Epi75 お嬢様を背負って下山

「テーブルに突っ伏してるのって、描いててどうなんだ?」


 変態メガネに聞いてみた。


「どうもこうも、これはこれで面白いです」

「そうか。変態メガネ……香央梨は疲れてないのか?」


 手が止まり俺をじっと見つめてきた。


「名前、じゃなくていいです。変態メガネで」

「いや、なんか年頃の女子に悪いだろ。やっぱ」

「自覚あるんで。あと名前で呼ばれると本気になっちゃいます」


 本気って、あれだよな。好かれてる気はしてたけど、こいつまで本気になると、さすがに俺の手に負えない状況になる。でもなあ。

 こいつが一番、俺に近い。葉月や美桜ちゃんには距離感がある。お嬢様すぎて。馴染み易さはたぶん香央梨だ。変態だけどな。それも芸術を極めてるなら、まあ気にする必要もない部分かもしれないし。


「でもひとりだけ名前で呼ばないのも」

「じゃあ本気で迫ります」

「いや、でも葉月も居て美桜ちゃんも居て、それに俺には」

「メイドさんですよね。聞いてますよ」


 それでも本気で迫る、とか言ってる。

 花奈さんのことは葉月がいろいろ言ってるそうだ。


「あ、それでですね」

「なんだ?」

「抱いてください」

「は?」


 一度経験しておきたいと。相手として申し分ないし、知ることで表現の幅が広がるとか。ただの処女の小娘が描く絵画と、きちんと経験した女性の描く絵画。明確に表現に違いが出ると思ってるらしい。


「無いだろ」

「あります。官能的な絵を描く画家は女好きです。経験もあるでしょう。だからより官能的になるんです」


 ただの妄想ではない、経験に裏打ちされた描写だと。


「お願いですから、一度でいいので」

「いや、でも」

「メイドたんですか? 葉月たんですか? 堂々と芸術のためにひと肌脱いだ、でいいじゃないですか」


 あかん。やっぱ葉月と同類。一度、こうと思うと猪突する性格だ。

 とは言え、表情は真剣そのもの。しっかり俺を見据えて、その視線が揺らぐ気配も無い。本気だってのはわかったけど、こいつだってお嬢様だ。俺が手を出していいわけ無いだろ。傷物にしたとか言われて、訴えられでもしたらどうするよ。

 となれば。


「条件を」

「なんですか?」

「両親の許可を得ること」


 固まったか。

 土台、無理な話だ。住んでる世界が違うんだよ。極貧の俺とお嬢様だとな。今でこそ執事なんて身分はあるが、出自はお粗末極まりない。不釣り合いにも程があるって奴だ。これはこの三人に共通する。

 地位と名誉のある奴。出自も誇れるような奴こそが相応しい。


「じゃあ、取れたら」

「その時は考える」

「考えるじゃなく確約してください」


 無理だろ。こんなどこの馬の骨に処女をくれてやる、なんて。と考えれば確約しても問題は無いか。


「わかった。その時は」

「じゃあ相談します。絶対抱いてください。直輝たんの滾る熱き欲棒をねじ込んでください」


 欲望、じゃなくてなんか、棒って感じに聞こえた。

 許可なんてするわけ無いだろう。ただ、嘘やごまかしがあると拙いから。


「俺の出自はしっかり伝えろよ。貧乏な家庭に生まれて貧乏生活。就活は全滅。女性とろくに付き合った経験も無い。運よく曽我部家に拾われただけの、能無しだって」

「なんでそんなに卑下してるんです?」

「事実だからだよ」

「曽我部家に来た、それだけで誇れると思います。葉月たんに惚れられたのも、誇るべきだと思います」


 どれだけ身分があっても、御曹司だろうとイケメンだろうと、葉月が好きだと言った相手は居なかったそうだ。そんな葉月が本気で惚れた相手。自分では気付けない魅力があればこそだとか言ってる。

 ねえだろ。そんなもん。周りに居なかった、だから物珍しさからの勘違いだ。


「だろ?」

「違います」

「違わない」


 とにかく許可を取ることで同意した。許可が出るなんて思って無いからな。その時に理解するだろうよ。能無しはどこまで行っても能無しなんだって。一時的に舞い上がって正しくものを見られないだけだ。


 それにしても、金持ちと貧乏人に接点は無い。無いからこそ勘違いするんだって、気付いた方がいいんだけどなあ。来るべき時のために大事に取っておけっての。


 ふたりが目覚めると下山する準備をする。


「熟睡してただろ」

「直輝。帰りはおんぶで」

「アホか」

「足が棒。直輝の棒は大歓迎だけど」


 やらんぞ。


 そして帰りは行きと違い、ひたすら階段を下る。これが相当しんどいのか、美桜ちゃんが限界を迎えたみたいだ。足を挫いて蹲ってる。


「歩くのは無理そうか?」

「少し休めば」

「なんかせっかくの誕生日が台無しになって、悪かった」

「そんなこと無いです。楽しいです」


 帰る時間が遅くなってもあれだ。ここは緊急と言うことで。


「美桜ちゃん。俺がおぶってもいいか?」

「え?」

「しんどいだろ? 怪我して悪化したら申し訳立たん」

「でも」


 葉月が羨ましそうだ。この時ばかりは自分の頑丈さに、悔しさいっぱいって感じだな。


「もっと軟弱だったら」

「軟弱な葉月は葉月じゃ無いな」


 リュックを前に抱え、遠慮する美桜ちゃんを背負ってみると。


「なんか恥ずかしいです」

「でも、無理はさせられないから」


 ぎゅっと俺に抱き着く美桜ちゃんだ。細身なだけあって軽い。葉月は重そうだ。胸も尻もでかいからな。

 それにしてもさすがにふたり分の荷物、そして美桜ちゃんを背負ってると、かなり脚に来るな。まあ、耐えられるだろうけど。幼い頃から海で泳いで野山を駆けまわてった。体力にはそれなりに自信があるし。


「直輝」

「なんだよ」

「荷物あたしが背負うから、抱っこして欲しいな」

「アホか。ふたりも抱えられるかっての」


 俺の体格を考えろ。屈強な男だってふたり抱えたら地獄だろ。

 隣でぶつぶつ文句を言う葉月だが知らん。その健脚でしっかり下山しろ。


「うふふたん。いいなあ」

「恥ずかしいですよ」

「でも、密着」

「それは、とても嬉しいんですけど」


 嬉しいのか。恥ずかしいと言いながらも。

 途中休みながらも下山して、足腰がガタガタの状態でも車まで戻れた。幼少期から鍛えていて良かったぞ、俺。

 少しはいい所を見せられただろうし。


 帰りの車中では三人とも寝てるし。静かすぎて運転してる俺も眠くなるけど、ここで寝たら大惨事だからな。少しの気の緩みも許されん。

 きっついなあ。


 その後、各自の家に送り届け屋敷に戻った。


「葉月、起きろ」


 くっそ、こいつも起きねえ。

 仕方なく抱っこして部屋に。

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