第60話 信徒の叩頭

「痛えええええええええええええええ!!」


 敬愛する【聖者】トリスタン様に注射を打たれた瞬間、身体全体が沸騰した湯のように泡立ち、耐えきれなくなった皮膚が破れ、鮮血が周囲に飛び散る。


 あまりの痛みに転げ回りながら、どうしてこんなことになったのだと自問するが、答えは出ない。


 この痛みから逃れたくてトリスタン様に手を伸ばすが、一向に傷を癒やしてくれる素振りはない。


 まるで虫ケラでも見るような冷たい目でオレを見下ろすトリスタン様。

 その表情は、俺がこれまでに一度も見たことがないほどに冷酷で無慈悲だった。


 ………………どうして?


 もう何度目になるか分からない問いかけをする。


 やがて蝋燭の火を消したように、俺の目の前が暗転する。


「フム……この配合ではないらしい。捨ててこい!オレの求める究極体はまだ遠い!!」


 意識が失われる直前、そんなトリスタン様の声が聞こえた気がした。


 そうして俺は生命を失った。


       ★★


「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 意識を失う直前のことを思い出して俺は叫び声を上げる。


 あれ?

 ここはどこだ?


 目を開けるとそこは真っ暗な世界。 

 月明かり……でいいのか?

 ぼんやりとした光が周囲を照らしている。


 俺は死んだはず…………。


 そう思って周囲を見回す。


「アル〜、おっさんが目を覚ましたぜ」


 おっさん?

 誰のことだ?

 俺か?俺なのか? 

 どこからかそんな失礼な声が聞こえてきたが、そんなことよりも確認すべきことがある。


 俺は自分の身体をペタペタと触り、生きていることを実感する。

 死ぬ直前に、泡立つように膨れ上がり破裂した左腕ももとに戻っている。


 人を蘇生させるなどという奇跡を起こせるのは、俺が知る限りはトリスタン様のみ。

 きっと、身体を癒やしていただいた上に、蘇らせていただいたのだと俺は理解する。


 トリスタン様、ありが………………。


「ああ、良かった。身体の治癒の方が手間取ったのでどうなるかと思ったんだけどね」


 俺が内心で、トリスタン様に感謝の念を送ろうとしていたとき、そう言いながらやって来たのは、肩までの青髪を無造作に伸ばした優男。 


「オマエは誰だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


        ★★


 俺は今、荒野の地面に土下座して自分の無作法を侘びている。


「まさか、噂の【愚……】いや、義弟様であったとはつゆ知らず…………」

「【愚者】で結構ですよ。言われ慣れてますし」

「いえ、トリスタン様からは常々優秀な義弟がいると聞いております。そして、どうして【愚者】などと蔑まれているのか分からないとも…………」 


 俺を蘇らせてくれたのが、トリスタン様が事あるごとに自慢していた【愚者】アルバート殿だと知って心の底から謝罪していた。


――――誰よりも才能がある義弟がいるんだ。


 笑顔でそう語っていたトリスタン様を思い出す。

 世界最強と謳われる【剣王】でも、世界の希望と称される【勇者】でもなく、声高に無能と蔑まれる【愚者】を最も評価していたかのお方。


「【愚者】殿はそこまで才能がおありで?」


 そんな言葉を信じきれずそう尋ねた俺に、トリスタン様は滅多に見せない殺気を漲らせると、静かに言葉を紡ぐ。


「その蔑称はやめた方がいい。いずれ義弟の真の力を知って恥をかくのは自分だよ」



 俺はこのとき、このお方は何を言っているのだろうと思ったものだ。

 いくら義弟がかわいいからと、それはさすがに身内贔屓過ぎるのではないか。

 【勇者戦術ブレイブ・アルテース・ベルリー】の伝承候補4兄弟のうち、世間の噂にすら上らない三男をそこまで持ち上げるのはいささか度が過ぎるのではないか、と。



 だが、こうして俺の身体を癒やし、蘇生させてくれたのが目の前の【愚者】だと聞き、これまでのトリスタン様の言葉が、嘘や贔屓によるものではないと理解した。


 このときの言葉は真実だったと。


 俺は目の前のアルバート様が困惑するほどに、何度も何度も地面に頭を打ちつけながら謝罪を繰り返すのだった。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


最もアルバートを評価して、それを憚らないのがトリスタンだったりします。






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