第36話

 花哩の端末から開戦の合図が響く。


 双方、弾かれるように後方へ飛翔した後、先に動いたのは達揮だった。

 達揮は蒼の外套を翻し、手にした狗賓の引き金を絞る。一秒、二秒と時の経過と共に、弾丸は膨張した。


 対し、翔子は来るであろう光線の回避に専念する。

 反撃の体勢を取った翔子は、ふと全身に訪れる感覚に、口角を吊り上げた。


 ああ、そうだ。

 ここは空だ。

 前回の模擬戦で使った、あの狭苦しい一室とはワケが違う。


 ――視界が広がる。


 その目を見開く。

 空を認識する。


(ここは――無限の世界だ)


 空がいつもより鮮明に見える。

 集中力が極限まで研ぎ澄まされていることが分かった。


 群青の光線が放たれた。

 しかし、開いた距離がその脅威を軽減する。


 光線を回避し、翔子も弾丸を放った。

 どうせ当たりやしない。それがわかっているから翔子は狗賓をオートモードで使用する。質で攻められない以上、量で攻めるしかない。


「……今日は、随分動きがいいじゃないか」


「外だからな」


 達揮の問いに、翔子は短く答えた。

 翔子は真面目に答えたつもりだった。だが達揮は、そう思わなかったらしく――。


「ふざけているのか?」


 達揮もまた、狗賓のモードを切り替えて数で応戦した。

 互いに高速で飛翔し、灰と蒼の軌跡が幾重にも飛び交う。室内では叶わなかった広大な空を利用した戦い。翔子たちは空域を存分に使い、弾丸を撃ち続ける。


(……埒が明かないな)


 どちらも飛翔を止めないため、相対速度が視認できない域に達している。このままでは互いに傷一つ負うことなく、延々と空を飛び合うだけになってしまうだろう。


 やはり、近づくしかない。

 決意を胸に、翔子はタイミングを見計らう。


「来るかい?」


 達揮は翔子の考えを見透かしたかのように、不敵な笑みを浮かべた。

 仮にバレていても、自分が勝つには近づくしかない。


「ああ」


 翔子は短く肯定した。


 ――集中する。


 この果てのない空の、どこを通り、どこを曲がり、どこを直進して接近するのか。


 考えなくてもいい。

 空のことは、肌で感じた方が早い・・・・・・・・・


 意を決し、翔子は空を駆る。

 濃い蒼の外套に向けて、その身を加速させた。


「安易だね、またしても」


 翔子の接近に達揮は狗賓のモードを切り替え、猛攻を放つ。

 だが、翔子には届かない。


(……視える・・・


 弾丸が、どこからどのように放たれてくるのか。

 それら全てを避けて、達揮に接近するにはどう飛べばいいのか。


 翔子の目には正解のルートが視えた。

 それも一つではなく、複数のルートが視える。


 達揮が握る狗賓の銃口に、蒼い光が収束した。

 こちらが近づいた瞬間を狙って極大の砲撃を放つつもりなのだろう。その裏をかかねば一撃は入れられない。


 ルートが幾つか絞られた。

 だが――まだ正解のルートは残っている。


「頭を冷やすといい」


 肉薄する翔子に達揮が銃口を突きつける。

 しかし、


「――こっちの台詞だ」


 群青の砲撃が放たれた瞬間、翔子は銃口から逸れるように体勢を変える。

 身体を素早くねじり、横にロールしながら達揮の頭上を越えた。


「なっ!?」


 航空機の機動でいうスナップロール。

 それを知識ではなく直感でやってのけた翔子は、達揮の背後に回り込んでみせた。

 達揮は、自らが放った砲撃が目眩ましになって反応が遅れる。


「よっと」


「ぐ――っ!?」


 目の前にある無防備な背中に、翔子は弾丸を放った。

 達揮は目に見えて動揺していた。――障害物が存在しない空の上で、相手の死角に潜り込むことがどれほど難しいか、翔子は自覚していない。


 だが、達揮も負けていなかった。

 そのまま離脱しようとする翔子に、達揮は食らい付く。


「ただではやられない――ッ!!」


 蒼い外套が大きく広げられ、翔子の視界が塞がれた。例え翔子の目が特殊だったとしても、視界が塞がれては意味がない。


 飛翔外套もITEMの一つだ。それを上手く活用された。

 翔子の腹に、達揮の弾丸が炸裂する。


「痛って……っ」


 カウント形式では経験しなかった痛覚と衝撃に、翔子は顔を歪める。


「まだ終わりじゃないよ」


 そう言って、達揮は群青の輝きを解き放つ。

 迫り来る光の奔流を見て、翔子は焦った。

 流石にそれは痛そうだ。


(仕方ないな)


