第10話 皇太子ボヘミァ

 ザッファーラが刃渡り1メートル程の細身の剣を百ほど、どこからか取り出して、ドラゴンの肉を使った串焼きパーティーが催されていた。

 もちろん村からはありったけの酒がふるまわれた。

「ダン。強さの秘密を聞きたいのだが」

 酒豪といわれたダンは色々な人間から感謝の杯を勧められ、そのほとんどを受けているが少しも酔っているように見えない。

 城壁の上で、酒を片手に地平線をにらんだ。

 皇女ロスマリンが肉の串焼きをもってあらわれた。

 皇女とお近付きになりたかったアンリだったが、彼女のダンヘの視線を見たときスゴスゴと男達の輪のほうへ帰っていった。

 騎士道物語で男女の愛など語られるが、皇帝はハーレムを持ち、そこに滞在する五百人ほどの女達は皇帝の子供を産むことを使命とされていた。

 そんな環境で育った皇女ロスマリンは男のそういう物には寛容なのかもしれない。

 アンリはダンが相手ならば引き下がるしかなかった。

「ガキの頃、ザッファーラに毎日『スーパードリンコ』という怪しげな薬を飲まされてはいた。他人との違いを求めるなら、そこだけだろう」

 皇女がさしだした剣を受け取り、串焼きされた肉を食った。

「以外と味付けは旨いな、ザッファーラにさせると塩辛くてしかたがない、歯応えは違うのだが、どんな料理も同じ味がする、食えないほどではないのだが…」

 あれだけの人間だ。

 完全な女であるはずがない。

「皇女、強さに興味があるようだが、あの薬は成長期でないと効かない」

 ザッファーラが現れた。

 皇女は相変わらずザッファーラは神出鬼没だと思った。

 切られた足はくっつければ十秒程で復活する。

 レイナの回復魔法を必要としていなかった。

「来たのか」

 ダンがザッファーラに聞くとコクリとうなずいた。

「皇太子が来た、宴を一時中断。迎え入れる段取りを」

 シスターレイナを中心に輪を作っている男達が立ち上がった。掃除をするもの、さらに肉を焼くものそれぞれが持ち場についた。

 城壁には帝国旗が立ててあるが、アンリが辺境伯の旗を持ってやってきた。

「キャー、あの旗は兄貴の旗だ」

 東の地平に現れた。その数、三千。

 しかも道路を二列縦隊で来る事なく、軍を横に広げて展開させていた。

 喚声をあげた姫だったが不自然な動きに笑顔が凍りつく。

「早すぎる」

 姫様付きの白髪の騎士ブライアンが答えた。

 彼はシスターレイナの回復魔法で完全に本来の自分を取り戻していた。

 もっともザッファーラはちぎれた足をくっつけるだけで、しばらくすると普通に歩き出した。そこには現代の魔法技術は介在しなかった。

「あの軍隊、様子が変だ、槍だけで構成されている。攻城兵器や飛び適具はなし」

 アンリが軍隊をにらんだ。

 かなり高速を約束された装備である。

 辺境伯の旗をクルクルと丸めて戻した。

 ダンのように戦場暮らしが長い分けではないが野生の勘が働き、殺そうとする人間の意思を見分けることができた。

 効率的に殺すならば飛び遣具を重視する。

「ダン。どうする。この場は姫だけを置いてシャンリーの所に駆け込むか」

 様子がおかしい、アンリがすぐに理解した。

 説明はできないが、野生が反応し、野生が教えてくれる。

「オレに反逆の意思はない。

 赤心を人中に置く。

 疑われる行動は取りたくはない」

「オレは皇太子を知らない。ダンの判断に任せる」

