱い。


「分かった、やろう。明後日な」


「は。クソ生意気野郎が……! 明後日、楽しみにしてろ。炎魔法でボコしてやんよ」


「ああ」


 フレインはどこか満足そうに飯のプレートを持ち上げて、遠ざかって行った。俺はすぐに奴の背中から視線を外して、残り少なくなった時間で一心不乱に飯を詰め込む。










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