迷子の迷子の小町さん

寺音

 彼、越科学こしな まなぶは根暗である。

 運動は苦手だし、体育の授業など滅びてしまえとも思っている。愛想も口も悪く、正直友人も多くない。


 しかし、そんな彼も人並みに恋をしている。それは、学とは決して釣り合わない、素敵な女性だった。



 一つ年上の高校三年生、国文小町こくぶん こまちは隣の家に住む幼馴染。彼が就学前、今の家に引っ越して来た頃からの仲である。

 彼女はスポーツ万能で友人も多く、太陽のような笑顔が眩しい女性だ。

 どうしようもない学にも優しさと思いやりを欠かさない。

 その名に反して、少し勉強が苦手な所もご愛嬌だ。


 憧れ続けて早十数年。幼馴染の特権を利用して何だかんだと交流は続いているが、全く進展はない。


 彼女の、唯一とも言える欠点。それが学を躊躇させている原因だった。





 今日、学は小町と一緒に昼食を食べる約束をしている。登校途中、偶然彼女を見つけた時に意を決して誘ってみたのだ。


 一学年の隔たりは結構大きい。何かしら行動を起こさなければ、一緒にいること自体難しいのである。


 待ち合わせ場所は、体育館の裏だ。

 人気のない場所にしなければ、嫉妬混じりの他人の視線に学が耐えられない。


「しかし、遅いな」

 入り口の階段に腰掛け、彼は腕時計を見ながら呟く。


 昼休み開始のチャイムが鳴ってから、数十分。

 彼女の教室から結構な距離があるとは言え、いくらなんでも遅すぎだ。


 嫌な予感がする。


 タイミング良く、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが振動した。

 取り出しタップした画面には、予想通りのメッセージ。


『ごめん、また迷っちゃったみたい』


「やっぱりか……」

 学は額を抑え、天を仰いだ。

 彼にとって小町は完璧な女性だ。しかし、彼女にも欠点がある。



『ねぇ、ウチの学校って木造校舎あったっけ?』

『何だか窓の外の景色が違うような……』

『え、今の年号って何だったっけ?』


 続けて送られてきたメッセージ。どうも雲行きが怪しくなってきた。


 令和と呼ばれる様になってから、早十数年が経過している。

 にも関わらず、こんな惚けた事を聞いてくると言う事は。


 学はサンドイッチと緑茶の紙パックを鞄に閉まった。


 彼女はよく迷子になる。

 それも並の方向音痴ではない。


 それは時に、

『ごめんまたやったみたい。ここ、昭和五十年だって』

「アイツまた、時空を越えて迷ってやがる……!?」

 時空を越えるのだ。






 学がそのことに気がついたのは、今からおよそ一年前。高校生活初の夏休みでの事。


 ある日学は小町を動物園へ誘った。チケットが余っただとか、室内で勉強ばかりだと健康に悪いだとか、そんな言葉をありったけ並べ立てた。


 以前から行ってみたかったのだと、あっさり彼女の了承を得た時は、内心小躍りしたものだ。



 実際に動物園へ来てみれば、可愛いとはしゃぐ小町は年上とは思えないほど無邪気で。

 普段見せない表情をこっそり見下ろしては、学は胸を高鳴らせていた。


「あー、キリン可愛かった! 学くん、本当に誘ってくれてありがとう!」

 園内を半周し、土産物屋が集まる中央のエリアまで二人はやってきた。


「私ばっかり楽しんじゃってるけど、学くんは疲れてない?」

 小町が首を傾げると、肩まで伸ばした濡羽色の髪の毛がサラリと揺れる。

 雪の様に白い首筋が顕になった。


「疲れたけど、それを承知で連れてきたし」

 心臓が爆発したかと思った学だったが、そこは得意の仏頂面で冷静に取り繕う。


「やっぱり疲れてるの!? ごめんね、気がつかなくて」

 しまった、と彼は焦った。

 彼女には気兼ねなく楽しんでもらおうと思っていたのに。

「ああ、いや、別に大したことじゃ……」

 顔の前で手を振り、慌ててそれを否定する。


 すると小町は、何か思いついた様に両手をパンと合わせた。

「じゃあ、少し休憩しよ! 私、ジュース買ってくるね」

 そう言うと、あっという間に駆け出してしまった。


 その役目は自分が担いたかった。

 そう思ったが、悲しいかな彼女の瞬足に彼は追いつけない。


「こっそりぬいぐるみでも買うか? いや、好みじゃなかったら邪魔になるだけか?」

 何か別の方法で挽回しようと、学は小町の帰りを大人しく待つ事にした。


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