 アンリはそれだけを口にしたが、全員馬に乗ってくれと指示をした。

 兵達もタダならぬ雰囲気は感じていた。

 何人かはダンの領土から付いてきている、古参の兵もいた。

 全員が武器を取り出した。

 指を口に突っ込んで酒を吐き出す者がいる。

「ザッファーラお前はクロに乗って、この場を去れ」

 短く命令した。

「嫌だ、あの軍隊には殺気がある」

「どういう事」

 ザッファーラが答え、皇女ロスマリンが聞いてきた。

「ここに来る途中、敵の儀式的な魔法を解決したのはザッファーラだ。

 だからザッファーラはこの場にいてはならない。

 皇太子は興味を持ったのだ」

 ダンが皇女に説明した。

「嫌だ」

 ザッファーラが短くはっきりと口にした。

「この時代の道徳の中に、妻は夫の言うことを聞くと言うのがある。

 オレを夫と認めてくれるなら。

 お前が生きている、この時代と人間の道徳に敬意を払ってくれるのならば、黙って馬に乗ってくれ」

 ダンは無表情に命令した。

「狡い」

 怒りでもない、悲しみでもない、二つを混ぜた複雑な表情をした。

「男は皆そうさ、最も愛する者に一番嘘をつき、一番隠し事をし、見られたくない物を入れておく隠れ家まで持つ」

 ダンが笑った。

「ダン。お前が死んだら、私も死ぬ」

 ザッファーラはクロに乗った。

 彼女はダンの意思を尊重した。

「好きにしろ。

 月の女神ディアナですら、お前に墓守りを命じなかった。

 オレの死後まで、お前の生き方を束縛はしない」

 ザッファーラは一度見て、そのまま皇太子とは反対方同にクロを走らせた。

 鈍い鉄色の鎧を着た男が軍の中で一人だけ馬に乗っていた。まだ軍を進めない。

 槍を構えさせて横に広げ息を整えさせている。

 ダンが大剣を抜き、右に左にと8の字に振りながら城壁を左右に十六歩ほど動く、体を暖め筋肉をほぐすと同時に、汗と共に体内のアルコールを排出する。

「こんな所か」

 皇太子の軍隊、ダンの軍隊。

 全員がダンの剣の舞を見た。

 ダンが視線を気にせずに剣の舞をやめ、静かに城壁から降りた。

「ダン、心配するな。私がいる」

 皇女が答えた。

 皇女が血塗られた大鎌を持ってダンに続く。

「君の知らない兄上に会える。申出は有り難いが無理をするな」

 珍しく皇女に対して優しく話しかけた。

「ダン・ジョウ・ストレンツオ様。祝福を」

 降りてきたダンに駆け付けたシスターレイナが口にした。

 命を懸けて助けてもらった人間にはダンが心配だった。

 政治の事は分からないけどダンがどうにかされるのなら、命を懸けて陳情しようと思った。

 ダンは剣を抜いてぷっきらぼうに突き出した。

 迷惑に思っているわけではないが、女性に渡すにはダンの剣は重すぎる。

「もう少し、優しく差し出せ」

 皇女が相変わらずだなという顔をした。

 水平に差し出された剣の下端に両手を添えて、剣の腹にキスした。

「ありがとう」

 ダンが短く、少し照れながら口にした。

「何があったのかは分かりません、でも私は信じています。神の加護を」

 少し大人びていた少女が、顔をくしゃくしゃにして涙を流し始めた。

 シスターと尊敬の念を込めて『シスター』と声をかけていたが、何か突然少女だったことを思い出したかのように泣いた。

 ダンも困った。

