第40話

「エーテル粒子を足の裏と背中に集めなさい。《ステップ》が宙を蹴るアーツなら、今から教えるのは宙を滑るアーツよ。スケートのように、氷上を滑るようなイメージを思い浮かべて」


 花哩の言葉を聞いて、翔子は意識を集中させる。

 大事なのは感覚だ。足裏に募る粒子が氷上であるかのように……思うのではなく実際にそうであると感覚として認識する。意識で命じるのではない。そうであることが自然であるように、思い込む。


 EMITSの軍勢が襲いかかる。

 だが翔子も、花哩も、冷静だった。


「その状態で、足を基点に――大きく旋回ッ!!」


 化物の大群が押し寄せる直前、花哩が最後の指示を出す。

 刹那、翔子は《ステップ》の時と同様に、足を目の前に突き出した。だが《ステップ》の時に感じる負荷ない。


 柔らかな風に包まれたかのように、翔子の身体は、前に出した足を中心に右へ傾いた。そのまま飛翔速度を落とすことなく、大きく斜め前へと旋回する。


 恐ろしいほどの急旋回は、滑らかな軌道を描いた。

 粒子の放出によって空に描かれた翡翠の曲線は、獰猛な獣が残す鋭利な爪痕のようだった。


「こうか?」


「ええ! 《スライド》ってアーツよ、覚えときなさいっ!」


 速度を全く落とさない方向転換を可能とするアーツだ。

 流麗な曲線を描きながら、翔子は飛ぶ。


 やはり、この男は天才だ。


 花哩は心の底から翔子を賞賛する。たった一回の説明で、しかもその場でアーツを習得するなんて、前代未聞にも程がある。


 EMITSの襲撃は止まらない。

 だが翔子も新たに覚えたアーツを駆使して避ける。


 前後左右。四方八方。大小様々な爪痕を空に残す翔子は、空で舞っているようだった。無駄のない軌道で化物の間を潜り抜ける。僅かな間隙も逃さない。


(これは…………駄目ね)


 花哩は苦笑した。

 翔子は目立つのが嫌いだと言った。自分はエースになるべきではないと言った。


 だがこの才能は絶対に隠しきれない。

 いつか必ず露見してしまう。


 花哩は一瞬だけ、翔子が苦しめられたという陸上部のコーチに共感した。

 きっとそのコーチも、今の自分と同じ感情を抱いてしまったのだろう。


 強すぎる才能は人の目を眩ませる。

 この才能は、絶対に日の目を見るべきだと考えてしまう。


 美空翔子は近い将来、名を馳せることになるだろう。

 再び天才と――エースと呼ばれてしまった時、翔子はどう思うだろうか。

 そんな未来を潰すには、一つしかない。


(――追いつけばいい)


 誰かが翔子に追いつけばいいのだ。

 突出するから目立つ。ならば、それに食らいつく者がいればいい。翔子が頭一つ抜きん出ようとするなら、同じように前に出る者がいればいいのだ。


 それができるのは――翔子にとって、最も身近な仲間である自分たちだ。

 そして、エースになると誓った自分だ。


(私が――エースになるんだッ!!)


 決意を一層強くする。

 花哩はその手に握る狗賓を構えた。


「援護するわ!」


 後方へ身体を捻る。空を満遍なく活用して飛翔していた翔子が、花哩の動きに合わせて直線的な滑空をした。


 迫り来る二匹のEMITSと翔子の相対速度が限りなくゼロに近づく。

 その瞬間、花哩は狙いを定め、引き金を絞った。


 弾丸が炸裂する。

 二匹のEMITSは羽ばたきを止め、後ろの数体を巻き込んで落下した。


「ナイスショット。流石だな、未来のエース」


「ええ。――後ろは任せなさい。私が全部、撃ち落とすッ!」


 翔子と花哩が、互いに不敵な笑みを浮かべる。

 翡翠の爪痕と灰色の光弾を撒き散らし、翔子たちは浮遊島出雲へと近づいた。翔子が眼前の蝗とは真逆の方向へ両足を伸ばす。頭から蝗に突っ込むような体勢になったその身体が、スライドによって蝗を中心に半円を描くように飛翔した。


