Epi28 お嬢と腹を割って話す

 明日予定を聞いて、屋敷に来てもらう日取りを決めておくそうだ。

 天下の曽我部家にお呼ばれとなると、訪問したがるお嬢様は多いらしい。


「曽我部家ってそんなに凄いのか?」

「あたしも知らない。でも名前出すとみんな目付き変わる」


 家柄のことには無関心なんだな。旦那がどんな仕事をしてるのか、それも知らないのか?


「知らない。いつも忙しそうだけど」

「あんな屋敷に住んでるんだから、どこかの大企業とか、複合コンツェルンだとか、そう思わないのか?」

「どうでもいいし。今は向後が振り向いてくれれば、それでいいし」


 ねえぞ。

 あ、そうだ。こういうお嬢には、貧乏生活を経験させるのもいいかも。極貧ってのがどんなものかなんて、まったく知らないだろうし。雨風が辛うじて凌げるおんぼろ家屋。床が抜けそうだったり、トイレのタンクが落ちてきそうだったり、クソが流れなかったり。

 銭湯を経験してもいいだろ。


「どうだ? そういう生活」

「向後って、そういう生活だったの?」

「そうだ。貧しさゆえに爪に火を点す様な生活だ」

「なんで貧乏だったの?」


 なんでと言われてもなあ。俺の親父の稼ぎが悪いからだろうし。それでも必死に働いていたと思う。東京の大学に来て、仕送りが必要になって、母ちゃんも必死こいて働いただろうし。


「旦那様みたいな才覚に恵まれなかった、としか言いようがないな」

「ふーん。でも、向後って物知りだよね」

「こんなんでも大学は出てるからな。で、極貧生活してみるか?」

「ちょっと興味あるかも」


 興味本位で生活なんてできないからな。甘くない。煎餅布団に冬の寒さと言ったら。床から冷気が伝わって、布団に包まっていても底冷えする。室内なのに氷が張る。生活騒音は筒抜け。もちろん傍の道路をトラックが走ろうものなら、部屋が振動して地震と勘違いする。台風なんて来ようものなら、窓も壁もなんなら床も振動するし。窓なんて割れそうだ。

 電気ストーブとコタツで暖を取っても、ちっとも暖かくない。

 夏は夏で猛烈な暑さで外の方が涼しいくらいだ。布団が湿気を吸って気持ち悪いし。汗でべたべたしたから、シャワー、なんて気の利いたものは無い。蛇口に頭を当てて水を流し涼を取るんだからな。

 便所は冬はケツ出してると凍えるし、夏は蒸し暑さと臭いで耐え難いし。


「できるのか? そんな生活」

「わかんない」

「お嬢には無理だな」

「体験できるの?」


 まあ、体験してみるのもいいと思うけど。


「旦那様と奥様に相談してみたらどうだ?」

「うーん。まあ気が向いたら」

「体験する気ねえだろ。音を上げたって逃げる先なんて無かったからな」


 今の生活がどれだけありがたいか、それを実感できると思うんだが。そして、そんな生活を余儀なくされる程度に、うちは貧乏だった。賃金の低さもあったんだろうな。企業の経営者だけが濡れ手に粟で、下々なんて奴隷と同じ扱いだし。

 仮に経営者が「働き甲斐」なんて口にしたら要注意だ。搾取するのが前提だからな。


「ってことだ」

「パパも?」

「まあ、あの富の集約を見るとな」

「そうなんだ」


 屋敷に着くとお嬢と共に部屋に。

 でだ、部屋に入ると俺を見てる。着替えないのか?


「向後」

「なんだ?」

「なんでもない」


 そう言って衣裳部屋に入って行った。なんか思うことがあったのか?

 出てくると普段着に着替えてる。


「向後、そこのソファに座って」

「如何わしいことは禁止だ」

「わかってるってば! 座ってくれればいいから」


 腰掛けると隣に腰掛けるお嬢が居る。


「向後って、お金持ちとか嫌いなの?」

「まあ、搾取される側だったし」

「なんか、さっきの話聞いてると、恨みが籠ってる感じがした」

「それはなあ。貧乏で就職活動全敗だったからなあ」


 働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり、ぢっと手を見る。


「知ってるだろ? 啄木の歌」

「知ってる」

「啄木自身も借金漬けの生活で、それがあって見事に労働者の悲哀を描写した。それは今だからこそ余計に通ずるものがある」


 格差は拡大し続け、持てる者は巨万の富を手にして、持たざる者はひたすら貧困に喘ぐ。

 経営者は株主しか見てない。そこで働く者なんて、ただの駒だ。不要となれば切れた電池を捨てるが如く、簡単に捨て去る。あげく微塵も心を痛めない。労働者なんて人に非ず、消耗品扱いだ。


「だから金持ちは嫌いだし尊敬もしない。今は立場と仕事で已む無くの部分はある」

「執事の仕事もイヤなの?」

「媚びへつらって、如何なる時もこうべを垂れて、理不尽であろうと従う。いい気分なわけがない」

「パパって理不尽?」


 ここまではそうでもないな。むしろ割と好きにさせてもらってる。金を使わずに済むだけの福利厚生もある。ここだけは例外的に好待遇好条件だな。

 理不尽なのは、お嬢の相手をしてることだ。と言いたいけど、お嬢が傷付きそうだし。お嬢は世間知らずなだけで、性根が悪いわけじゃ無い。変態だけどな。

 むしろこうやって、話を聞くだけまともだ。


「現状ではそうでもないな」

「ママは?」

「特に」

「それでも不満なの?」


 だから、お嬢が原因だ。と言いたいんだよ。不満のすべてはお嬢に起因する。


「貧乏が染み付きすぎたからだな」

「でも、ここで働いてたら、貧乏じゃなくなるでしょ」

「まあ、定年があるのか知らんが、それまで働ければ老後は安泰だろう」

「じゃあいいじゃん。我慢すれば」


 だから我慢してる。お嬢のアホな欲求に抗いながら。

 そこは自覚しないんだな。無念だ。


 なんだよ、その手は。出そうとしたり引っ込めたり。もしかして、俺と手を繋ぎたいとか、そう思ってるのか?

 ただ、ここまでの話で躊躇してるとか。それか股間に手をやりたいのを我慢してるとか。そっちの方がありそうだ。


「お嬢」

「お嬢じゃなくて、葉月」


 面倒な。お嬢なんだからお嬢でいいじゃねーか。葉月なんて呼ぶと調子に乗る。


「手の行き場がなさそうだな」

「だって」

「繋ぐくらいなら許可されてる」


 なんだよ。見つめるなよ。許可されてる範囲内のことは、已む無しで受け入れてるんだから。そこは遠慮しなくてもいいだろうに。股間を握るだの吸うなんてのは、論外だけどな。


「あたしが貧乏になったら、向後は大切にしてくれるのかな」

「旦那様も奥様も全力で阻止するだろ」

「でも、もし事業に失敗して倒産したら」

「まあ、なくはないけど、なんとかするだろ」

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