【短編】人類は滅亡し、今は妖精が暮らしています。

イノナかノかワズ

人類は滅亡し、今は妖精が暮らしています。

「好きだ」

「ッ」


 彼は驚いて起きる。顔を真っ赤に染めて、隣で寝ている彼女を見る。そして、消沈する。


「寝言か」


 隣で寝ていた彼女は涎を垂らし、間抜な寝顔を晒している。いつも通りの様子に彼は心の裡で溜息を吐く。


 しかも。


「好きだ。むにゃむにゃ、竜殺し……」

「……はぁ」


 彼女の寝言から聞こえた次の言葉に心では抑えきれず、口から溜息が漏れた。相も変わらず、酒好きの彼女である。


「いつになったら……」


 彼はいつも快活で少年らしい彼女を想う。恋心と真心が溢れ抑えられず、緋色が混じるその艶やかな白髪を撫でた。



 Φ



 今日のヨナギの朝は早い。

 朝日が昇る前の薄暗い時間に起き、台所の隣のかめに流れる朝露で顔を洗う。

 そのあと、寝間着の袖で顔を拭き、壁に掛けていた袖が垂れている地元の民族衣装に腕を通す


 ――慣れたなぁ。


 背中に生えている大して役に立たない小さな翅を服の中へしまい込み、下を確認した後、帯を締める。

 それから、石材の床を歩き、木製の扉を開けて薄暗い朝の外に出る。

 少し歩いて、ガマカエル郵便が届けた朝刊を右手側にあるポストから手に取り、苔した巨岩を刳り貫いて作ったわが家へと入る。

 台所へ移動し、手に持っていた朝刊をヒノメが楠木の太い枝で作った机に置く。


「火種、火種……」


 テンポよく「火種」と繰り返しながら、昨夜ヒノメがしまったであろう火種を探し、棚からそれを引っぱり出した後、竈に火を入れる。

 それから、机の上に置いてあった桜の紋様が施されている鉄瓶を手に取り、シンクに常に流れる二つの水の内、右手にある洗い用の水を使って鉄瓶を洗う。

 そのあと、綿の布で拭いた後、左手に流れる飲用の水を注いでいき、いい具合に温まった竈の上に鉄瓶を置く。


「さて」


 竈から火の粉が漏れないように鉄の扉を専用の棒で閉めた後、ヨナギは自室へと移動する。

 少ない調度品が置いてある小さな自室を見渡し、引き出しの上に置いてあった漆黒の民族模様が走る銀のバレッタを手に取る。

 それから立てかけてある姿見を見ながら、夜空を体現したような艶やかな黒の長髪を、指で何度か梳く。

 その後、手に持つバレッタを斜め右らへんに移動させ、黒髪をまとめた。

 何度か、自分の姿を確認した後、先ほどの引き出しから小さな麻袋を取り出し、袖口に突っ込む。


「お」


 そうすれば、キューとお湯が沸いた音が聞こえ、ヨナギはドタバタとひんやりとしている岩の地面を踏み鳴らし、台所へ移動する。


「ほっ」


 包丁置きの隣にかけてあった厚手の手袋を手に嵌め、鉄瓶を手に取り、焚いていない竈へと移動させる。

 それから、専用の棒を使って火をくべている竈を開け、火を弱くする。

 厚手の手袋を台所に置く。

 

「ではでは」


 それから、食器棚を開け、背を伸ばして自分専用のマグカップを手に取り、ついでに濾し袋を手に取る。

 最初にマグカップを洗い用の水で洗い、熱湯によって熱くなっている鉄瓶の傍に置く。

 次に濾し袋を洗い用の水で洗い、丁寧に絞った後、もう一度水で洗い、再び丁寧に絞る。

 そして、程よく人肌に温まったマグカップを手に取り、濾し袋をかぶせていく。

 

