第41話

 時は遡る。

 浮遊島がEMITSに襲われて、達揮と花哩が戦場へ飛び出した後。


「無事に説得できたようだな」


 翔子との通信を終えた綾女に対し、静音は微かな笑みと共に言う。

 浮遊島の中心地。『臓器』が保管されている場所へと繋がる、巨大な地下空間。その片隅にある殺風景な地下室にて、綾女は母の静音と対峙していた。


 静音は『臓器』を研究する組織の責任者であり、浮遊島のあらゆる区画への立ち入りが許可されている。その娘である綾女も多少の便宜が図られており、通常の生徒では立ち入りが許されないこの地下空間にも足を運ぶことが許されている。


「そう睨むな、茶化しているわけではない。寧ろ綾女の成長に感心しているくらいだ。……言葉巧みに仲間を死地へ送り込むとは、流石は私の娘だな」


「お前、本当に殺すぞ」


 殺意を発する綾女に、静音は「冗談だ」と肩を竦めて言った。

 無論、綾女に翔子を死地へ送り込む意図はない。先程の通信内容は全て綾女の本音だが、翔子にもできる限り危険な目に遭って欲しくないと思っている。


「……さっさと島の封鎖を解け。このままだと翔子や花哩が危ない」


「封鎖を解くことはできん。……が、お前一人くらいなら外に出してやろう。ただし今すぐは無理だ。警備隊が島周辺のEMITSを減らすまで待て」


 静音が端末を操作しながら言う。


「待っている間、当初の目的でも果たそうじゃないか。……お前が私のもとへ訪れたのは、美空翔子について訊きたいことがあるからだろう?」


 楽しそうに言う静音に、綾女は怒りを押し殺す。

 EMITSの襲撃が始まる前、綾女は翔子たちと別れた後、一人でこの場に来ていた。その目的は静音が述べた通り。翔子について尋ねたいことがあったのだ。


「……翔子は、飛翔外套を貰った後、すぐにアーツを使用した。……こんなの、常識では有り得ない。才能の一言で片付けられるものじゃない」


 あまりにも常識外れであるため、周囲ですらその異常性に気づいていない。

 特自の予備役である亮ですら、翔子の異常性を完全には理解していない様子だった。しかし静音なら何か知っているかもしれない。綾女はそう判断し、渋々この場に訪れたのだ。


「ふむ……まあ、お前には言ってもいいだろう」


 逡巡した後、静音は告げる。


「美空翔子の祖父、美空鉄真は陸軍の戦闘機パイロットだった」


 大和静音は、娘の綾女にそう告げる。


「調べたところ、彼は優秀なパイロットだったようでね。戦闘機の操縦が誰よりも上手く、どんなところからも必ず生還してみせたらしい。……そんな彼は生前、偶に妙なことを口走っていたそうだ。なんでも――自分は神に愛されている、とか」


 妄言のようなその言葉を、静音は含みのある表情で口にした。


「美空鉄真の手記によると、彼は過去に一度だけ死にかけている。だが命が尽きる直前、不思議な光を見たそうだ。雲間から太陽の光以外の、何かの光が降りてきて……それが自分の身体に吸い込まれた途端、痛みがなくなったと記録にはある。以来、彼は先程の言葉を何度も口にするようになったらしい。あれは神の賜物であるというのが彼の考えだ」


「……意味が分からない。その話と翔子が、どう関係する」


「察しが悪いな。この光はエーテル粒子だ」


 微かに驚く綾女に、静音は続ける。


「この世界には、『天魔てんま』という人種がいる」


 静音は良く通る声で告げた。


「『天魔』とは、肉体がエーテル粒子に適合したことで、特殊な力を得た人間のことだ。……例えば都市伝説として囁かれている『空の眼』。これは眼球にエーテル粒子が浸透し、適合したことで、視覚が進化したことを表わしている」


 俄には信じがたい話を、静音は真剣な面持ちで続ける。


「恐らく、美空鉄真は何かの因果で『天魔』になったのだろう。そして――その素質は、孫の世代へと引き継がれていった」


「つまり……翔子も『天魔』だと?」


「そういうことだ。あの少年には、『空の眼』と『空の足』がある」


 静音は、二本の指を立てて言った。


「すぐにアーツが使えるようになったというのも、それが原因だろう。恐らく彼は、足を用いたアーツならば何でも自在に使いこなせる筈だ。適合の途中だからか、今は足が痛むようだが、いずれそれも落ち着く」


