Epi91 お嬢の考え方に変化が
箱根町港で下船し少し歩いて箱根関所へ。
もちろんしっかり腕組んで恋人繋ぎは定番だ。
「当時を再現したんだって?」
「らしいけど、あんまり興味無いんだよね」
「歴女、では無いか」
「なに? 直輝って歴史好きなの?」
特別好きじゃないけど、人並みには興味あるしなあ。
「少しは興味あるぞ」
「じゃあ楽しめるかもね」
七五号を歩き関所通りに入ると、両側には土産物屋とか飲食店が少し。
箱根関所見学券売り場が左手にある。そこでチケットを買って中に入る。
上番休息所や足軽番所に獄屋なんかを外から見て、ついでに階段を上り遠見番所も見て回る。
「それなりに見晴らしがいいな」
「楽しい?」
「まあ、来たこと無かったし」
「直輝って、学生時代ほんとにバイトしかしてなかったの?」
当然だ。食うだけで精いっぱい。遊ぶ暇なんて微塵も無かった。学業と仕事の両立はできず仕事偏重だったしなあ。そのせいで卒業も危ぶまれたけど、まあそっちはなんとかなった。代わりに就活は全滅の憂き目に遭ってる。
「ってことだ」
「あたしって、恵まれてるのかな」
「まあ、それは否定できない」
「前に言ったよね。極貧生活体験って」
言ったなあ。金で苦労したことの無い人には、一度経験してありがたみや苦労を知った方がいい、そう思ってた。
「してみたいとか?」
「うん。直輝が経験してること、あたしも経験してみたい」
「無理しなくていいぞ」
「でも、直輝のこと、たぶん知ることができると思う」
どうして俺が卑屈で身分差を気にするのか。今の葉月には理解が及ばないそうだ。
いくら聞かされても、その辛さは経験しなければ他人事でしかない。対岸の火事程度の話で実感できないらしい。
「それはそうだろうな」
「だからね、その、おんぼろアパート? 少し体験」
体験はいいと思う。底辺を知ることも勉強になるし。貧困問題を考える切っ掛けになるからな。
実際経験しない連中じゃ、いくら口で説明しても理解しないし、どこに支援する必要性があるかもわからんだろうな。単に金をくれてやれば解決するか、と言えばそういうわけじゃない。金で解決する程度なら貧困なんて、とっくに片付いてるだろう。
毎年寄付金を集めて子どもの支援をしても、一向に解決して無いんだからな。
「じゃあ、大学に入ってから体験するといい」
「今は?」
「受験勉強はどうした?」
「あ、そうか」
やるからには腹を括れと言っておく。曽我部の金を一切当てにせず、バイト代だけで生計を維持する。食うものだって贅沢言ってられない。住むところも雨漏りや騒音も当たり前。快適な生活なんて望むべくもない。
夏はくそ暑く冬は凍える程に寒い。
「三日で音を上げると思うぞ」
「でも、直輝はそんな生活ずっとしてきた」
「してきた、と言うよりそれしか無かったからな」
欲しい、ってだけじゃなく、俺を知りたい、か。考え方も少し変わったか?
相手のことも考えるようになった、ってことかもな。いい傾向だと思う。自分の気持ちを一方的に押し付けて、愛してくれ、じゃ無理がある。相手を理解してその上で互いの気持ちを近付ける。
ちゃんと考えてるじゃないか。
だったらこっちもきちんと向き合う必要があるよな。
関所を見終えると箱根町港に戻り、海賊船に乗り元箱根港へ。
下船して再び腕を組んで暫し散歩気分で、箱根神社に向かう。神社でお参りを済ませると元箱根港まで戻り桃源台へ。
「昼飯はどうする?」
「どこでもいいよ」
「どこでも、ねえ」
桃源台駅にあるレストランでもいいのか? と聞いてみると。
「そこでいい」
だそうだ。
庶民的な店だろうから、葉月の口に合うかは知らない。俺には問題無いけどな。むしろ学生時代から見ればご馳走の類だ。
桃源台に着くとレストランに行き、何を食うのかと思ったら。
「メニュー豊富」
「まあそうかもな」
「どれも美味しそうに見えるけど」
「口に合うかは別だな」
普段食ってるものが高級品ばかり。低単価の食材だからなあ、深い味わいとか期待すると不味いってなるぞ。
「カツカレー食べてみたい」
「いいのか? 胃がもたれるぞ」
「食べてみたい」
まあいいか。食えないとなったら俺が食えばいい。
「席に座って待ってればいいの?」
「セルフだよ。自分で注文してカウンターで受け取って、自分で席に運ぶ」
「そうなんだ」
上げ膳据え膳じゃないからな。こういう場所は。
やり方だけ教えて自分でやらせると、逆に楽しそうだな、おい。
「こういうのもいいね」
「そうか?」
「直輝と居るといろんな経験できる」
それは庶民が普通にやってることだけどな。やっぱり住む世界が違う。それでも理解して歩み寄る姿勢が出たのはいい。
以前より葉月を身近に感じられるし、向き合ってやろうって気にもなれる。もちろん葉月の気持ちを汲んで向き合いたいと思うし。
花奈さんのこともあるけど、これ、マジで悩むことになりそうだ。
でだ、案の定、カツカレーなんて庶民的な食い物は、胃の負担が大きかったようで、カツの半分はしっかり残ってるし。
「食べるの?」
「勿体無いからな」
学生時代のご馳走だ。食えないわけが無い。俺の味覚にマッチしてるし。
しっかり平らげると、これで今回の旅行も終わりだ。
「じゃあ、帰るか」
「もっと一緒に旅行していたいけど」
「まあその辺はあれだ、大学生になったらってことで」
帰りの車内では途中まで起きていて、いろいろ話をしていたが、いつの間にか静かになっていて、すっかり寝入っていたようだ。
俺も寝たいけど無理だ。寝たらふたりして墓場直行だからな。
途中ガススタンドに寄って満タンにしておく。
「葉月。着いたぞ」
寝てる葉月を起こし車から降ろしてガレージに仕舞い込む。
部屋に入るとまずは片付けだ。
「仕事?」
「そうだ。帰ってきたら執事の仕事時間だからな」
「なんか……ありがと」
礼を言われたのって初めてかも。
「一日くらい放っておいてもいいのに」
「それやると、毎回そうなってくる。習慣付けは大事だ」
バッグから葉月と俺の服やら下着を取り出し、着ていたジャケットやコートは、衣裳部屋に掛けておく。
片付けが済めばあとは洗濯。終わり次第部屋の掃除もしておこう。
一泊だけだったが、それでも部屋の中の空気って違うもんだな。
「直輝」
「なんだ?」
抱き着いてきてキスしてるし。
唇が離れると、じっと見つめてくる。可愛らしいな、葉月。
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