「あれ」


 ヨナギは袖口に手を入れ、先ほどしまった小さな麻袋を探す。少しだけ手に取るのに時間がかかったが、無事取り出した。

 紐で縛っていた口を開き、濾し袋をかぶせたマグカップに中身を注いでいく。

 香ばしい苦みがある匂いが鼻をくすぐり、ヨナギは少しだけ安心する。

 コーヒーの粉を一定量入れた後、台所に置いていた厚手の手袋を手に取り、鉄瓶を持つ。

 熱湯を一回、二回、慣らすように注ぎ、少しだけ待つ。


「……」


 じっと身を潜めながらそれを繰り返し、注ぐ熱湯の量を増やしていく。ここ一年近く続けてきたルーティンをこなしていく。

 そうして、数分が経った後。


「よし、できた」


 ヨナギ流コーヒーの完成である。

 豆は、ここから南東に二か月ほどかかる所から取り寄せたものであり、気難しい山猫が育てている。

 果樹園も併営しているため、果実の匂いが少し混じっていて、いいアクセントになる。


 そんなコーヒーを手に取り、朝刊が置いてある机に置く。

 ちょうどそのころには天窓から朝日が射していて、ダイニングキッチンが陽の光で温まる。

 ヨナギは、そんな陽の光で黒髪を濡らすように椅子に座り、朝刊を読み始めた。

 時々、ご自慢のコーヒーを口に含む。


 ――うん。おいしい。


 満足げに頷きながら、ヨナギは朝刊を読み進めていた。

 そして幾分か経つと、ヨナギとは別の足音が岩の家に響く。


「あ、おはよ、ヨナギ」

「あはよう、ヒノメ」


 緋が混じる白銀の短髪に、紅玉と間違えるほどに澄んだ美しい瞳。

 それでいて、声も容姿は中性的、というよりは少年に近い感じ。寝ぼけているが、活発そうな赤いほっぺがそれを強く印象付ける。

 

