第十六話 油断

 


 私の目の前にいるのは、今までに騎士団の任務で数度は会ったことがある龍種の一匹。


 そのままフライリザードを大きく、かつ美しくしたような。

 その翼は漆黒の鱗で覆われていて、その瞳は黒くそれでいて鋭い眼光を放っている。


 フライリザードの数倍は誇る体格を持ち、その胃袋はフライリザード数体程度ならば簡単に収めてしまう。


 その鱗は矢を通すことなく、生半可な剣筋では傷をつけることすら叶わない。その喉元から吹かれる火は辺り一面を焼き、軟弱な生物の生存を許さない。

 打ち倒そうと思えば信頼のおける仲間と共に相対せねばならない。そうでなければ、自身が奴の養分となってしまうだろう。


 銀級冒険者では相手にもならない。金級冒険者並の実力を持って、ようやく相対出来る程の強さを誇る魔物。


 主に山岳の奥地に住まい、迷い込んだ生物を食らう、生態系の頂点の一つ。


 龍種が一匹。ワイバーン。


 今目の前でフライリザードをその足でもって踏みつぶし、首を食い千切った龍がすぐそばにいた。


 その姿を見て、思わず笑みが浮かぶ。

 最近の戦闘と言ったら、銅級冒険者や銀級冒険者が相手にする様な相手ばかり。楽しく闘えるほどの、強敵とは暫く会っていない。


 後ろには守るべき民草もいる。

 騎士たるもの常に強者であれ。そして弱き民草を守れ。


「さぁ、来い! 楽しませてくれ!」


『--------!!!!!!!!』


 此方の誘いに対して、ワイバーンは応じるかのように此方に向けて咆哮を上げる。


「はあああああああああああっっっ!!!!!」


 大きく喊声を上げると共に肺からすべての空気を吐き出し、突進しつつ渾身の力で突きを放つ。

 此方に向けて右手で切り裂こうとしていたワイバーンを、その突きでもって弾き飛ばす。


 弾き飛ばした隙に、大きく縦に振りかぶり二撃目を放つ。

 その剣撃は確実にワイバーンの胴体を捉えた。致命傷には至らないが、それでもその一撃は鱗を割り一筋の浅くはない傷を作り出した。


『----!!!』


 ワイバーンの苦痛に喚く鳴き声が周囲に響く。

 怒り狂ったワイバーンがブレスを吐き出してくるも、地形を利用して難なく避ける。

 森林とは言え身を隠すには十分な起伏もある。平面からのブレスであれば炎を避ける事は容易だ。ヘルメスに被害が及ぶ心配はしなくても良いだろう。


 ブレスを吐き終わった後、ワイバーンは大きく羽ばたいた後に木の高さほどの場所で滞空するの場所で滞空する。


 ワイバーンはその状態で、喉奥を橙色に光らせる。

 今度は高所からのブレスか。しかし私に対してブレスは高所だろうが避ける事は容易い。やはり生態系の頂点と言っても魔物は魔物。どちらが格上かなど理解していないのだろう。



 そう考えたところで、私は自分の致命的な勘違いに気が付く。



 ワイバーンは脅威を私と捉えてはいるが、敵を私のみだと考えてはいない。

 私たちはパーティーだ。つまり、ワイバーンの敵は私と『ヘルメス』。


 敵と相対するにあたり、可能ならば数を減らす。強敵に対する牽制も兼ねる形で行う事が出来れば都合がいい。


 では、その方法は? 平面であれば地面の起伏で身を守れてしまう。



 しかし、空中からなら。



「まずいっ!」


 今のヘルメスにワイバーンのブレスを避ける実力はない。

 私が守る以外の選択肢は、無かった。……例えそれが致命的な隙を晒すことになったとしても。




 ふと、昔クラリス騎士長に言われたことを思い出す。

「べセスタ、君は戦闘に集中すると周りが見えなくなる性質がある……一人で戦うのなら問題ないが、騎士としては未熟と言わざるを得ない」




「プロテクト!」


 ヘルメスの前に立ち、背中に背負った盾を構え詠唱する。

 瞬間、目の前が紅い炎に包まれる。盾に仕込まれた魔法によりヘルメスと共に熱からは守られているが、完全に身動きが取れない。


 ブレスを耐え凌ぎ、視界が開けた瞬間に目に映ったのは今まさに飛びかからんとするワイバーンだった。


「クソッ!」


「ヘルメスさん!」


 ブレスを耐えきった硬直を狙い、ワイバーンは私を両足で掴み空中まで連れて行く。

 咄嗟に右手の剣で足の根元を切りつけるがワイバーンの鱗を傷つけることすら叶わない。


(やはり腕力だけでは力が足りないか!)


 森の全容が見える位置までまで上昇した後、ワイバーンはいきなり急降下を始める。

 これは、私を地面に叩き落とすつもりか!


