Epi10 見習い執事のお仕事

 昼飯を済ませ教習所から帰ってくると、所作を覚えさせられる。

 講師はもちろん花奈さんだ。

 部屋は午前中座学で使った部屋。便宜上教室と呼ぶことにしよう。


「お辞儀ひとつにも作法があります」


 そう言って手本を見せてくれる。ただ頭を下げるだけじゃない。腰の角度や頭の位置、そして指先のひとつまで気遣う。足もきちんと揃え、微塵の乱れも認められない。だらしないお辞儀をすると、主の品格まで疑われるそうだ。


「執事を見れば主が優秀かどうか分かります」


 優雅にこなせれば教育ができている。つまり主は優秀。

 雑な動きしかできないと、教育ができない、つまりお粗末な主となる。

 恥をかかせない為にも、完璧に身に着けろと。


「言葉遣いもですよ」

「あ、そうだった」

「私が相手でも公の時は必ず敬語で」


 私事の時はタメ口大いに歓迎だそうだ。その方が親しみを覚えやすいからと。


「でも、中条さんは俺に対していつも敬語」

「癖になってますから」

「俺もそのくらいになった方がいいんですよね」

「いえ。公私を意識して頂ければ」


 着飾らない俺が好きなのだそうだ。なんか、背中がこそばゆい。

 そして、言葉遣いも叩き込まれる。まあいわゆる、接客用語みたいなもので、対象により使い分けもする。主は絶対だから遜る必要がある。

 謙譲語と尊敬語も学び直させられる。意外と混同してたり正しくなかったり。


「向後さんの主は葉月お嬢様です。多少の気さくさは要求されるので、旦那様を相手にする時とは少し異なります」


 この匙加減も完璧にこなしてもらうのだそうだ。

 まあ、敬語での会話は相手が旦那や大旦那なら、まだ使いやすいと思う。旦那、恰幅良くて威厳があったし。それに対してお嬢はなあ。

 変態だし。


「敬語ですが、時々意味不明な言葉を使う方が居ます」

「えっと、こちらハンバーグになります。とか、よろしかったでしょうか。あとはあれか、ら抜き言葉とか」

「そのような言葉を使うと素養の無さを露呈しますので」


 世間一般で浸透してはいても、正式な場でそんな言葉遣いだと、はっきり言ってバカだと思われる。

 旦那や大旦那と行動する時に、そんな言葉が出るようだと、主が大恥かくのは間違いないらしい。その辺も徹底的に矯正するらしい。


「馴染んだ言葉遣いを正すのは大変ですが、しっかり身に着けてください」

「えっと、ハンバーグになります、をちゃんと言うとしたら?」

「ご注文の品、またはオーダー頂きましたハンバーグでございます。ですよ」


 何々になります、と聞いて違和感を覚える高齢者は多い。若い人同士なら問題なくとも、相手は社会的地位の高い人や、知識人なども多い。若者言葉は自分を軽く見られるだけだと。

 社交界と呼ばれる世界には、相応の礼儀と作法があるそうだ。


「よろしかったでしょうか、は?」

「よろしいですか。いかがですか。例えば、ご注文の品は以上でよろしいでしょうか、が正しい敬語です」


 俺もバイトで使ってたからなあ。あれか、面接で使うとバカと認定されるのか。


「教養が不足していると受け取られかねません」

「まあ、そうですよね。なんか心当たりがあって」


 なんか微笑んでる。いいなあ、その笑顔。和む。


「このあとは体術ですから」

「あ、そう言えば、今日はないのかと思ってた」

「毎日の鍛錬こそが上達の近道です」


 それと、今日は花奈さんが飛び掛かるから、それを往なす訓練をするそうだ。


「それって俺に抱き着いてくる?」

「そうです。お嬢様対策です」

「えーっと。お嬢様って抱き着いてくるんですか?」

「確実に」


 面倒な。でも、もし立場とか関係無かったら、嬉しい動作だよなあ。あの愛らしい笑顔で「直輝さーん」とか言って抱き着かれたら、こっちも鼻の下が伸びまくるぞ。

 女子としての魅力には溢れてる。けどひたすら変態。変態矯正ってのはできないのだろうか。


「あの、ひとつ質問が」

「なんですか?」

「変態って治らないんですか?」

「それは、お嬢様のことですね」


 根気強くカウンセリングを受ければ、いずれ治るかもしれないと。ただ、旦那も奥様も放置してるので、治療に及ぶことはないだろうと。大旦那や大奥様に至っては、微笑ましい笑顔で見ているだけだそうだ。親父と爺の両方があのエロさにやられてるんだ。母親と婆ちゃんにとって、まずいって認識は無いのだろうか。


「向後さんに目が向いている限りは、問題は無い、そう確信しているかもしれないですね」

「それは。過剰な評価だと思うんですけど」

「信用が厚い。と言えそうですよ」


 それに応えてこそ執事の鏡だとか言ってる。とんだ苦労を背負い込んだな。


 道場へと移動し花奈さんが言っていた、抱き着き阻止を体に覚え込ませる。

 勢いよく様々な角度から飛び掛かる花奈さんだけど、なんか本気で俺に抱き着いてくるし。豊満なブツをしっかり押し付けてきて、感触がたまらん。


「向後さん。受け入れてどうするのです?」

「いや、あの」

「向後君。気持ちはわかりますが、訓練になりません」

「えっと……はい」


 花奈さんだよ? 俺を好きだと言ってくれる。だったら喜んで受け入れちゃうでしょ。感触最高だし。

 とはいえ、これじゃあ訓練にならないから、泣く泣く往なす動作をする。

 だが、こっちが往なそうとすると、それをかわし、別の方向から抱き着いて、しっかりすりすりされてるし。完全に遊ばれてる。


「これをこなせないと、お嬢様のなすがままになりますよ」

「そうなんですが」


 なすがまま、ということは、ひたすらお嬢に蹂躙され、痛快かぶり付きもあり得る。

 あっさり剥かれて丸出しで、おもちゃにされかねないからと。あのお嬢が変態過ぎるから、こんな訓練が必要になるんだよ。


 基本動作を叩き込まれるも、体はそうは簡単に思うようには動かない。

 散々花奈さんに抱き着かれ、押し付けられ、暴れ気味の股間だけが楽しそうだ。

 ぼそっと耳元で「今晩は楽しめそうですね」とか言ってるし。そこで誘惑しないで欲しい。暴発しそうになるから。


「向後君。棒立ちではかわせませんよ。片足は引く、片足は手前に出す。体を斜めに構えて流れに逆らわず、相手の動きを利用しましょう」


 理屈はわかる。けど体はそう思った通りに動かない。

 想像以上に大変だな、これ。


 お嬢対策に暴漢対策。やることが多過ぎる。

 終わった頃には汗だくになり疲労困憊だった。

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