「あれ、今日って私だっけ?」

「そうだよ」


 そんな彼女にヨナギは、鈴を鳴らしたような声で咎める。

 ヒノメは、あっちゃあー、とボサボサの短髪を掻き、一瞬だけ天を仰いだ後、台所の隣に置いてあるかめから朝露を手に取り、顔を洗う。

 そして、寝間着の袖で顔を拭き、シュルリと服を脱ぎ捨てる。


「ちょ、ヒノメ!」

「あ」


 背中に生える緋色が混じる透明な翅がパタパタと動く。

 丸みを帯びた裸のヒノメは、前世の人間よりも丸っこい手で大事な部分を隠しながら、顔を真っ赤に染める。

 こんな所は女の子らしい、とヨナギは思いながら、朝刊を広げ、視界を塞ぐ。


「……ナゴリを見てくる」


 シュルリシュルリと服を脱いだり着たりする音が聞こえ、気まずくなったヨナギは、ヒノメに背を向けたまま、ダイニングキッチンを出る。

 そして、外へと出た。


「……まだ冷たい」


 もうすぐ春は訪れるだろうに、朝の空気は冷たい。

 けれど、自分の顔よりも大きい近くに咲いていた木苺の白い花から、朝に濡れた淡い花の匂いが漂ってくる。

 それを胸いっぱいに吸い込んだ後、ヨナギは家である苔生す大岩に吊るしてある縄梯子へと移動する。

 縄梯子を昇り始める。


「うう。やっぱり寒い」


 不安定な梯子を昇るごとに、吹き抜ける風がヨナギを撫でる。

 やっぱり春の朝は南風が吹くのに冷たく、ヨナギは心の中でナゴリに少しだけ悪態をつき、昇っていく。

 そうして、大岩の頂上に辿り着いた。


「……おはよう、ナゴリ」

「……あれ……もう朝ですかぁ?」

「呆れた。電源を太陽光発電で得てるのに、気づかないの?」


 目の前にいたのはヨナギ二人分、つまりリンゴ二つ分くらいの長さの金属板。

 青白いメタリックな金属に緑の紋様が描かれている。どうやって声を発生しているかは未だ見当つかないが、それはどうでもいい。

 どうせ、人間がいつ滅んだかも分かっていないし、その滅んだ時代が前世から何年経っていたかも分かっていない。

 流暢に会話できるくらいには自立しているAIを作ったくらいだ。さぞかし発展していたのだろうし、そんな進んだ技術を考えても面白くない。

 それより。


「全く。ヨナギは何度言ったら分かるんですかぁ? 発電しているんじゃなくて、食べているんです。ここ、全くもって違うんですよぉ!」

「はいはい」


 ニュルっと金属板から八本の金属足を出して縦に立ち上がり、そのあとカシュンと音を立てて板を半分に折っているナゴリの奇怪さが気になる。

 折っているのに一切折り目はない。

 そして器用にナゴリは前の二本の足を持ち上げ、やれやれと横に振った。


「じゃあ、先降りてるよ」

「は~い」


 ヨナギはそれに少しだけ頬を引きつらせながらも、いつものことなのでいつも通り縄梯子を滑って降りる。

 

「いち、に、さんっ、し。にぃに、さんっ、し……」


 ナゴリがカシュンカシュンと音を立てながら、体操している音が聞こえる。

 何でもナゴリはロボットの癖に、ラジオ体操をしないと身体が動かないとか何とかで、起きたら体操するのだ。

 

「ホント、AIだけじゃなくて付喪神はいるし、動物も話すんだすんだから、変な世界になったよ」


 そんなナゴリの体操の掛け声を聞きながら、ヨナギは木製と扉を開け、いい朝食の匂いが漂う家へと入っていった。





「あっ!」

「何、どうしたの?」


 ヒノメが作った朝餉を済ませ、天窓から注ぐ朝日を浴びてまったりしていると、朝刊を読んでいたヒノメが立ち上がった。

 コトリとコーヒーが入ったマグカップが揺れ、ヨナギはそれを丸みを帯びた手で抑える。

 今のヨナギは妖精だ。

 数秒しか飛べない翅を持ち、ちょっと不思議な力を使えるリンゴ一個分の人型生物である。

 そのため、身体は人間と比べて丸っこい。太い。ずんぐりむっくりである。

 

「今日だって、今日!」

「だから何が?」


 ヒノメは朝刊を広げ、ヨナギに見せつける。

 見えられたページはヨナギがいつも飛ばすページだった。つまらないし、ヨナギの好みの記事が乗っていないため飛ばしているのだ。

 けれど、ヒノメが見せるのだから何かあるのだろうと、ヨナギは日本語でも英語でもない変な文字に目を走らせる。


「……夜龍桜か」


 一年に一度夜だけに咲く桜で、龍が天を昇るが如く下から順に蕾が開くのだ。そしててっぺんの蕾が咲くのが、大体真夜中なのだ。しかも桜は淡い光を放つ。

 ただ、一番綺麗なのは朝に向かう時らしい、とヨナギは思い出す。

 

 ――確か、朝日が昇り始めた瞬間に桜が一斉に散って嵐を巻き起こすんだったけ。実家の方にはなかったし、確かに見てみたいな。


 そう思って少しだけ妄想を膨らませるヨナギに、ヒノメが輝かせた紅玉を向け、興奮した様子で朝刊を机に置いた。

 ヨナギは、そんなヒノメの様子に深緑の瞳を見開き、蕩けさせた。


「そうそう。今夜らしんだ。仕事を早めに切り上げて行こ!」

「……そうだね。こないだ買った特別があるし」

「あ、いいね。楽しみだ!」


 ヒノメはその特別を思い出して、ジュルリと涎を垂らしてはにかんだ。

 ヨナギはそんなヒノメの笑顔が好きで、微笑ましい気持ちになりながらも今日こそはと意気込む。

 

