Epi3 お嬢様の執事兼下僕らしい

 署名捺印を済ませた。

 安定した収入と生活が欲しかったから。


「では、絶対に手は出さないように、こちらの誓約書にもサインを」


 サインしたくない。でも、しないと就職が不可能。断腸の思いでサインをした。

 ひとつ質問を。


「あの、質問なんですが、恋人を作ったり、他所に女性を囲むのはありですか?」

「ご自由に、と言いたいところですが、それも絶対にバレないようにしてください」

「えっと、なんでですか?」

「それは後々お嬢様からお聞かせいただけるかと」


 わからん。

 ただ、彼女作ってもいい、って言うなら欲求の捌け口は担保された。ここのお嬢に欲情しすぎたら、彼女を相手にすればいい。できればだけどな。もし彼女ができなければ風俗で処理するしかないな。

 貧乏学生にとっての筆おろしが、風俗嬢ってのもなんだかなあ。彼女をさっさと作ろう。


「では、面を繋ぎますので、こちらへ」


 面接官に案内されてお嬢の居る部屋へと向かう。

 二階へと上がり長い廊下を歩き、突き当りを右に曲がり、さらに突き進み突き当たると、どうやらそこがお嬢の部屋らしい。

 ドアを三回ノックし用件を話す面接官だ。


「お嬢様。執事候補をお連れしました」


 なんて言うか、高級ホテルも真っ青な内装で、ドア自体もやたら立派だな。ベニヤ板を前後に貼り合わせただけの、玄関ドア擬きとは根本が違う。叩くとペコペコだったし。こっちはコツって硬質な音がする。

 少しするとドアが開き、中から人が出てきた。


「お嬢様、ご所望の執事でございます。これから三か月間は研修となります。三か月後からお嬢様付きとなりますので」


 ドアから顔を出したお嬢様とやらだが。

 なんか、めっちゃ可愛い。これ、惚れちゃうだろ。でも、服装。なんでシースルーのナイトウェアなの? 全部透けてるんだけど。この面接官、ぜんぜん気にしないのか?

 俺に視線を寄越すお嬢だが、なんか一瞬だけ悪魔の表情が。何か悪巧みしてそうな、危険な匂いがぷんぷん漂って来た。


「お嬢様。くれぐれも手を出されないように」

「知らない」

「お嬢様。大奥様の条件でございますよ」

「知らない」


 これ、なんかヤバそうな。

 呆れ気味にため息を吐く面接官だが、こっちを見ると「少々我が強いので、振り回されないように」と言われた。

 お嬢の部屋をあとにすると、面接官に気にならないのか聞いてみた。


「あの、お嬢様の服」

「気にされてはいけません。アレが普段着ですから」


 豊かな双丘は脂肪の塊、股間にそよぐ毛髪はただの海苔。なだらかなラインを描く双臀そうでんは脚部の付属品。ほどよく引き締まった脚は歩行器具。

 いちいち意識していたら務まらないと。

 露出狂の気があるから、外出時は注意して欲しいそうだ。


 つまり、変態だった。

 あの変態にこれから抗う必要があるのか。蛇の生殺し程度じゃ済まなさそうだ。憤死するかもしれん。


「では、業者の手配は済ませてありますので、明日は手ぶらでこちらへお越しください」


 俺の家から持ち出すものはほぼない。生活に必要なものはすべて用意されている。つまり引っ越し業者ではなく、不用品回収業者だ。

 俺がこれから住む部屋は明日案内するらしい。どのみち、夜は一緒に寝るから、どちらかと言えば物置に等しいそうだが。

 きっと悶絶死するぞ。


 一旦、おんぼろアパートに帰り、一夜を過ごし四年間を共にした便所に別れを告げる。


「まさに便所。うんこがこびり付く便器だったが、これも今日が最後だ。お疲れ様」


 巨大なうんこが出ると、流れずそこに留まるんだよ。それを手でもって流し込む必要があった。それも今日で最後だ。盛大に用足しをして後にする。新居は臭いのも無いんだろうな。きっと芳香剤の清々しい香りが漂うトイレだ。


 翌朝、電車に乗り、一路お屋敷へと向かう。

 街の一角を占拠する広大な敷地。道路に沿って長い塀が続き、門の前に辿り着くとインターホンを鳴らす。

 暫し待つよう言われ待っていると、昨日とは違う人が出てきた。


向後こうごさんですね。案内しますのでこちらへどうぞ」


 メイド服だ。ウェストを引き絞った黒い生地のロングワンピに、全体を覆う白いエプロン。シンプルでいて機能性は高そうな。髪は後ろに纏められていて、邪魔にならないようにしてるのか。

 案内されメイドの後ろについて行くが、服のせいか体形はまったくわからない。年齢は俺より年上だろう。三十代、までは行かないのか。


 母屋ではなく別棟に案内される。


「こちらの建物が使用人の寮です。向後さんは一〇三号室ですので」


 衣類と家具家電は用意されているとか。

 部屋に案内され「着替えてください」と言われる。着替えと言われてもと思いつつ、部屋に入るとハンガーに着替えるべき服が掛かっていた。

 黒一色のスリーピーススーツにワイシャツ。ネクタイとカフスにタイピン。それとハンカチにポケットチーフ。他には白い手袋かよ。

 さらにメモ帳とペン。スマホも用意されてる。財布まであるのはなんでだ? 中身を確認すると……なんか、金持ちの感覚が理解できない。クレカに万券五十枚って。


 メイドが部屋から出ると着替えをするのだが。

 就職活動の時に着ていたスーツは安価なものだった。今目の前にあるスーツは高級そうだなあ。仕立ても良くて肌触りもいい。ブランドはと思ってタグを見ると、ストーベル&メイソンとか入ってるし。素材はメリノウールと書いてある。ついでに名前も入ってた。

 一通り着てみるとピッタリ。いつの間に俺の体形を把握されたんだよ。

 着替えて部屋の外に出ると。


「向後さん。ネクタイが曲がってます。ポケットチーフは美しく見せるものです。折り方をご存知ないのですか?」


 他にもベストとスーツのラインを揃えろとか、髪型に気を使えとか、手袋は常にはめておけと。家人以外の手指の脂や指紋を付けない為だそうだ。

 だからか、手袋ばっかり何枚もあるのは。


「手袋やハンカチは汚れたらすぐに交換してください。財布の中の現金やクレカは向後さんの小遣いではありません。お嬢様のご要望時に出せるよう、用意されたものです。間違っても私用で使わないように」


 スマホはこの家で使う専用の物で、家人や使用人以外には使わないこと、と言われた。私用で使う場合は自分のスマホを使えと。


「車の免許はお持ちですか?」

「ないです」

「……。取ってください」


 送り迎えとか言ってたから、やっぱ必要なのか。

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