1.ディーラー

「先輩! 絶対、今はメタバース関連に投資した方がいいですって!」

 久しぶりに顔をだしたオフィスで、隣から勢いこんで迫ってきたのは、後輩である三日月 千佳――。

 この職場はスーツ必須でないものの、彼女はパンツルックのスーツであり、肩を越さない髪も、まだ初々しい新人であることを示す。

「メタバースは玉石混淆だよ。今はネットゲームと同じ、熱狂的な層はいても、一般化する兆しはない。熱が冷めたら終わり、動意づいてから手掛けても、決して遅くはないような銘柄だ」

 そんな反論で唇を尖らす三日月に、冷や水を浴びせると知りつつ「オマエが担当する投信は、投資先を開示して投資家を集めるタイプだ。メタバース関連投資なんて、認められていないだろ?」

「だから先輩に話したんじゃないですか……。自由裁量で、数百億円を動かせるんですよね?」

「大切なお客様のお金だよ。今からメタバース関連に投資し、寝かせていいものじゃない。メタバースのように、使用中に体を動かさないサービスを長時間つづけていると、体内のホルモンバランスが崩れ、病気になる人が増える。何しろ、ホルモンは脳ではなく、内臓の各所で、体を動かすことによってつくられるものだからね。結局、メタバースのようなものが全世界的に流行するようになったら、それだけ医療機関にかかる人が増える。メタバースが投資で盛り上がり、それによる問題が報じられるようになったら、すぐに関連株を放って医療、医薬……こういう連想が株投資には必要なのさ。こっちがメタバースに嵌って、お金を動かさなくなったら、それも重篤な病に罹ったのと同じだよ」

「うまいこと言って……。そんなこと、聞きたくないですよぉ~」


 ここは投資運用会社のオフィス。大きなモニタを複数枚並べて……という姿を想像するかもしれないけれど、そうした専用ブースは一部だけだ。個人のテーブルといったものはなく、大体この辺りにすわる……という暗黙の了解があるぐらいで、すっきりした印象である。

「投資は将来有望でも、今が材料株でないと、短期の売上には貢献しない。個人で長期保有するならいいが、オレたちのような運用担当には向かない。将来、三日月が自分のお金を運用するときは、考えたらいいよ」

「そんな日が来るんですかね……」

「そのために、ここに就職したんだろ? 飯でも食いながら話そう。もう出られるんだろ?」

「お供します!」と元気に応じて、三日月は立ち上がった。

 二人でオフィスをでて、エレベーターに乗る。都心の一等地にある高層ビル。その上層階から下まで行くには時間がかかる。その間、二人きりだった。


「先輩みたいに、在宅勤務したいです」

「まだチームで運用を担当し、仕事を憶える時期だよ。何よりネームバリューが重視される世界だ。いい成績を残していって、単独でご指名が入るようになれば、愈々在宅勤務だ」

「先輩はそうなったんですよね。やるなぁ~」

「大包平なんて、特徴のある名前も利いている。大金を稼いでくれそうだろ? それに、オレは社長に恩義があるから会社に残っているが、ふつうなら独立して、事務所を立ち上げている。それを踏まえての、特別待遇だ」

「それそれ。気になっていたんですけど、そうやって優秀な人がどんどん抜けていったら、うちの会社はどうなるんですか?」

「うちに限らず、社会はそうやって収斂していく。ピーターの法則と言ってね。企業は無能な上司ばかりになっていく。

 要するに、自分の能力の限界がくると上にいけず、そこで出世が止まるだろ? 部長以上の能力がないと、部長止まり。つまりその役職の能力未満の者が、そこにいることになるのさ。

 投資運用でも同じ。独立してやっていける者はそうするし、できない者が残る。組織はそうやって力を落とすものなのさ」

「こ、怖いですね……」

「三日月はどっちかな?」

「私はいずれ、自分で貯めたお金を運用し、左うちわで暮らすんです!」


 エレベータが一階に到着し、二人でエントランスを歩く。ビルの中にも飲食店はあるけれど、二人のときは外にでるのが、暗黙の了解だ。そのため昼より早く出てきたのである。

「先輩が独立するときは、私も連れていって下さい」

「引き抜きは嫌われる。それに、オレはオヤジに大恩があるから、優秀なディーラーに育ったら、それこそ悪いだろ? もしお前が箸にも棒にもかからずに、お払い箱になったら、もう一度鍛え直してやる」

 そう、半年ばかり教育係として、オレが彼女を担当したのだ。すでに在宅勤務が赦されていたオレがこうして頻繁にオフィスに顔をだすのも、彼女のことが心配だからでもあった。

「それは怖いですし、そうなりたくないです……。先輩と一緒にいられるのは嬉しいですけど……」

 そんなことを言われると、カン違いしそうになる。三度目の年男を越えた、童貞、彼女いない歴が年齢と重なるオレに、大学を卒業したばかりの若い女の子はまぶしいばかりだ。

 恐らく社長が、一人身のオレを心配して若い子の教育係を押し付けたのだ。あわよくばオレの身を固めさせよう……との親心。実の父親ではないけれど、そのお節介がうざいし、またくすぐったくもある。

 ちょうどビルを出たところで、悲鳴が聞こえた。みると、牛刀のようなものを振り回している男が、ビルの外にいた。目は虚ろで、焦点も合っていない。

「きゃーーッ!」

 驚いて上げた三日月の悲鳴に反応し、男が牛刀を振りかざしてこちらに向かってくる。オレも彼女を守らねば……と前にでる。しかしノープランだし、牛刀に勝てるとも思えない。相手も牛刀をまっすぐこちらに向けて、突っこんできた。

 避けることもできず、お腹に牛刀がめりこむ。ただ、相手の腕をつかまえて、これで動きを制することには成功した。

 警備員たちが駆けよってくる。こいつを暴れないよう、引き渡せばそこまでだ。

 そしてオレの命も、そこまでかもしれない……。

「先輩! 先輩ッ!」という三日月の声を遠くに聞きながら、オレは意識が遠のいていった。







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