「あ、それって私が行っても良いんですぅ?」

「何でダメなんだ?」


 竈の近くで身体を温めていたナゴリが、ハテナマークのホログラムを投影する。

 ナゴリは身体を二つ折りにすれば、苔生した岩の家の中に入れるのだ。

 雨が降る日以外は外で寝ているナゴリだが、昼間になると大抵家のどっかでくつろいでいる。

 今は、竈の熱って気持ちいですぅ、とおっさんくさい声を出しながら、ホログラムで身体を赤くしていていたのだ。

 変な機械である。


「いや、ヒノメは良くてもヨナギ……あ、いいんですね。わかりましたぁ!」


 一年に一度の景色を二人っきりで見れないのは癪だが、ここで拒否すればヒノメに狭量と思われてしまうのでは、と思ったヨナギはにこやかにナゴリを見た。

 変な機械故に、察しがよいナゴリは、それを把握しながら珍しい景色が見れると分かり、ホログラムで『ハッピー』という文字をぴかぴか光らせる。

 それから、またヒノメは朝刊を読み始め、ヨナギはぼーっとする。


「あ、そろそろ行ってくる」


 そうして少し経った後、ダイニングキッチンに射し込む陽の光から時間を読み取ったヒノメが、立ち上がる。

 それから他の部屋へ移動し、数分後、葦で編まれたベルトを両肩から掛け、腰にも巻いたヒノメが出てきた。

 葦のベルトには小さなポーチがいくつもぶら下がっていて、また細かな針や金具などもぶら下がっている。

 ヨナギは、ヒノメが机の上に置いた朝刊を片付けながら、首を傾げる。


「今日って外だったっけ?」

「うん。昨日、どうしても私にっていう人がいてさ。ショカカンに行ってくるよ」


 そういいながら、久しぶりに入った外の仕事に少しだけ嬉しそうな背中を見せるヒノメは、ヨナギに優しい声を掛ける。

 ヨナギはそんなヒノメを玄関まで見送り、手を振ろうとして。


「いってら――あ」


 思い出したようにヒノメを止めた。

 ヒノメは、活発そうな無垢の瞳をヨナギに向ける。


「うん、どうした?」

「夜何が食べたい? ほら、向こうで食べるとしても……」

「ああ、確かに。ええっと、あれだ。お任せがいいな」


 一瞬だけ頭を悩ませたヒノメは、しかしながら直ぐにヨナギに放り投げた。

 ヨナギは、ジトっとした深緑の目をヒノメに向ける。


「……それが一番困るって言わなかったかな?」

「……うーん。あ、そうだ。特別に合うツマミ弁当がいい」


 ヒノメはポンと手のひらを打つ。


「……分かったよ。じゃあ楽しみに待っててね」

「ああ、楽しみに待ってる。……いってきます」

「いってらっしゃい」


 ヨナギは今度こそ、ヒノメを見送った。


 ――さて、家事やって仕事やって、市場行って……

 

 そして、今夜のヒノメの顔を想像して、モニョモニョとした暖かな気持ちで頬を緩ませたのだった。



 Φ



「ねぇ、皆あっちに行ってるけど」

「まぁいいから」


 一番大きくなったナゴリの背に乗りながら、夕日が射し込む森の中をヒノメたちは進んでいく。

 周りには、一年に一度の夜龍桜を見ようと、妖精にアナグマ、カヤネズミやイタチ、テンなどが列を作って移動している。

 けれど、何故かヨナギの前に座っているヒノメは、ナゴリに指示を出し、違う方向へと舵を切り始めた。

 タンポポの葉で編んだ肩掛けバックを抱えているヨナギは、ヒノメの肩に顔を乗せる。だが、肩掛けバックの中には丹精込めて作った弁当が入っているので、派手に動かしたりはしない。


「……面白い話でも聞いてきたの?」

「ああ」


 またいつのもか、とヨナギは呆れるような、けれど愛おしい気持ちになる。

 ヒノメは、どういうわけか妙な人脈を持っていて、こういうイベント時に穴場スポットみたいなのを聞いてくるのだ。

 また、そうでなくてもヒノメはよく一人で野宿をしたり、旅に出ることもあるため、そういう経験で知っていることも多い。

 どっちにしろ、ヒノメが見つけてくる穴場スポットには外れがない事を知っているヨナギは、頬を緩ませたのだ。


「ほら、今日は外の仕事って言っただろ?」

「うん」

「ミチナガの金貨の親父だったんだよ。それで、お礼で」

「……ああ」


 ヨナギは、ミチナガの金貨という時計屋の店主を思い出し、ヒノメの今日の仕事は大変だったんだな、と空いている手で頭を撫でる。

 ヒノメは少しだけくすぐったそうに吐息を漏らしたが、嫌がることはせず為されるがまま。

 ナゴリは、そんな二人を邪魔しないように先ほど指示された場所へと移動する。特に、春の森のため、コケ以外にも草木が生い茂り始めている。

 だから、それらを避けたり前足についている百八式小道具の鉈で刈りながら進んでいく。

 いや~アタシって気が利く機械ですぅ、とナゴリは内心で自画自賛しながらも、ヒノメにコッソリと特殊振動通信テレパシーする。


(ヒノメ、アンタ分かっているですよねぇ)

