⑤ 議論の要諦

 21世紀初頭、皇室の維持を巡って様々な議論が展開された。議論の要諦を概略すると、大きく2つに分かれる。一つは男系を堅持するため旧宮家に皇室復帰して頂くということであり、もう一つは男系継承に拘らず 女系天皇を認めるということだった。

 前者に関しては、戦後に皇室を離脱された旧皇族方は 室町時代の崇光天皇(北朝3代)の頃に分かれた方々であり 今 復帰して頂いてもそもそもとの反対意見があり、後者に関しては、前例がなく王朝交代に繋がるとの声が聞かれた。ちなみに、女系天皇は ふが悪く 永続性に問題があるというのが私の見解である。

 しかし 歴史を振り返ってみると、第26代 継体けいたい天皇の血筋は甚だ怪しく 先代 武烈帝の妹を后に迎え その子(欽明)に位が受け継がれているし、さらに時代を遡ると、第14代 仲哀ちゅうあい天皇の崩御後 その后である神功皇后が との言い伝えから ここで 天皇の血統が変わったとの噂も まことしやかに囁かれていた。だいたい、皇祖神 天照大神からして女神であり、女系が続かないというのは 我ながらあまりに不見識だった。まぁもっとも、最後の件に関しては、天照の相手が姉弟であるスサノオであることから 男系相続で一貫していると解釈されている。

 余聞だが、私は かの神功皇后が邪馬台国の女王 卑弥呼日巫女?あるいは台与豊?であり、大和政権と邪馬台国は繋がりがあると考えている。「元始 女性は太陽であった」というのは 『青鞜』の,恐らくは皇祖神 天照大神を念頭においた有名な一節だが、日本の根本ルーツに女性の強い光輝きがあったのは ほぼ間違いないと私は胸算している。


「天照大神

|  ‖—天忍穂耳—ニニギ

∟スサノオ—大国主


武内宿禰(建内宿禰:蘇我氏の祖)

 |(密通?)

神功皇后(卑弥呼?台与?)

 ‖—応神(15)—仁徳(16)

仲哀(14)


仁賢(24)—武烈(25)

     ∟ 手白香皇女

        ‖—————欽明(29)

応神(15)……継体(26)—安閑(27)

             ∟ 宣化(28)

 ※安閑・宣化と欽明との間で対立があったとする説もある。


北朝

「光厳(①)— 崇光(③)— 伏見宮

∟光明(②) ∟後光厳(④)—後円融(⑤)

 ※ 伏見宮から後花園天皇(102)が出て、現在の皇室と繋がる。

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