 女を泣かせた事がないのが自慢だったし、帝国貴族の美徳の中に「可愛いあの娘の涙に負ける」というのがある。

「大丈夫だよ」

 シスターレイナの頭をクシャクシャとなでて、門から出ていく。

 皇太子が真紅のマントを翻し、右手を高く掲げた。

 無言で下ろすと同時に、帝国兵が槍を構えて進み出てくる。

 皇太子とダン。

 二人は剣が届かない間合いまで近付いた。

 馬上にいる皇太子は兜を捨てた。

 痩せている印象があるが体は極限まで鍛えている。

 細い鋼線を寄り合わせたような筋肉を持っている。

 鉄の鎧を着ているから首回りの筋肉しか分からない。

 髪を優雅にかきあげたとき、女ならば5歳の子供でもグラリと倒れるフェロモンがムンムンと漂う。

 男の間では陽気な人で、ワインの樽に肩まで突っ込みながら酒を酌み他人に勧める。

 本人にも周囲にも笑顔が切れない不思議な人だった。

 あの雰囲気ムードは理性と知性で造りだしている。

 自然体ではないだろう、本人の持っている気質を周囲の人間もつかみかねている。

 どこか謙譲の精神を知っている人で、相手を見下ろすようなことはしなかった。

 それは皇女ロスマリンが知らない兄の顔だった。

「騎土ダン・ジョウ・ストレンツオ。

 私の怒りが分かるな」

「臣に何の罪が、アレは頭の悪いことをしたと反省していますが、無脳を罪に問われると言うのならば、帝国の在り方そのものが変わる」

「兄上、ダンに」

「黙れ、ロス、これはお前ごときが口を挟む間題ではない」

 静かだが声は良く通る。家庭内ではロスと呼ばれていた。

「ダン。ロスをやる。

 ザッファーラはお前の身に過ぎている。素直に渡せ」

 兄はダンを知らない。

 ダンが言うはずない。

「分かりました。将軍の件はよろしくお願いします」など言いながら、ザッファーラを差し出して、皇女の手を引いて家に帰る。などと。

 帝国の首都アレクサンドリアで犬頭のコバロスが子供にいぬ扱いされるのを見て、怒って殴り付けた男。

 誇りある行動をとる生き物を人間扱いしなかったとき、身分を問わず烈火のごとく怒り、敵を作っていく、実に不器用な男。

 そして勇気がロスマリンには羨ましかった

 ダンは涼しい顔をして聞いているが、ザッファーラを人間として扱われていない現実を前に内心は怒りの業火で渦巻いているに違いない。

 彼にとって愛の対象でこそあれ、他人に渡せる道具などではない。

 兄の皇太子がザッファーラの美しさの惚れたと言うのならば、ダンも怒りはしなかった。

 だが、暗殺機械の類いにしか見ていない男に百万の敵を前にしても渡しなどしない。

「勝手に決めるな」

 ダンが怒って飛び出す前に皇女が大鎌を手に叫んだ。

 二人が致命的な衝突をすればダンは死ぬかもしれない。

 ダンが死ぬ。

 皇女にとって婚約者の死を聞いても動揺しなかったが、『ダンの死』考えたくない。

 胸が狂おしく切なくなる。

 私が突撃してダンを…。

 逃げるような男ではない。

 目で『ダン』と叫びながらダンを見た。

「将来の将軍職か、この場での速やかな死。どちらかを選べ」

 皇太子は静かに告げた。

 それが死刑宣告であるとは知らなかった。

 ダンはフッと鼻で笑った。

 子供の頃からザッファーラの膝の上で『将軍になりたい』と口にしていた男が、まるで将軍職など、犬のクソのように価値が見いだせないでいるかのように、短いがかなり馬鹿にした笑い方をした。