(……分かってるって。今日は丁度一周年だし、うん)

(ホント、頑張ってくださいよ)


 未だにハッキリとしないヒノメに少しだけストレスを募らせているヨナギは、たまにナゴリにお酒片手に愚痴をいうのだ。

 せっかく、月の光でどれだけ太陽光発電できるかをチャレンジしているナゴリにとっていい迷惑である。

 なので、けしかけるのが当たり前なのだ。


 そうやって夕日が沈み、満月が顔を覗かせた頃。

 ヒノメたちは一本の巨大な桜の木の下に着いた。

 ヨナギは、前世でみた桜とは比べ物にならないほど巨大な桜を見上げる。実際は、ヨナギが小さくなっただけなのだが。


「普通の桜だね」

「うん。といっても、目的地はここじゃないんだ」


 そういいながら、ヒノメはナゴリの横に括りつけていた縄梯子を抱える。

 そして、ナゴリの前に差し出した。


「じゃあ頼む」

「分かりましたですぅ」


 ナゴリは、差し出された縄梯子の端を器用に二本の前足で掴む。

 それから、残り四本の前足で、身体を後に倒しながら立ち上がる。

 

「では、ナゴリ、行きま~すぅ!」


 そして、そんな阿呆な掛け声をしたと思ったら、ナゴリは猫と思うほどのしなやかなジャンプで、桜の幹に飛びついた。

 それにヨナギが驚いているうちに、カランカランと縄梯子を桜の幹にぶつけながらも、垂直に昇っていく。

 

「辿り着きましたぁ!」

「よかった。足りた」


 満開に咲いている桜と太い枝でナゴリの姿は見えなくなったが、たぶんこの桜のてっぺんにいるんだろうな、とヨナギは思う。

 そんなヨナギを放っておいて、ヒノメは垂れさがった縄梯子が手に届く位置にある事を確かめて頷いていた。


「じゃあ、行くよ」

「あ、ちょっと待って。先に僕が行くよ。そっちの方がいいでしょ?」

「え、なんで」

「……何でも」


 今のヒノメはズボンであるが、それでも女性だ。

 男性であるヨナギが先を登った方がいいだろう。

 そうして、十分くらいかけて縄梯子を登ったヨナギたちは、桜の絨毯の上で座っていた。


「……ここが穴場スポットなの?」

「ああ。夜龍桜が綺麗に見えるだろう?」

「まぁ、そうだけどさ」


 確かに綺麗に見える。

 もう満月が東の空に昇っていて、それ故に夜龍桜の桜も花を咲かせ始めている。

 淡く光を放っていて、夜目に視力がとてもよいヨナギたちは、それを一つの絵画のように見ることができている。

 周りには人はいないし、桜の絨毯の上でその景色を独り、いや二人占めするのは確かに嬉しいが、しかし穴場スポットと言われると首を傾げる。

 