 突拍子もない話だ。

 しかし、納得できるところもある。


 ――美空翔子の空に対する憧憬は異質だ。


 空を飛んでいる時の翔子は、楽しさだけでなく、居心地の良さや安堵も感じているように見える。それはもしかしたら『天魔』としての本能かもしれない。

 肉体に宿るエーテル粒子が、美空翔子をこの空へと導いたのかもしれない。


「綾女。これはお前も他人事ではないぞ。適性甲種の人間は、皆『天魔』に目覚める素質がある。現に金轟……篠塚凛は後天的に『天魔』へと目覚めた。彼女も『空の眼』の保持者だ。後天的に『天魔』になった例は他にも幾つかある」


 静音はどこか、楽しそうに語った。


「しかし、恐らく美空翔子は数少ない先天的な『天魔』だ。……通常、エーテル粒子と適合できる部位は一箇所のみ。だがあの少年は眼と足、二つの力を所持している。これは先天的な『天魔』ゆえの特徴かもしれん。……もしかすると、あの少年は今後更に進化し続ける可能性がある」


 予想がつかない未来を思い浮かべ、静音は唇で弧を描く。


「篠崎達揮は、見ていて安心するだろう? あれは勝利や成長が約束されているからだ。人はそういう相手を英雄と呼ぶ。……だが、美空翔子を見て、我々が感じるのは動揺か不安だ。あの少年は底が見えない。得体が知れない。どのように変化するか分からない。人はそういう相手を――化物と呼ぶ」


 静音は楽しそうに言った。


「空の化物……即ち、天の魔物。美空翔子は、まさに『天魔』そのものだ」


 美空翔子の正体が明かされる。

 全ての説明を聞き終えた綾女は……苛立ちを露わにしていた。


「どうした? 険しい顔をしているが」


「……友人を化物呼ばわりされて、嬉しい筈がない」


「ふむ……すまない。少々デリカシーに欠けたようだ」


 形だけの謝罪だ。

 しかし綾女も、謝罪を求めているわけではない。


「私にとって、翔子は大切な友人であり、同じ班の仲間。……『天魔』なんて関係ない」


 悪趣味な母に向かって、綾女は態度を変える気はないと宣言する。

 静音は薄らと笑みを浮かべた。


「私としても、あの少年には是非ともこの島で活躍してもらいたい。しかし……問題は精神面だな。飯塚の情報によると、あの少年はあまりプレッシャーに強くない……いや、好きではないようだ。これでは宝の持ち腐れとなるケースも……」


「問題ない」


 はっきりと、綾女は言う。


「かつて彼がプレッシャーに敗れたのは、誰も彼の隣に立っていなかったから。プレッシャーを分け合うことができる、本当の仲間さえいれば、翔子はきっと戦える」


 美空翔子の過去を知る綾女は、あの少年に必要なものを理解していた。


「私も……仲間として、翔子を支える」


 綾女がそう告げると、静音は目を丸くした。


「珍しいな。お前がそこまで入れ込むとは。……惚れたか?」


「……さぁ。ちょっと気になってる、けど」


「私が言うのもなんだが、大和家の女性は恋愛下手だから気をつけた方がいいぞ。コツは自分の感情を大切にすることだ」


 静音は愉快そうに言った。

 綾女からすると、こんな母と結婚した父の方が恋愛下手のように思えた。まあ、その結果として自分が生まれたので文句は言えないが。


「なんにせよ、お前が支えるなら美空翔子も安心だな」


 静音は、柔らかく笑む。 


「親の欲目かもしれないが……私は、この空で一番の天才は誰かと訊かれたら、金轟でも銀閃でもなく、篠塚達揮でも美空翔子でもなく、お前の名前を答えるよ」


 上機嫌に静音は語る。

 親の欲目と口にしておきながら……静音は親の眼差しではなく、研究者がモルモットを観察するような冷酷な眼差しを、目の前の少女に注いだ。


「適性甲種を超えた、世界でただ一人の適性虚種きょしゅ……大和綾女」


 母親の舐めるような視線を感じ、綾女は顔を顰める。

 ほんの少し前に、綾女は翔子にこう伝えた。


 どれだけの才能があっても、そう簡単にエースになれるほど、この空は浅くない。


 ここにも一人――――天才が潜む。


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