 ダンの幼き日の夢。

 男の夢など、ザッファーラを道具として使う野蛮人の欲望を満たしながらかなえるものではない。

 夢を捨てた。

 命を捨てた。

 帝国貴族が最も大切にする『信義フィディス』を守るために。

 誰かが皇太子に教えなくてはならない。信義フィディスの大切さを。

「速やかなる死を」

 ダンは剣を抜きながら堂々と良く通る声で答えた。

「うわあああああああああああ」

 今生まれた赤ん坊のようにロスマリンが叫んだ。

 側にいた皇女も大鎌を持って構えダンの背中を守った。

「ダンが死ぬならば、帝国の信義フィディスをかけて私も死ぬ」

 大声で叫んだ、妹殺しをしてまで奪わねばならないのか…。

「初めてお前が好きになったよ」

 ダンが口にした。

 ダンには分かったのだ。

 皇女が自分の命をダンの盾にしようという計算ではなく、心からダンとここで死のうと決めたことを…。

 ダンと共にドラゴンと戦った男達が弓を手に城壁の上に並んだ。

 百人前後では戦にならないだろうが、共に焼き肉パーティーをし、背中を預けた男達が死を覚悟し。ダンと共に戦うことを決めた。

 ダンに死に場所を求めた。

 そして、心から納得した。

 これでいいと・・。

 ただアンリだけは帝国旗と辺境伯の旗を掲げた。そこに可能性を求めた。

「ダン・お前は自分が何をしているのか分かっているのか。

 それが正常な判断なのか」

 皇太子は無表情で冷静だった。

 粗末な門には聖職者の白い衣装を着た少女が祈りながら立っている。

 ダンの助命に命を懸けて嘆願しようとしたが、軍隊の持つ独特の殺気は彼女を一歩も動け無くし、一声かける事もできなくした。

 皇太子の瞳には困惑の色があったのを、ダンの怒りに燃える目がとらえた。

「その言葉そっくり返しますよ、あなたは何にとりつかれているのですか」

 ダンが答えた。

 皇太子の部下でもっとも年の若い槍を手にした少年が泣きながら叫んだ。

「ストレンツオ様のおっしゃりようは正しいと思います。

 信義フィディスがあります」

 それだけを口にすると泣き出した。

 この場にいた全員が聞こえないふりをした。

 皇太子も攻撃の命令を出さない。

 ダンも切り込んではいかない。

 そして時だけが無為に流れた。

 ヒュルルルルルーン

 ダンと皇太子の中間に槍が刺さった。

 全員が槍の軌跡をおったとき、この寒空の中、上半身むき出しの赤いパンツをはいた初老の男が一際大きな白馬の前足を跳ね上げていた。

 掲げられた巨大な左手の向こうで、裏地まで赤で統一した真紅のマントが強烈な北風の中で翻った。

 厚い胸板、割れた見事な腹筋、人間を全体的に二回り大きくした男が馬をこちらに寄せてくる。

 その後ろを上半身むきだし、かつ坊主頭の筋肉漢達が後ろから続いた。

 東方の僧侶の証しである、ほくろのような烙印を額に8個つけている近衛隊長リー・ウー・フェンが先頭だった。

 彼等が奉じていた密教の寺院がコウ・シシンに滅ぼされてから帝国に亡命した。

 タイキョクケンと言う怪しげな拳法を使い、皇帝陛下に気に入られて、今の職責についていた。

 背中には2メートルになる鉄の六角棒がからわれている。

皇帝陛下カイザー

皇帝陛下カイザーだ」

皇帝陛下カイザーが来られている」

 兵士達がざわめいた。

「双方、武器を地に置け」

 穏やかな声だが声量はある。

 どこか腹に響くように重い。

 雷鳴にうたれたかの如く兵達が機敏に武器を置いた。

 シン・オブ・オーダーのアンリも黙って城壁から降り、圧倒的な威厳に触れてすぐさま武器を置いた。

 ダンや皇女も地面武器を置き、片膝をついて頭をたれた。

 顔には幾重にも深いシワが刻まれているが、必要ゆえについたシワであり、老いを感じさせるようなものではなかった。

 確かな足取りで一歩一歩、踏み締めてくる。

 ベルトには燦然と輝く『帝』の一字。

 はるか東方より送られた金細工。

 だがそれがなくても帝王だとわかる圧倒的なカリスマを備えていた。

 左には左将軍、白熊のハレック。

 巨人の血をひいているようで、巨漢のダンよりも一回り大きかった。