「まぁまぁ、お弁当食べたい」

「それもそうだね。いい景色だし、ちょっと待ってて」


 ヨナギは桜の絨毯の上に置いた肩掛けバックの中から、黒塗りの三段重を取り出す。

 ついでに、空気を読んでか少しだけ離れた場所でカシャカシャとシャッターを鳴らすナゴリに、市場で買った清水が入った瓶を渡しておく。

 機械の癖に、水を飲むのだ。どうやって飲むのか知らないが。


「お、碧漆か」

「まぁ、お祝いも兼ねてさ。丁度一年でしょ?」

「……ああ」


 祝い事で使う碧漆塗りの三段重を桜の絨毯の上に器用に置きながら、ヨナギは少しだけ言い澱んだヒノメにジト目を向ける。


「……覚えてなかったの?」

「覚えたぞ。ホントだ!」

「……まぁ、いっか」


 いつもの事だし、とヨナギはちょっとだけ残念な気持ちになりながらも、自らの影に手を突っ込み、それを実体化していく。

 妖精はちょっとした不思議な力を使えるのだが、ヨナギは自分の影を手でつかみ実体化できる力を持っているのだ。

 ヨナギはその力を使って、二膳の影の箸と二枚の影のお皿、それと二つの影のグラスを創りだす。

 それから、桜の絨毯の上に置いた肩掛けバックの中から、特別を取り出す。

 

「半年待っていた甲斐があった。こんな場所で飲めるとは」

「我慢してたよね」


 その特別はショカカンにある酒屋で最も古いフグリ酒屋が、一年に一度、秋に発売する最高級の日本酒、竜殺しなのだ。

 凶悪な竜がべろんべろんに酔ってしまうことから、その名が付いたらしい。

 そんな竜殺しを、二か月間超質素な生活をして買ったヒノメとヨナギは、頬を緩ませて、影のグラスに注いでいく。

 トクトクと音を立てる。

 けれど、ヨナギはすぐに注ぐのをやめてしまった。


「まずは一口だね」

「そうだな」


 これは二人の流儀だ。

 おいしいお酒を開けるときは、最初に一口だけグラスに注ぎ、それを堪能するのだ。自然と生まれた習慣だったりする。


「では、乾杯」

「乾杯」


 淡く優しい影の音を響かせて、二人は影のグラスを口に当てる。

 ゆっくり、ゆっくりと匂いを楽しみ、それからちょっと口にお酒を含んで舌で遊び、そして一気に一口を呷る。

 

 ――ああ、美味しい。


 日本酒なのに仄かな泥炭の匂いが混じっていて、けれど雑味が全くない。

 辛さもなく、まろやかで甘露を飲んでいるかのように甘く感じてしまう。けれど実際はとても強いお酒だ。

 舌触りがよく、何杯でもいけそうな竜殺しに、ヨナギは夢うつつな気持ちになりながらも、これは危ないぞ、と警戒心を宿す。

 それは月光にも負けない白銀の短髪を靡かせたヒノメも同じだった。


「これは、やばいな」

「うん。口当たりが良すぎるよ」

「……で、その口当たりの良さをさらに加速させる油をっと」


 ヒノメは早速頬を赤くして、ヨナギが創った影の箸を手に取って、重箱を突く。

 揚げ物はなく、醤油や塩などで煮付けた物が多いが、春の山菜のいい匂いが漂ってきて、涎を垂らす。

 それらを影のお皿に移し、ヒノメはまずバッケを醤油とみりんとその他諸々で煮付けたつまみを口に含む。


「う~ん。美味しい! やっぱ、ヨナギの料理は世界一だな」

「当たり前でしょ。僕の料理は凄いんだよ!」

「あ、出来上がってる」


 誰もいない桜の絨毯の上で高級日本酒を飲み、昇る満月と徐々に咲き誇っている夜龍桜を眺めている状況が、急に恥ずかしいやら嬉しいやらでいっぱいいっぱいになったヨナギは、二杯ほど竜殺しを呷ったのだ。

