迷子


 ところが、待てど暮らせど彼女は一向に戻ってこない。

 既に三十分程の時間が経過している。何処かで迷ってでもいるのだろうか。


 そう思い始めたその時、彼女からメッセージが届いた。

『ゴメン! 私、方向音痴で、迷っちゃったみたい!』

 やはりそうだった。

 そう言えば昔からしばしば道に迷っていたな。

 完璧な小町にも欠点があるのか、と学はどこか微笑ましい気持ちを抱いていた。


 この時までは。


『迎えに行くから、目印になる場所を教えてくれ』

『ありがとう! ゾウさんの前にいるよ』

 象のエリアはもう少し先だ。また随分と移動したんだな。


 学は了解と打ち込み、すぐに彼女のいるはずの場所へ向かった。



 しかし、象のエリアに来ても、小町の姿は何処にも見当たらない。

「まさか、方向音痴だと言っていたくせに、動き回っているんじゃないだろうな!?」

 周囲を注意深く見回すが、やはりここには居ない様だ。


 学は柵の中でのんびりと歩く象を背に、再びスマートフォンを取り出す。

『いないぞ? 移動したのか?』

『え!? まだゾウさんの前にいるけ』


「——ん?」


 彼女からの返信が不自然に途切れた。

 思わず声を漏らし、スマートフォンを凝視していると、

「学くん、ごめーん!」

 前方から小町が駆け寄ってくるのが見えた。

 学の目の前まで来ると、彼女は胸に手を当てて息を整える。


「なんだ。結局居たのは象の前じゃなかったのか」

 学はまたしまったと思う。

 内心小町が見つかってほっとしている癖に、咄嗟に気の利いた言葉が出てこないのだ。



 しかし彼女は全く気にした様子はなく、堰を切ったように話し始める。

「ゾウさんが目の前にいたのはいたんだけど……そのゾウさんが変わってて。私もしかしたら、変な所に迷い込んじゃったのかも! 何度かあったんだよね、こう言うこと」


「はあ」

 気のない返事だが、実は頬を紅潮させた小町の表情に、見惚れていただけだったりする。


「これがそのゾウさんの写真ね」

 彼女はそう言って、自分のスマートフォンを差し出した。


 何も思わずに受け取って、学はその画面に視線を落とす。


「な————」

 そこに写っていた物に、後ろにひっくり返りそうになるくらいの衝撃を受けることとなる。


 彼女が見せてきたスマートフォンの写真には、サバンナの様な平原と、それをバックにピースサインをする小町。


 そして、毛むくじゃらで大きな牙の生えた象が写っていた。


 まさかとは思うがこれは、大昔に絶滅したナウマン象というヤツでは。


「あ、そう言えばジュース買ったんだけど、そこで会った男の子にあげちゃった、ごめんね」

「いや、それよりも、冗談、だよな……?」

 ネットで見つけた画像と自撮り写真を適当に合成させた悪戯、だろう。

 そうと言ってくれ。


 しかし学の願いも虚しく、国文小町は天使の様に澄んだ瞳で見上げてくる。


 駄目だ。

 小町は学の知る限り、このような悪戯をする人ではない。


 学は一呼吸置くと、無言でスマートフォンを彼女へ返却した。


 そして、

「——まあ、向こうにカピバラがいるらしいから、行くか」

「え、行く! 私カピバラ大好き! ぼーっとした感じが可愛いよね」


 彼は思考を放棄した。






 小町と出かけていると、よく分かった。

 彼女は彼が記憶していたよりも遥かによく迷う。

 週三何処かしらで迷子になり、しかも月に一回は、非常識な場所に迷い込んでいるのだ。



『なんか映画の撮影現場に紛れ込んじゃったみたい』

『時代劇なのかな、お侍さん? がたくさんいるよ』

『お城のテッペンに登ってみたけど、これ、いつものヤツかも。他に高い建物が一つもない』

 数ヶ月前、迷子の小町から届いたメッセージだ。


 その後戻ってきた彼女から、江戸時代だか何だかの城の写真を見せられた。


『京都? 京都の道ってこんなに広かったっけ』

『スゴい、牛さんが車を引いてる!』

『あ、また時代が違うかも、これ。男性と女性の服装が雛人形みたい。なんて言うんだっけ』


 その後何故か、十二単を着た長髪の女性と仲良く自撮りをしている写真を見せられた。


『外国にいるかも。お肌の色が真っ黒で爪がカラフルで長くて、メイクもギラギラで個性的なんだよ』

 その後彼女のスマートフォンを見て、

「それは九十年代後半に流行したただのギャルだ!!」

 などと、言うような事もあった。


 こう幾度となく繰り返されれば、学も諦めて信じる事にした。


 国文小町は全くもって不可解な事に、時空を越えて迷子になるのだ、と。

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