 落ちるのはまだしも、急降下のままの勢いで地面に叩き付けられたら流石に命運も尽きる。

 覚悟を決め、ワイバーンの足指を狙って剣を突き立てた。


 小さい場所ゆえに、鱗も浅く感覚も過敏。ワイバーンは急な痛みに私を空中で手放してしまう。


 風を受けながら、地面へ吸い寄せられていく。

 速度を殺す手段など、ほとんどなく。





 そのまま私は、背中から地面へ落ちて行った。





「…………さん。ベ……タさん!」


 声が聞こえる。何の声だったか。


 ふと、クラリス騎士団長と行った街で会った娘を思い出した。


 どこか頼りなく、それでいて微笑ましいような。

 けど、違和感を感じる。この声の主は、そんな性格じゃなかった筈。


 これは、彼女ではなく。そうだ、冒険者の。


「……ヘルメス、無事か」


「今は、ベゼスタさんの方が!」


 慌てた様子でヘルメスには重い体をなんとか木陰に引きずろうとしている。

 直ぐ向こうには、怒り心頭のワイバーンが着地し此方に向かってきている。


「済まないな、油断した……」


「いえ、そんな」


 そう言って首を振るヘルメスを止めて、力を振り絞って立ち上がる。


 流石にあの高さから落とされたのは響いた。体は言う事を聞かず、剣を構えるのもやっとか。


「ヘルメス、逃げなさい。ウォーカーの方向に


 私の方は、問題ない。」


「でも! その傷じゃ……」


「私は、ウォーカーからお前を預かったのだ」




「違うわけには、いかない」




 私の言葉を聞き、ヘルメスは決意した表情を浮かべ。

 ポーチから何か宝石のようなものを取り出した。


 彼女がそれを地面に叩き付けると同時に、周囲が煙に包まれる。


 煙に含まれる異質な匂いは魔物の鼻を鈍らせるとともに、人間の匂いを消す効果もあるようだ。


 恐らく、この煙幕はただの煙玉ではなく魔法石だろう。一般的ながらも様々な魔法具店で売られている、『ザ・ミスト』と呼ばれる撤退用魔法石。


 これで時間は稼げる。いいアイテムを買っていたものだ……。


「ウォーカーを呼んできます。それまで、耐えてください」


 そう言って、ヘルメスは走り去っていった。


「いやはや、若いな全く」


 この状況でも絶望することなく、諦めることなく、全員が助かる道を求めるか。

 ワイバーンの猛攻をこの満身創痍の身で凌ぎ切る事は不可能だというのに。


 しかし、そんな彼女だからこそ親しくなれたのだろう。


「死ぬには、いい日だな。……無事に生き延びてくれ。私の初めての、冒険者の仲間達パーティーメンバー


 そう呟いて、盾を構える。


 煙が晴れ、視界が広がる。

 ワイバーンはどうももう一度飛び立って此方を探していた様だ。直ぐに煙の中心にいる私を見つけてくれた。


 左手に盾を、そして右手に剣を携え迎撃の姿勢を取る。

 過度な機動は体が持たない。ここで、攻撃を凌ぎ切る。


 ワイバーンが突進してくる。それに対して、盾を構えて身を守る。

 盾に圧力を感じ突進が甘くなった瞬間に、左上方に向かって突進をいなしつつ右手の剣で胴体を切りつける。


 先ほどの傷跡に追加でダメージを与えた分、ワイバーンにとっては痛かったのだろう。突進の後の離脱が上手くいかずに、木々にぶつかりつつ地面に着地する。



 ワイバーンがその場で振り返る、その怒りに満ちた表情は痛みによるものか、それとも自分より圧倒的に小さき生物に傷つけられた屈辱によるものか。

 怒りの表情のままこちらに向けて大きく口を開く。ブレス。それも、今までよりも本気の。


 避けるには先ほどのダメージが深すぎる。盾で耐えるにしても魔法による保護はまだ使えない。

 ここまでか。そう思いつつ、盾を構える。


 灼熱の炎に焼かれ、命を散らす覚悟を決める。







 その瞬間に、ふと視界の左端から何かがワイバーンに向けて飛来してきた。


 それは、ロープをつないだ手斧だった。その手斧は芸術的な軌道をもってワイバーンの右目に突き刺さる。

 その激痛によりワイバーンのブレスは狙いを外れ、虚空へ向けて炎を放つことになる。


 投擲元を見れば手斧から伸びた縄を渾身の力で引っ張った後にあえて縄を手放し、自身の片手剣で切り掛かる男の姿が見えた。


 ウォーカー。新顔ながら銀級冒険者並の実力を誇る手練れの冒険者。ヘルメスの相方。そして私の。


 いや、私たちの冒険者の仲間達パーティーメンバー


 まるでワイバーンなど何度も相手にして来たかの様に冷静に、彼は剣を振りかぶる。

 ウォーカーの剣撃は、予想以上に正確で。


 ワイバーンの右手の、その強力な鱗の隙間を捉えて両断した。


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