 マントまで一体となった白熊の頭部をかぶり、白熊の毛皮で作ったパンツをはいている。

 上半身は裸だが、手首には白熊の手の部分がくくりつけられてモモンガのように動きと一体化していた。

 胸には熊にひっかかれた三本の傷が目立っている。

 右には右将軍、モリノカミ・タナカ。

 東方のパンツ真紅のふんどしを締めている。

 腰のさしてある日本刀サムライブレードも珍しいが、何より珍しいのが頭の頂頭部を剃りあげ、後頭部で花開いたようなチョンマゲを結っている。

 全身に網の目のように刀傷があるが背中には一本も傷がなかった。

 見事な肉体美の持ち主ではあるが、頭部を見たものは悩ましげな髪形に三日は眠れなくなる。

 現役の二人の将軍が皇帝の両翼を守っていた。

「立てー。皇太子。歯を食いしばれ」

 極寒の中で吐く息は白い。

 皇帝は拳を振り上げた。

「押忍」

 皇太子は大声をあげながら立ち上がった。

 足をハの字型に曲げ、腰を落として、拳を両肩の辺りで構えた。

「このドアホが」

 帝国流拳法奥義・カイザーナックルが皇太子の腹部に炸裂した。

 皇太子を包んでいた最新の魔法技術による軽量化、そして帝国の最高峰の鍛練技術によって作られた、カスタマイズでチューンナップされた鎧が拳上に陥没した。

「グッノ」

 黄色の胃液をまき散らしながら、皇太子は地面を舐めた。

 苦しみ呼吸が整わぬ皇太子に、静かに威厳のある声で語りかけた。

「馬鹿モノ、オレは人間の忠誠しか求めたことはない。

 オレは人間の忠誠は家族や故郷への愛の下にくると思っている。

 時には、他人や組織のためにたった一つしかない命を投げ出す者もいる。

 だからこそ、残された家族の面倒は全力をあげて見なくてはならない。

 信義フィディスを尽くしたものに最大の感謝を示すのだ。

 王など裸の男にしか過ぎん。

 彼等の美しい責任感が帝国を作っているのだ。

 そしてダンも、帝国のために命をささげる男だ。

 貴様は忠誠の意味をはき違えている。

 自分の妻を差し出して出世する者は人間ではない。

 出世欲にとりつかれた亡者だ。

 お前は、そんな怪物を信用して将軍職まで渡すのか」

「しかし、ザッファーラは…」

 苦しみながらプロセスを説明しようとする。

「報告は受けている。

 ザッファーラは強い。

 アカデミーの魔法使いすべてをもってしても勝てぬだろう。

 向こうに攻撃が届かずに、こちらへの攻撃は届くのだから。

 しかし料理が特別に上手い女がいるからといって奪うわけにはいかん。

 その程度の事も分からんのか。

 個人の武勇が帝国全土の運命を左右するなら、帝国がこれまでに大切にしたプロセスの全否定になる。

 皇太子よ、人妻を権力で奪ってはいけない」

 皇帝は皇太子を後ろにゆっくりとダンの方へ歩きだした。

「私が未熟者でした。目が覚めました。

 ストレンツオ殿大変済まないことをした。心から謝罪する」

 皇太子は素直に謝罪した。

「反省し、そして勉強したまえ。

 ザッファーラ一人で帝国の運命は変わらん」

「は、かしこまりました」

 皇太子は震える体をおこし臣下の礼をとった。

「ダンと学校時代より大きくなったな」

 ダンの側まできてかがみこんだ。

「その節は、大変…」

 ダンがしどろもどろ口にした。

「気にするな。

 ワシも少しいたずら心が出てな。

 入学早々武道教官を倒した男がどんな奴かと気になってしたこと。

 仮面をつけていたのだ、ワシの方が悪い。

 アバラの5本ぐらい、お前が気にすることではないわ」

 ガッハッハッハッハッと豪快に笑った。

「済まないことをした、ワシが頭を下げるから、水に流してくれ」

「陛下に頭を下げられては、臣、身の置き場に困ります」

「相変わらず、謙虚な奴だ」

 そのセリフを聞いて皇女ロスマリンが露骨に嫌そうな顔をする。

 彼女はずっとダンの傲慢の部分と触れていた

「風邪をひいておられると聞いたのですが」

「ワシも寄る年波には勝てん、風邪なんかこの年になって初めてひいたぞ。

 余計にお前のような若者達が次々に現れて、下から帝国を押し上げている姿を見るのが嬉しい。

 どうする、一杯つきあわぬか?

