3.世界の事情

 あの状態で、お湯にださずに済んだのは、この体はまだその部分が未成熟だったからだ。しかし一度、お湯の中で絶頂を迎えたこともあって、でるころには熱く滾ったはずの下腹部も、すでに沈静化していたのは有難かった。そうでなければ、全裸の少女に興奮した部分を見られていたところだ。

 少女は気づいた様子もなく、お湯からでると、オレの体をタオルで吹いて、着替えも準備してくれた。

「キミも早く着替えて。風邪をひくよ」

 ずっと全裸でそれをする少女に、そう声をかけると、びっくりしたような表情を浮かべた。それでも返答はせず、無言のまま作業をつづけ、オレに服を着せると、全裸のままでていく。

 すぐに代わって入ってきたのは、二十代後半ぐらいの女性だ。きちんと服を着ているのは当然として、古くて白みがかったモスグリーンの色気もないドレスに、眼鏡をかけたその姿は、役職を聞かずとも分かる。彼女は恐らく教育係、王子に小言をいう立場だ。

「どなたにやられたのです?」

 それは井戸に落ちていたことだろう。「それが……憶えていなくて……」

 体を交換したけれど、記憶は一切、何も引き継がれていない。憶えていないのではなく、知らないが正しいけれど、それを説明すれば体を交換した、と明かすようなものだ。

 女性はため息をついて「殺されかけて、憶えていない? 誰を庇っているのか知りませんが、そのうち本当に殺されますよ?」

 ……え? 王子なのに、殺される? もっとも、権力闘争という意味で、王子などは命を狙われ易いのだろう。どうやら、王子になったからといってウハウハで暮らせるほど、この世界は甘いものではないらしい。

 あの井戸とて数メートルの高さがあり、もし突き落とされたとすれば、殺す目的としか考えられなかった。


「これは早く、跡継ぎをつくってもらわないと……」

 ……え? まだイッたとしても、精液すらだせない未成熟な体で、跡継ぎ?

 でも、女性は別に冗談でそんなことを言ったわけではない。ここで少し、この世界の事情について、説明しておくことにしよう。

 この世界は、千年近く前まで魔族が隆盛し、人族はごくわずかな地域で、細々と暮らす弱い存在だった。そんな時代に、魔族を束ねていた魔王を打ち倒し、人族の世を打ち立てたのが、五人の冒険者――。

 その冒険者たちを英賢とよび、五英賢がこのヴァルハラ大陸を五等分して治めることとなった。

 ただ時が経つにつれ、国家は離合集散をくり返し、やがて超大国ギヨンドワーナと周辺の小国家群、という形で収斂されることになる。

 オレが体を交換した、王子がいるこの国はオノガル国――。東方にて小さな島……といっても、恐らく淡路島より大きい、を所領とし、人口は五万を少し超えるぐらいを数える小国家だ。

 晴れた日には大陸も臨め、その近さもあって大陸から渡ってくる人も多く、人種の坩堝ともされていた。西高東低ともされる文化水準でも、東端に位置するここが比較的高い文化をもつのは、海洋国家として他国との交流が活発であることも影響するのだろう。

 オノガルは王制をとっており、王家は分家をおかずに一つ。ただ姻戚となった貴族もふくめ、殺し合いすら厭わぬ熾烈な権力闘争が渦巻くのは、王国における常のことでもある。

 そして今、王族内は大揺れとなっていた。

 まず祖父のヴァルガ・アートラッド王が暴政を布き、苛烈な重税と賦役を国民に課したことで怨嗟を買い、国が疲弊したことで国力が一気に落ちた。その後、ヴァルガは〝千夜の獄〟と呼ばれる謎の失踪を遂げ、ヴァルガの長兄であったオルラが王位を継承する。

 しかしオルラは政治にまったく関心を向けず、弟のエグニスが摂政として実際の政治をみる、歪な体制をとる。

 オルラはその間、何をしていたかといえば、子づくりだ。その甲斐もあって、五男八女をもうけたのだが、オレは末弟の第五王子。王位を継ぐ見込みは皆無、といった立場にあった。

 それは王子といっても、体を交換したくもなる。この木製の小屋も、王子が多過ぎて城の中には部屋をもてず、仕方なく仮設されたものだ。つまり権力闘争の末端で、ぎりぎり引っかかっているに過ぎない。扱いも雑で、教育係のアダルナ・マギスが側近としているだけだった。


 そして、この世界のもう一つの深刻な問題。それは、男性が圧倒的に少ないことだった。恐らく、性染色体のY遺伝子が、すでに生命として持続不可能なほどにキズつき、短くなっているのだろう。

 王族や貴族は多くの愛妾をもち、跡継ぎをつくろうと多くの子を為すので、その中に男子もそれなりに確保できるけれど、一般では多くの子供をつくると育てるのが大変で、数人で止める。その結果、どんどん女性が増えていき、王族がそれを愛妾とする悪循環にも陥っていた。

 これは人類的にみると悪循環だけれど、王族に仕えることは、女性側からすれば憧れの的ということでもある。王や王子のお手付きとなり、子供でも生まれれば待遇は別格となるのだから……。

 そのため、オルラ王の五男八女も、母親はバラバラだ。この第五王子の母にあたる人は、第四姫の母でもあり、縁組によって第四姫が貴族の下に嫁ぐと、母もその貴族のところへ移った。

 第五王子では、王位を継ぐことは難しく、逆に政争によって暗殺されることにでもなれば、自分の身にも危害が……そんなことを怖れて、城を離れたというのが専らの噂である。

 見捨てられ王子の下剋上? いやいや……。そんなことまでやる気はないし、何より体を交換しただけだ。しかも死にかけていた向こうの体が改善したら元にもどる、という約束である。この異世界で、権力闘争に自ら乗り込んでいって暴れるような動機も、気力もなかった。

 この体の主、シンラ・アートラッドには悪いけれど、今はこの異世界生活を満喫するだけ、のつもりだった。














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