 足の裏でエーテル粒子を感じる。

 次の瞬間、翔子は空を蹴り、圧倒的な加速でその場を離れた。


「……ステップか」


 達揮が忌々しそうな顔をする。

 一方、戦いを眺めていた花哩は今の光景を見て叫んだ。


「ちょっと翔子! アーツは使っちゃ駄目でしょ!!」


「このくらいなら大丈夫だ」


 実際、地上でもほんの少しだけなら走ることができた。

 危機を脱した翔子は、達揮と睨み合う。


 双方、共に自覚していないが――初心者とは思えない戦いをしていた。

 アーツを駆使する翔子に、適性甲種の砲撃を放つ達揮。どちらも既に、特務自衛隊で一線級の働きを示せるほどの能力を発揮している。

 だからこそ、花哩は固唾を呑んで二人の戦いを見届けていた。

 この勝負の行く末は、誰にも分からない。


「何故、そこまで俺に対抗心を燃やす」


 その時、翔子の口からずっと気になっていた疑問が零れた。

 その問いに、達揮は引き金を引きながら答える。


「僕が浮遊島に来た理由は、特務自衛隊に入り、姉さんの力になることだ」


 弾丸を避けた翔子に、達揮は続けて言う。


「今まで、そのための努力もしてきたつもりだ。……地上にも幾つかITEMを使える施設がある。僕はそこで毎日のように訓練をしてきた」


 達揮が持つ狗賓の銃口に、光が収束した。


「姉さんだって、僕がそういう日々を送ってきたことは知っている筈なんだ。なのに、どうして――君が選ばれる」


 群青の大砲が放たれた。

 大気を揺らしながら迫るその砲撃を、翔子は紙一重で回避する。少し外套が掠り、その際に引き込まれそうになったが、辛うじて体勢を整えた。


「たかが推薦状くらいで、そこまで深刻に考える必要はないだろ」


「君は何も分かっていない」


 達揮は眉間に皺を寄せる。


「特自が渡す推薦状は、ただの入学案内じゃないんだ。もしその人物が特自に入隊したら、その時は自分が面倒を見るという意思表明なんだよ。一部ではつば付き・・・・と呼ばれる制度さ。……姉さんは本気で君を欲しがっている」


 達揮は、その目に憎悪の炎を灯した。


「君はそんなことも知らないのか。――どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ」


 達揮が再び狗賓をオートモードに切り替え、灰色の弾丸を射出した。

 前回とは異なり強引な攻め方が改善されている。達揮の成長に翔子は舌打ちをかましながら、応戦した。


 的確な偏差射撃が鬱陶しい。だが、徐々に弾の速度にも慣れてきた。

 切れていた息も整い、視野はこれまで以上の広さを発揮する。気分も高揚してきた。……この状態を翔子は知っている。


(もっと、集中できるな)


 ランナーズ・ハイだ。

 長時間走っていると、気分が高揚する現象。


 この感覚は随分と懐かしい。

 以前は毎日のように浸っていた境地である。


「逃げることに関しては、一流だね……ッ!!」


「褒め言葉だ」


 達揮が苛立ちながら弾を撃つ。しかし翔子はその全てを避けてみせる。

 戦いを好まない翔子にとって、逃走は最も有意義な武器だった。


 とは言え、これは逃げることを許されない模擬戦。

 どこかで立ち向かわねばならない。


 距離を保てば達揮の弾丸に当たることはない。だがそれは相手も同じことだ。この膠着状態を変えるにはどちらかが接近する必要がある。

 達揮は遠方でこちらを睥睨しているが、距離を詰めてくる様子はない。恐らく迎撃のパターンを組んでいるのだろう。


「……やってみるか」


 思えば――自分は、全力で飛翔したことが・・・・・・・・・・ない・・


 自転車や自動車と同じで、全速力というのは大きな危険性を孕む。全ての力を一点に傾けてしまえば、修正を行う余地がなくなってしまうからだ。


 睨み合いから脱却するべく、翔子は斜め上へと飛翔した。

 助走をつけるため、達揮に向かって時計回りに渦を巻くように、ゆっくり滑空する。少しずつ速度を上げる翔子だが、迎撃態勢に入った達揮は動かない。


 牽制が来ないとわかれば、翔子もまた遠慮無く飛翔できた。

 思い描いた渦に沿って空を滑る。上昇した直後、翔子は眼下の達揮に向けて一気に加速しようとして――。


「――ん?」


 遥か遠くから、サイレンが鳴り響いた。

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