 さいわい肉はたっぷりあるようだ。

 シャンリーの悪ガキから聞いているぞ、かなりいける口らしいな」

「預かった兵を辺境伯にお返しせねばなりません。また後日と言う事で…」

 帝王は嬉しそうに目を細めた。

 多少義理堅すぎる所もあるが、責任感ある若者が成長していく姿は、この年齢になると頼もしく思えてならない。

「ダン・ジョウ・ストレンツオ。君には期待している」

 ダンの年齢を考えるならば最大の賛辞だろう。

 皇女ロスマリンを含めて、周囲の兵が羨望のまなざしを送った。

「凄えよ、ダン」

 アンリが少し感激して涙ぐんだ。

 ダンはアンリの側にやってきて、率いてきた兵をまとめ騎乗の人になると、縞麗な四列縦隊を作った。どの様な調教をしたが分からないが馬までダンの指揮の下足並みを揃えた。

「皇帝陛下に敬礼」

 ダンの号令一下、一騎乱れずに敬礼し、そのままシャンリーの陣所へと向かった。

「いい漢だ。男ぶりがいい」

 皇帝陛下が溜め息をつきながら、思わず本音を漏らした。

「あの様な息子が欲しいものだ」

 適齢期の皇女ロスマリンを震撼させるものだった。

 皇帝トハルト、皇太子、皇女ロスマリンが馬上の人になった。

「父上、ここに兵は割けないのですか」

 見送る村人とシスターレイナを見ながら答えた。

「割けん」

 皇帝は短く答えた。

「帝国には教会擁護の建て前があるでしょうに」

 皇女ロスマリンがくいさがる。

「ここに敵の防衛用の巨頭保として大掛かりな城を建造しようと思う。

 ロスは結婚して、夫と共にこの地を守れ。

 人選は皇太子と相談しろ。

 あまり現実的でない作戦を口にするな」

 皇女ロスマリンは帝国が兵をだして、この地に秩序を作ろうとする決断に感謝し、そしてやはり出てくる結婚話に嫌気がさした。

「裸を見られたダンジョウ辺りどうだ、同期の周辺ではピカイチの戦績だぞ。

 戦乙女バルキリアヌスの二つ名に相応しい者は他にいないだろう。

 お前にもプライドが有るだろう。

 自分より弱い男を夫にはしたくないだろう」

 皇太子が笑いながら口にした。

 それはロスマリンがよく耳にする、いつもの笑い声だった。

「『逃げの』異名がですか。あの者は田舎者ゆえ、皇族に迎えるのは気の毒です」

 なんとか逃げ道を探った。

 ダンは皇帝のお気に人り、下手なことは言えない。

「儀式的なものは、全てお前が受け持てばよい。

 ダンジョウは深窓の令嬢のように優しく扱えば貴族の社会にも心を開くだろ。

 あの男は士官学校時代、お前がいじめ過ぎていたから自信がないのだろう。

 辺境伯も心配していた」

 話しあえと言っていた皇帝がいきなりプッシュしてきた。

 本当にダンの事を気にいっていた。

 多くいる娘達の処理もせねばならなかった。

「私も確かに幼かったと思いますが、私ばかり悪いわけでも…」

 はわわわわ、悲鳴をあげて逃げたくなるがこらえた。

「お前が悪い。

 だいぶ恥をかかせたみたいだな。

 残酷なサディスト」

 皇太子が口にした。

「私は…」

「言い分はあるだろうけど、トラウマになるほどイジめるヤツがいるか。

 父親が傭兵あがりで、まだ自分の才能にも自信がない時期だろうに」

 ダンの事を気にいっている皇帝が説教を始めた。

「済みません」

 もう。誤っておくが吉である。

「あの者は人外の愛人を持っています。

 デミゴッドと寵を奪い合うなど、不気味でたまりませんわ」

 毛をむしられたことを思い出しながら口にした。

「殺してでも奪え、それが純情乙女道だろう」

 皇帝が煮え切らない皇女ロスマリンにイライラしながら口にした。

「多少、いいなと思わないでもないですが、命懸けになる程は惚れていません」

「アレは女としては不完全だぞ。子を産まぬという情報が入っている」

 皇太子のほうが口を挟む側になっていた。

「私は剣を持つ者、子供を産む道具には成りたく有りません」

「それでもお前は惚れた男の子供は産むのだろう。

 まあいい、これ以上の会話は不毛なようだ」

 皇帝が少し淋しい顔をして続けた。

「ただこれだけは覚えておいてほしい。

 帝国は最大版図を手にいれた。

 英雄の血統は伝説の剣を手に人れ、勇者は古代の兵器を手に入れた。

 アカデミーは予言が解読し、教会には無垢なる天使が降臨した。

 永遠の放浪を続ける予言者が一部の貴族の周辺で現れた。

 異国のカステラヤ魔道帝国では飛空船が量産可能になったらしい。

 そして我が騎士の一人は半神半人デミゴッドを妻とした。

 なぜ光だけがこんなにも巨大化せねばならん」

 皇帝が一呼吸おいた。

 二人は静かに聞いた。

「実際は闇の側が遥かに巨大化していた。

 我ら全員が文明のもたらした繁栄に酔い、感度が鈍くなっているときだ。

 戦に勝った。

 バンザイと言っていい物か。

 我々政治に携わる者にとって、今から解決せなばならないものが多く出てきたように思える。

 我らの知覚できないところでは、もっと巨大な闇が進行している気がしてな。

 不安なのだよ、これからの時代が…。

 なにか巨大な闇がやってくる前兆かも知れん。

 私の中にも。

 お前や皇太子にまだ教えてないことがあるのでは、親として全てを伝えられたのか焦燥の中にいる」

「それでも、光の種あり」

 皇太子が皇帝の話を取り、ニヤリと笑った。

「ダンを簡単に殺すな、ある意味ではアカデミー以上の光のカードだ」

 忠告じみたことを口にした。

 この時代の哲学者モア・サルディーラは言った。

「啓蒙的君主制は才能に対して、次代の皇帝の座を譲ることを意味した。

 息子に才能を感じたら譲って当然であるが、周囲は納得しなかった。

 彼等が軽蔑する野蛮国の風習である世襲性に染まるのが我慢できなかった。

 皇帝一家に訪れた悲劇は、息子である皇太子が才能を所有していたが故だった」

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