消失

「本当にごめんね! 普通に廊下を歩いていたつもりだったんだけど、気づいたらまたこんな事に」


 昭和五十年代の学校に迷い込んだらしい国文小町。

 今回も何事もなく帰ってきた。


 しかしこの迷子という名のタイムトラベル。消えた場所にそのまま戻って来られれば良いのだが、多少ズレがある。

 今回も二人が通う高校ではなく、その裏にある河川敷と何とも微妙な場所へ帰ってきていた。


「良いからさっさと帰るぞ、俺は腹が減った!」

 自転車から降りた学は、小町に声をかけ並んで歩き出す。


 犬の散歩をしているご婦人、ランニングをしている男性、ランドセルを背負った小学生とすれ違う。


 絵に描いた様なだ。

 タイムトラベルだなんて、今でも彼女の冗談なら良いのにと思う。



「お昼食べてないの!? 私のことは気にせず食べてくれば良かったのに」

 それを言うなら、自分が今回も無事に帰ってきた事を喜べば良いのに。暢気なものだと学は思う。

 

 彼女は様々な時代の様々な場所に迷い込む。そこで大抵現地人と交流して、遅くとも数時間後にはあっさりと帰ってくる。


 しかし、絶対危険な目に遭わないと言い切れるだろうか。


 恐ろしい病が流行った時代もある。人々が争った時代だって、戦争で爆弾が落ちてきた時代もある。


 何故かメッセージアプリで連絡は取れていた。

 それでも彼女の無事を祈り、帰還を待つだけの時間は、自分の不甲斐なさを痛感するばかりだ。


 帰ってくる場所を選べない彼女の為、そこへ自転車を走らせて迎えに行く事。

 それが今の学にできる精一杯の手助けだった。




「何か食べる物あったかなぁ。お弁当はもう食べちゃったし——そうだ!」

 パッと花が咲いた様な表情を浮かべ、彼女は制服のブレザーの内側を探る。

 どうぞ、と差し出してきたのは、ラッピングされた顔と同じサイズのクッキーだった。

 学は立ち止まる。


「まだそれ、作ってたのか?」

「懐かしいでしょー。覚えてる? 初めて会った時にもあげたよね」

 その巨大なクッキーは、彼が小町と出会った思い出のクッキーだった。


「これに驚きを感じない時点で、だいぶ俺はお前に毒されてるよな」

 学は袋からクッキーを少しだけ出し、それに齧り付く。


 素朴で甘ったるい。正に手作りクッキーと言ったその味は、とても懐かしく優しい味だった。



 顔を上げると、小町が学を見つめて笑みを浮かべていた。傾きかけた日の光がその頬を橙色に照らしている。

 彼女は傾いた太陽に身体を向けて、伸びをした。


「あー、もうこんな時間か。迷ってると時間が経つのが早いよね」

 彼女が先に歩き出す。

 川の水がチラチラと輝き、陸橋を電車がガタゴトと音を立てながら通る。

 小町の後ろ姿が、驚くほど絵になっていた。


「早退届は出しておいたが、また二人とも休日は補修漬けかもな」

「えー、まあ、二人揃ってだったら恐くないか!」

 学は短くため息を吐いて俯いた。


 何だその理論は、小町にそう言ってやろうと顔を上げる。


「は?」


 学は彼女の姿を見失った。


 周囲を見回すも、何処にもいない。

 まさか転げ落ちたのかと坂の下を覗き込むが、ただ雑草が生えているだけだった。

 一瞬目を離しただけなのに。


 呆然としていると、スマートフォンがメッセージの着信を告げた。

 その画面に表示された名前に、ホッと息を吐く。

 小町からだった。

 何だいつもの迷子か、と納得してメッセージを確認する。



『どうして』

 思わぬ小町の言葉に、心臓が大きく脈打った。

 慌てて返信を打ち込む。

『どうって、一体何があった!?』

 彼女のメッセージは、やけに辿々しい文章だった。


『何処か迷い込んだみたいだけど、違うの! 人が誰もいなくて、エスエフ映画みたい。ロボットが、追いかけて』

「ロボットだと」

 どう言う事だ。

 しかも、追われているだって。


『だめ』

 その言葉を最後に、小町からのメッセージが途絶えた。



「オイ!! 小町、大丈夫か!?」


 学は何度もメッセージを打ち込んだ。しかし、エラーが表示され送信すらできない。

 もしかしたらと電話もかけてみるが、無慈悲なアナウンスによって電波が届かない事を告げられる。


 全身から血の気が引いていく。

 指先が震えて、スマートフォンを取り落としそうになる。

「いや、駄目だ……っ」

 学は拳に力を入れ、無理矢理その震えを止めた。


 片手に握ったままだったクッキーの残りとスマートフォンを鞄に押し込む。

 そして自転車に跨がった。


 もしかしたら、以前彼女が迷い込んだ場所に手がかりがあるかもしれない。既に帰ってきているかもしれないから、以前戻ってきた場所もあたってみよう。


 望み薄だが、このまま彼女の帰りを待つだけなど耐えられない。


 学は歯を食い縛ると、ペダルを強く漕ぎ出した。

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