Epi85 執事はクビになるのか

 こんな形でクビかよ。

 なんか人生詰んだ気分だ。

 つい腹が立って制圧しちゃったし。相手は御曹司だし。言い付けられたら俺が終わりだ。

 今も尚、残り続ける身分制度。表向きは平等を謳っても現実は、抗い難い身分の差がある。そして貧乏人にすべてのしわ寄せがきて、悪いのは金の無い奴になる。金のある奴はいつでも正しく、誰もがそれを信じる。

 日本って、マジ腐ってる。


 項垂れて会場へ戻ると、葉月と旦那様を取り囲む集団の視線が集まる。


「なお……どうしたの、それ!」

「え?」

「唇切れてる」

「マジ?」


 最初に葉月が気付き傍に来て心配そうに俺を見てる。

 唇切れてたんだ。殴られた時に切れたんだろう。大したことは無いし、こんなのはさすがにかすり傷だし、心配無用と伝えると。

 旦那様が何やら言ってる。


「金塚の子息か?」

「え、まあ」


 それだけ確認して会場内を見回し、一目散に誰かに向かって行く旦那様だ。


「何があったの?」

「少々文句を言われただけだ」

「文句で怪我しないでしょ」

「こんなの怪我のうちに入らん」


 あ、だからさあ、葉月のハンカチで口元拭わなくても。それ逆に痛いんだってば。

 ハンカチ、それ洗うの俺。血が付くと取れないんだよね。

 それにしても、そんな心配そうに見なくても。


「直輝。本当に何があったの?」

「文句言われただけ」

「嘘。殴られたんだ」

「手が当たっただけだ」


 許せないとか言ってる。でだ、そうなると葉月も会場内を見回し、旦那様を見付けると、その相手も誰かがわかったらしく、同じように一目散に向かってるし。

 相変わらず怒り心頭だとガニ股になるんだな。お淑やかさを忘れちゃ駄目だっての。


「向後君。殴られてそのままかな?」

「いえ。二度殴ろうとしてきたので制圧してます」

「こっちから先に手は出してない?」

「出してません。殴られっ放しだと嫌なので、制圧したまでです」


 少し安堵する蓮見さんが居る。

 そのまま、俺から離れてどうやら揉めてそうな、旦那様のもとへ向かったようだ。

 俺、本来被害者。完全に蚊帳の外だけど。


「あの、執事様」

「はい?」


 さっき群がってたお嬢様だ。


「お怪我は大丈夫ですの?」

「問題ありません」

「暴力で解決など相応しくありませんね。どなたです?」

「あ、それは旦那様から」


 俺から言う気は無い。心証が悪くなるだろ。ただでさえ最底辺なんだから。

 こういう時は地位と名誉のある人が、きちんと説明した方がいい。

 でさあ、やっぱ数人の女性に囲まれてる。


「執事様。お名前は?」

「私ですか?」

「他に誰がいらして?」


 名刺を渡すとなんか嬉しそうな。なんだこれ。


「私、雑賀まりあ、と申します。これからもよろしくお願いしますね」

「あ、抜け駆けはよろしくありませんよ」

「抜け駆けも何も、向後様は葉月お嬢様と婚約するのでしょう?」

「それでもですよ」


 おい、なんで女の戦いが始まってる?

 数人が名刺を欲しがり、名乗りを上げて行く。なあ、俺、どうなってんの?


 暫しお嬢様連中の相手をしていると、旦那様一行が戻ってきた。


「話しは通した」

「許せないから慰謝料五億請求した」

「いえ、それは無しですよ。お嬢様」


 周りにお嬢様連中が居ることから、あとで詳細は話すことになった。

 俺の言い分はまだ聞いてもらって無いけど、蓮見さんに軽く話はしてあるから、それ以上話しても無駄だろう。金持ちと貧乏人なら貧乏人が悪いのが世の常だ。

 葉月だけが憤慨して心配してくれてる。それだけは救いだな。


 騒動はあったものの、パーティーは無事に終了し屋敷に戻ると、旦那様から呼び出しを受ける。

 部屋ではなく応接室だ。


「座って」

「はい」


 向き合って座ると早速切り出してきた。


「今日のことだが」


 まず葉月の件。そして暴行事件。


「葉月の件はとりあえず丸く収まってる」

「申し訳ありません。抑えきれませんでした」

「それを咎める気は無い」


 じゃじゃ馬娘だから、いつかはこうなると予想はしてたそうで。ゆえに蓮見さんが気を利かせるのも早かったそうだ。

 あれを止めるのは蓮見さんでも無理だと。ゆえに誰も咎めることはできず、むしろ旦那様の育て方が悪かったと。その件では迷惑掛けたと謝罪された。いやいや、俺如きに頭下げてどうするの。

 諸岡さんしかアレを制御できないとか。どんだけじゃじゃ馬なんだよ。って言うか、諸岡さんはさすがだ。葉月を完全制御できるんだからな。


「暴行事件だが」

「はい。如何なる処分も受け入れるしかありません」

「いや、そうじゃなくてだな」

「商社の御曹司に暴行したのは事実です」


 相手と話しをして後日正式に謝罪を受ける手はずだとか。

 なんで?


「あの子息だが、まあ、周囲の評判はね、推して知るべしって奴だ」

「はあ」

「葉月にもちょっかい掛けてたが、他にもね、何人かちょっかい掛けてて」


 気の多さゆえの浮気性で他人をあまり顧みない。増長し過ぎて両親も手に負えない存在だったと。だが、俺への暴行により警察沙汰になるくらいなら、平身低頭謝らせることで手を打ったと。

 反省するかは不明だが、まだ若いこともあり再起の道は閉ざしたくないと。

 不祥事が公になると向こうも都合が悪いから、内々に済ませる。代わりに今後一切葉月と俺に関わらせないと、約束させたそうだ。


「あの、クビには?」

「なんでだ? 向後君をクビにする理由は無いだろ」


 先に手を出して来て、一方的に詰問して曽我部の顔に泥を塗ったのは、向こうなのだからだと。

 本来ならばあらゆる手段を駆使して、子息を十年くらい刑務所にぶち込んでおきたいとか。それだと哀れすぎるからと、蓮見さんが妥協案を提示したらしい。


「総合商社と言っても近年業績は少々悪くなってるからね」


 曽我部が買収して経営陣を刷新する、と言って脅したら泣きが入ったそうだ。

 力の差がありすぎるんだ。


「先に手を出さなかった。ならば充分執事として心得ている」


 だから問題は無いと。


「その調子で葉月を頼むよ」


 当然、性交も好きなようにしてくれて構わないと。いや、やらんぞ。そこは線引きしておきたい。


「葉月も望んでるしなあ」


 だから、ないんだってば。いくら望まれても、その一線を超えると俺が窮地に陥る。花奈さんとの結婚も不可能になるし、幸せな家庭を築く目標が。


「あ、妊娠したら婚姻はしてくれよ。孫の顔も早く見たいものだし」


 気が早いっての。ってか生ってことじゃん。

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