 蝗の直上。逆さまになった翔子の視線が、真下にいる標的を見据える。

 蝗の黒い眼も翔子を捉えた。だが次の瞬間、その黒い眼には花哩の研ぎ澄まされた眦が映る。同時に、花哩が構える狗賓の銃口が眩い光を放った。


「――舐めるな」


「――舐めんな」


 弾丸が放たれる。

 真下にいた蝗の身体が四散した。


『――しょ、翔子ちゃん! 聞こえますか!?』


 その時、端末がラーラからの通信を受け取った。


「ああ、聞こえてるぞ」


『今から浮遊島までの道を作ります! 指定するポイントへ向かってください!』


 網膜上のスクリーンに、浮遊島周辺のマップとルートが表示される。

 そのルートの先には、無数のEMITSが佇んでいた。


 無策で突っ込めば確実に死ぬ。

 しかし、翔子は――。


「――分かった」


 仲間を信じる。速度を上げて、ラーラの案内に従って空を駆けた。

 暗雲が迫る。このままEMITSたちの群れに接触すれば、次の瞬間には誰の目に留まることもなく食い殺されてしまうだろう。


 刹那。

 群青の砲撃が風を穿つ轟音と共に、黒雲を切り裂いた。


『行け、翔子!』


 通信から達揮の声が聞こえる。

 いつの間にか自分たちの知らないところで、ラーラは達揮とも連携していたようだ。


 化物たちが焼き払われた瞬間、目の前に大きな道が現われる。

 それが再び化物たちに埋められるよりも早く――翔子は飛んだ。


「駄目、間に合わないわ!?」


 EMITSたちがすぐに翔子を囲む。

 切り拓かれた道が、再び閉じてしまう直前――。


『斜め四五度、下へ』


 淡々とした声が耳元から聞こえる。

 その指示に従い、高度を下げた直後、紫紺の砲撃が辺りのEMITSを一掃した。

 もう一人の適性甲種。綾女の攻撃だ。


「綾女……浮遊島から出てこられないんじゃ……?」


『理事長の娘権限』


 浮遊島のすぐ傍で、綾女が天銃を構えながらそう告げる。

 再び道は開いた。

 後は――真っ直ぐ飛ぶだけだ。


「頭を、下げるんだったな」


 より疾く空を飛ぶためには、体勢が重要。

 以前、花哩に言われたことを思い出して翔子は飛翔する。


 達揮との模擬戦では中断されたが――今度こそ、翔子は全速力を発揮する。


 真っ直ぐ空を飛びながら《ステップ》で更に加速する。

 まだ足りない。もっと速くなければEMITSに捕まってしまう。

 更に《ステップ》を――もっと《ステップ》を、何度も使い続ける。


 連続で《ステップ》を駆使するのは、流石の翔子でも神経を磨り減らした。

 そのうち集中力に限界が訪れて、失敗してしまうかもしれない。

 その時……翔子は閃いた。


 ――纏めて発動してみるか。


 最後の最後まで、翔子は直感に身を任せた。

 その直感を現実に叶えてしまうのが、翔子の才能だった。


 足の裏に壁を感じている状態で、更にその下にも壁があるイメージ。

 二重、三重、四重――遂には五重となった《ステップ》を発動する。

 それは通常の《ステップ》とは比にならないほど翔子の身体を加速させた。


 パン! という大きな音が炸裂すると共に、翔子の姿が消える。


「ひあ――ッ!?」


 目にも留らぬ速さで飛翔する翔子に、背中に乗る花哩は悲鳴を上げた。

 行ける。そう確信した翔子は、EMITSたちの群れを突っ切った。


「――お届けものだっ」


 浮遊島の障壁を超えると同時に、翔子は柄にもなく少し大きな声でそう言った。

 体力の限界で身体から力が抜けた翔子は、飛翔の制御を失い、地面を転がる。


「ちょ――っ!?」


 放り出された花哩は、綺麗な放物線を描き、宙を飛んだ。

 そのまま地面に落下する……直前でラーラに受け止められる。しかし勢いを殺すことができず、二人して地面を転がった。


「あぁ…………………………死ぬほど疲れた」


 地面に倒れ伏した翔子は、溜まり溜まった疲労を吐き出すように溜息を吐いた。

 仰向けに寝転がりながら、全身で荒々しく息をする。傍からはラーラの泣きじゃくる声と、それを諭す花哩の声が聞こえた。


 顔に付着した砂を拭うために腕を持ち上げようとするが、力が入らない。

 その時、すぐ傍でこちらを見下ろしている綾女に気づいた。綾女は翔子の顔に付着した砂粒を、指で丁寧に拭う。


「お疲れ」


「……どうも」


「ありがとう。本当に、感謝してる」


 地面に膝を突き、正座する形で、綾女が翔子に寄り添った。

 感情の見えないその顔に一滴の涙が流れていることに気づいた翔子は、漸く、事が全て終えた実感を得た。


「翔子。……貴方は、私が守るから」


「……ん?」


 目を瞑って軽く眠ろうかと思っていた翔子に、綾女が語りかける。


「貴方は……私が守る」


 その瞳に決意を滲ませて、綾女は言った。

 よく分からないが、翔子は取り敢えず「助かる」と答えておいた。

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