 そうすれば、ヒノメの隣にいるヨナギの顔は真っ赤。のぼせたように頬を赤くして、深緑の瞳を蕩けさせている。

 普段は謙遜するである言葉を口にしながら、ヒノメの肩に手を回す。


「ねぇ、月が綺麗だね」

「あ、ああ。え、どういう事?」

「……伝わんないか」


 ヨナギはガクンと頭を下げ意気消沈する。

 ヒノメとしても、月が奇麗なのは確かだが、何を言いたいのか分からず、目を白黒させる。


「あ」

「ほうひてやるぅ!」


 と、意気消沈していたヨナギは何を思ったか、竜殺しをもう一杯呷り、そのあとゼンマイの塩炒めとタンポポの花で煮付けたノビルを口に含む。

 そして、一気にヒノメの唇を奪ったのだ。

 ヒノメは急に口の中に入れられたつまみと唇に頭が真っ白になり、ついでに自分でも分かるくらいに真っ赤に染まる。

 ギュッとヨナギが抱きついているせいで、離れることもできない。けれどそもそもお酒と恋心と状況に酔って、自ら抱きつく。

 そうして、幾分経った後。


「ヒノメぇ、好きだよぉ!」

「……寝ちゃった」


 パッと手を離したヨナギは、一瞬だけ真剣にヒノメを見つめた後、後に倒れて寝てしまった。

 クークーと可愛らしい寝息が聞こえ、ようやくヒノメは事態を把握し始めたのだった。

 

 

 因みに、それを後で見ていたナゴリは、アタシが居ても居なくても変わりないですねぇ、と少しだけやさぐれた気持ちになっていた。





「起きて。起きて、ヨナギ!」

「ぅぅ。……うん?」


 身体を揺すられて、少しだけ頭が痛いなと思いながら、ヨナギはゆっくりと目を開ける。

 そして、眩い星々が浮かんでいるはずの空は、白み始めていた。


「えっ!? もう、朝になったのっ!?」

「落ち着いて、ヨナギ。まだ朝になってない。もうすぐ朝」

「……潰れたのか」

「ああ」


 ガンガンする頭を抑えながら、ヨナギはヒノメの手を借りて身体を起こす。

 夜龍桜の満開を見逃したことに気落ちしながらも、まだ一番きれいだといわれている夜龍桜の散開がまだ始まっていないことに安堵する。

 そして、頬が赤くなり紅玉を蕩けさせていたヒノメを見た。


「ずっと起きてたの?」

「うん。私も寝てしまうと流石にね」

「……ありがとう」


 影のグラスを弄び、碧漆塗りの重箱を片付けていたヒノメに、ヨナギは深緑の目を下げる。

 そして、潰れてしまう前にしてしまったことを思い出し、ボンッと顔を真っ赤にして転げまわる。

 と、その瞬間。


「危ない!」

「っあ」


 いくらリンゴ一個分程度の身体の大きさでも、桜の絨毯の上で転げまわれば落ちるのは当たり前だ。

 ヨナギはふわっと宙に浮く。

 慌ててヒノメが手を掴む。


「はぁっあ!」


 必死に踏ん張り、ヨナギを釣り上げた。


「はぁはぁはぁ」

「……ええっと……ごめん」

「ホントだよ。心配したんだか――」


 二人が仰向けに倒れ込み、空を見上げた。

 ヨナギは、失敗の連続の今日に嫌気がさして、落ち込みながら謝り、ヒノメはそんなヨナギを元気づけようと、茶化そうとする。

 そんな瞬間。


「――空を見ろ!」


 ぶぁぁぁわ! と、空が哭く音が聞こえたのと同時に、朝日が顔を覗かせて空を茜へと染め上げていく。

 そして、南風が吹いたかと思うと、桜の絨毯の上に花筏があった。


「わぁ」

「……綺麗だな」


 散開した夜龍桜がこの地域特有の肌寒い南風に乗って、桜吹雪の銀河を作り、ヨナギたちがいる桜の上を通っているのだ。

 とても綺麗で美しい。

 命散った桜の花ぐるまが、朝日に濡れながらくるくると舞っていて、全てを祝福するようで。

 まるで龍の如く桜が空へと舞い上がっていて。


「ヨナギ」


 ヒノメがポツリと呟く。


「何?」

「好きだよ」

「へ」


 朝日に溶けるように呟かれたその言葉に、ヨナギは頭を真っ白にする。


「いつも、ヨナギばかりに言わせているけど。私も好きだよ。愛してる」

「……うん」


 そして、ヒノメは一年前から一言も口にしなかった言葉を紡いだ。

 態度では分かっていたけど、言葉が欲しかったヨナギは、万感の想いで頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】人類は滅亡し、今は妖精が暮らしています。 イノナかノかワズ @1833453

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