第12話 スパゲティ粉チーズ



 俺の実家を燃やしてから、今時分の気温みたいに、俺の情緒がぐちゃぐちゃしていた。

 暑い暑い寒い暑い、寒い、とてもいい。みたいな。

 刃物も銃もみんな仕舞った。ハマーは車検に出したまま、引き取りに行ってない。俺が死ぬなら別にいいけど一度、マダラを殺そうとした。


 ミートソースのスパゲティを、昼につついていた日があった。マダラが茹でて、レトルトソースをかけてくれた。粉チーズが切れていて、俺だけなんにもしてなかったから、外に買いに出た。

 髭がだいぶん伸びていた。寒かったから、パーカを羽織った。


 階段を降りて外気をあびた。午前中に起きているのも、外に出るのも、久しぶりだった。


 今日もまた、どこかでサイレンが聞こえて、うるさかった。前は、目の前で鳴っていてもなにも気にならなかったのに。高いビル壁に当たって、何重にも反響する音がつらかった。


 近くのバス停のベンチの下から脚がはえていた。


 この国の治安はだいぶわるい。俺の親父みたいなやつが、平気でごろごろいるような国だ。そこらには人が転がっている。殺されたやつや、自分で死んだやつ。頭がおかしくなったやつ。生きている人間はみんな、自分が使うバスの路線や、道に転がる死体は除ける。腕と、脚を、二人一組で掴んで、邪魔にならない日陰に積んでおく。頭がおかしいやつは、見えていないことにした。三日もすればいなくなるか、誰かが死体にする。水曜には業者がまとめてトラックに積んでもっていく。


 これが当たり前だと思っていた。茶色い革、そこらじゅうが剥げたブーツが、片方だけ脱げた足裏を見るのが今日はしんどかった。


 スーパーに着き、カウンタの、鉄格子の向こうにいるバアちゃんに金を出して、粉チーズを受け取る。眼鏡の小さいバアちゃんから、線香の匂いがした。



 家に帰るとマダラがそのまま待っていた。マダラは、粉チーズがないとスパゲティを食べない。

 パーカからチーズを出して渡した。湯気の小さくなった皿ふたつに、雪山みたいに山盛りにされた。


 パルミジャーノの山をくずして、ソースと混ぜた。一口二口、三口目にデカいひき肉の塊があって、むせた。噛みつぶした瞬間に全力で口を閉じて、むりやり飲み込む。涙目のままグラスの水もぜんぶ飲む。ほうり出したフォークの先に、肉がぴたぴたくっついて、目の端から涙が流れていった。


「俺を殺してくれ」

 勝手に口から出ていた。

「いやだよ」

 聞いたことがない声で、マダラがそう言う。

「なんで」

「あれだけ」

「なんだよ!」

「あれだけみんな殺したのに、誰かに楽にしてほしいなんて、だめだよ」


 言われたことがわかんなくて、一瞬、ぼうっとした。

 それから、頭に血が上った。

 テーブルを蹴り倒すと床になにもかも散らかった。飛んだソースが嫌な色をしていて、余計によくわからなくなって、マダラを蹴飛ばして馬乗りになった。

 首に髪がかかっていたから、引きちぎってどかした。マダラがいつも大事にしているネックレスのうえから首を絞める。金属が肉にめりこんでいく。

 ずっと自分の手元を見ていた。隙間から少しだけ見えるマダラの色がじわじわ変わっていった。

 でも途中で手のひらを離した。

 人の首を絞めるのはたぶん四回目だった。

 だから、やめた。

 これ以上絞めたら死んでしまうからやめた。


 マダラがチーズを吐き戻しながら、ひどい声でむせていた。

 俺は地べたの木目をぼんやり見ていた。フローリングの溝にチーズが染みていた。

 ぼたぼたぼたぼた涙が流れて、鼻水と合流した。ひげまみれのあごから、したたり落ちた。

 目の前に影が落ちた。顔を上げられなかった。

 えずき声がして、残りのチーズを頭からかぶった。

 べたべたの髪を引っ掴まれて上げられた。マダラと目が合った。

 なぜだかマダラもぼろぼろに泣いていた。


「おれがッ」マダラのひざが地べたにくずれた。

「おれが死んだらどうすんだよおまえうそだろなんだよやめろよはあ?はああ?なあ、もう」

 顔にいろいろなものが飛んだ。

 もう、さあ、ぶちぶち言う。

 ちょっとだけ言いよどむとマダラは声を張る。

「もうおれしか残ってないよ」

 言って、またぼろぼろ泣き始める。

 スパゲティしんだ。叫んで、床に突っ伏す。

 ふり返ると、しんだスパゲティがずるずるぐちゃぐちゃしていた。

「ごめん」

 それだけ言うのが精一杯だった。





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