18.見覚えのある天井

 ふと目を覚ますと、見覚えのある天井だった。

 ……病院? それは以前、異世界からもどったときにも見上げていた病室の天井であり、時間がもどったわけではなく、また入院したようだ。

 それは腹に大穴が開いた状態で、無理やり退院し、自宅で一昼夜をかけてプログラムやデータの見直しをしたのだ。その後、倒れるように眠ってしまったけれど、そのまま病院に運ばれたらしい。

 オレはスマホと同期をとるよう変更したこともあり、早速自分の自動売買プログラムの成果をみてみる。一先ず、プラスを維持しているけれど、大きな損失を被った後だけに回復にはほど遠い。

 世界同時株安も、一旦は小康していた。バンGの破綻に伴い、金融機関の連鎖倒産も起きていたが、今は収まっている。ただそれは、脆弱なところが先に倒れただけであり、これからまだ起きる恐れもあって、そのときにはまた下がる可能性も捨てきれない。なので底這い状態だ。

 米政府がやっと金融機関への資本注入に踏み切り、ショックが止まっていることも大きい。ただし、その資本で足りるかどうか? 微妙だと考えている。何しろ、今回はあらゆる面で、あらゆる資産でバブルが発生しており、すべての資産バブルが一斉にはじけたのだ。資産価格が戻らない以上、次の決算ではすべて損失として計上される。

 様々な中銀が、石鹸水にストローを突っこんで、一生懸命に空気を入れて膨らませたバブルが、同時に破裂したのだ。運用資産の大きな保険、年金がこれから続々と、その損失額を確定する。そのときさらに個人のマインドが落ちるだろう。保険料率が変わる、年金が減る、という報道は人々をより不安にさせるものだ。


 自宅にもどって、さらにデータとプログラムに手を入れたいところだけれど、しばらく退院できそうもない。

 今動くと死ぬ、と医師や看護師からも脅されていた。

 ただ、こうして株価が下げ止まっているのも、オレが異世界で身内の諍いを止めたから? 犯人をずばり言い当て、問題を解決していたら反発したのだろうか? それは分からないけれど、中卒のオレでは探偵まがいのことをしても、あれぐらいが限界だった。

 でも、命を懸けた価値があったとすれば、それはそれで成果といえそうだ。

「よう、目を覚ましたって聞いて、見舞いに来たぞ」

 同じ投資会社に勤める、同期で年上の鏑木が顔をだしてくれた。オレは根無し草のような生活をしているとき、オヤジに拾ってもらい、二十歳で下働きから始めた。彼は数年を外資系の金融機関に勤め、転職してきた口で、同期入社だけれど、年齢は七つぐらい上だ。

 右も左も分からないオレに、経済のこと、市場のことを色々と教えてくれた。薄毛で、若いときから坊主頭で、強面もあって看護師も逃げだすほどだけれど、根はとてもやさしい男だ。


「社長に感謝しろよ。電話してもでない。オマエが倒れているんじゃないかって、すぐに動いたんだから」

「オヤジにはずっと感謝しているよ。そっちの運用はどう?」

「こっちはヤバい。むしろSDGs投資とか、新興国資源開発投資とか、銘柄、対象をしぼって募集をかけていたファンドが、軒並みやられた。結局、そういうファンドの方が金を集めやすい一方で、ショックが起きるとヘッジが効かない分、損失を膨らませてしまう。それは契約時、説明してあるはずだけど、解約の申し込みが殺到しているよ」

 銘柄をしぼった投信の方が、資金を集めやすい。それは自分の大切なお金を、運用担当者に好き勝手にされたら堪らないので、自分の考えを入れて運用したい、という当然の流れだ。

「今は個人投資家も、ヘッジをかけないハイリスク・ハイリターン投資が大好きだったからな。でもそれって、ショックには弱い。ここ十年、リーマンショック以来、下げてもすぐにもどす、という相場がつづいた結果、油断、甘えがあったことは間違いない。分散投資型は、どうしても利回りが低いから……」

「ちゃんと契約書にも書いてあるのに、怒られても困るんだよな……」

 そういって、鏑木は頭を撫でる。ハイリスク投資、そのリスクが顕在化しただけのことだけれど、投資家も怒りの矛先の向ける場を見失う、パニックなのだろう。

 そして、そうやって投資家が焦って解約をすすめるから、さらに相場が下がる悪循環、ともいえた。


「オマエのところが、一番損が少なくて、顧客も離れていないそうだ」

「オレは、自由裁量で運用する、として資金を集めているからな。ヘッジもかけていたし、リスクも想定しておいたが、それでも今回はやられた。正直、ハイリスク投資なんてしていたら……と思うと、ゾッとするよ」

「ゾッとするどころか、他のところは自殺者もでているって話だ。うちはその分、まだマシかもしれん。今のところ、人手が減ったのはオマエと、三日月だけだし……」

「……おい。三日月、どうした?」

「え? 社長から聞いていなかったのか? 参ったな……」

 鏑木は禿げ頭を撫で上げる。

「三日月ちゃんも、刺されたんだよ」

「……え?」

「オレも報道ベースでしか知らないが、犯人は三日月ちゃんのストーカーだったらしい。それで、ビルに入ろうとしたところでトラブルになり、オマエたちが運悪く出くわした。一旦取り押さえたが、警備員の手をふりきって、三日月ちゃんを刺したんだそうだ」

 オレは彼女を救うため、自ら盾になった。警備員に引き渡したはずだった。

「今、三日月は?」

「意識不明がつづいているよ。ここに入院しているはずだが、面会謝絶だそうだ」

 社長も言葉を濁していたが、オレも大怪我を負い、また世界同時株安といった事態もあって、言いそびれたのかもしれない。そもそも、三日月から一本も連絡がない時点で、おかしかったのだ。もし無事だったら、オレの携帯電話にメッセージぐらいは残したはずだから……。

 そのとき、ふと思った。もしかして、向こうの世界でオレがもっと、もっと活躍すれば、三日月を助けることができるかもしれない……と。




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