第35話
「ん?」
訓練空域の方へ近づくと、翔子はその先に見知った人影を発見した。
蒼の外套を身に纏い空を駆けるその姿は、篠塚達揮のものだ。
「達揮。何してるんだ?」
掛けた声に達揮が反応し飛翔を止める。
射撃の訓練をしていたわけではないらしい。かといって散歩でもないだろう。達揮は肩で息をしており、額には汗を浮かばせている。
「何と言われても。普通に、飛んでいるだけだよ」
「……そんなバレバレの嘘をつかなくても、いいんじゃないか」
図星だったのか、達揮は目を反らし、後ろ髪をわしゃわしゃと掻く。
「特に変わったことはしてないよ。……ただ、君に負けたくなくてね」
「なんだそりゃ」
「僕にもよくわからない」
笑い飛ばす翔子に、達揮も苦笑した。
「……そう言えば、昨日の模擬戦は結局決着がつかなかったね」
不意に話題を変える達揮に、翔子は眉間に皺を寄せた。
嫌な予感がする。
「翔子。よければ、あの時の続きをしないか?」
その一言を告げる達揮の瞳は真剣だった。
醸し出される威圧感に一瞬、鼻白む。
「……いやいや、無理だろ。天銃もないし」
「端末で申請すればすぐに借りられるよ。ここは、そういう場所だからね」
即座に逃げ道を潰され、翔子は唇を引き結んだ。
「古倉さんはどうだい? 僕と彼の勝負に興味はないかな?」
返答に困っていると、達揮が外堀を埋めるかの如く花哩に声を掛けた。
以前ならばすぐに頷いただろう。しかし今の花哩は、悩む素振りを見せる。
「そりゃ興味はあるけど、本人がやる気じゃないし」
「……成る程。随分と良好な関係を築いたようで、何よりだ」
達揮は翔子と花哩を交互に見ながら言う。
「それなら、また授業で模擬戦をやる時に指名させてもらうよ。……君とは一度、ちゃんと決着をつけておきたいからね」
達揮が不敵に笑って言う。
授業でやるくらいなら――騒がしい観客が少ないこの場で勝負した方がマシか。
「……分かった、勝負を受ける」
翔子がそう言うと、花哩が少なからず動揺した素振りを見せた。
「いいの?」
「ここで断っても、先延ばしになるだけな気がする」
「……確かに、そうね」
花哩が納得する。
そして、改めて見た達揮の顔は爽やかに笑っていた。
「ありがとう。それじゃあ、訓練空域に行こうか」
◆
第三訓練空域。
そこで翔子と達揮は対峙する。
昼休みで、しかも唐突に決定したこともあり、観客は花哩を除けば一人もいない。翔子と達揮はそれぞれの外套で空に浮き、互いに万能端末を操作していた。
「翔子。折角だから、より実戦に近いルールにしてみないか?」
「……具体的には?」
「ダメージ形式っていうルールがあるんだ。端末で確認してみてくれ」
達揮の言葉に、翔子よりも先に依々那が反応した。
ダメージ形式に関するルールが表示される。
ダメージ形式は、互いに飛翔外套の防護膜を削り合う形式の勝負だ。片方が一定以上のダメージを負うことで、勝敗が決するといった仕組みである。
こちらはカウント形式とは異なり、ITEMの効果が本物に近い。つまり翔子たちが腰に佩く狗賓からは、紛れも無い実弾が射出されることになる。
防護膜の効果により、直撃しても石礫程度の痛みしか感じないが、衝撃までは緩和されないので要注意だ。
「……危なくないか?」
「大丈夫だよ。痛みはあるけど、怪我はしない」
痛みがある時点で大丈夫ではないのだが、達揮は完全に乗り気だった。
「……依々那、ダメージ形式の設定を頼む」
『承知しました!』
先日の模擬戦の時と同じように依々那がルールを適応する。
飛翔外套、万能端末、狗賓の三種を使用登録した。外套が薄らと光り、視認できる半透明の防護膜が展開される。
「準備はできたかい?」
「あぁ」
「なら、後は合図を待つだけだ」
二人は顔を横に向け、花哩に視線をやる。
花哩は一度だけ首を縦に振り、その胸の手前に万能端末の機能の一つであるタイマーを表示した。残り一分で戦いの火蓋は切られ、後は勝敗が決するまで試合は継続される。
「達揮。一応言っておくけど、本気で来いよ」
翔子が言う。
達揮が眉間に皺を寄せた。
「……それは、挑発と受け取っても?」
「違う。何度も挑まれるのは面倒だから、この一回で満足して欲しいだけだ」
「それなら心配ない。君が本気を出せば僕も出す」
昼休みの賑わいが遠退く。
達揮の瞳には、戦意を超えた敵意が宿っていた。
「ずっと、気になっていたんだ。どうして君が、姉さんに選ばれたのか」
狗賓に手を掛け、達揮が語る。
その意味がわからないほど翔子の頭は鈍くない。
「僕は、姉さんが何を考えているのか、昔からあまり分からなかった。けれど、一つだけ確かなことがある。姉さんは決して無駄なことをしない。――君のような腑抜けを、何の意味もなしに推薦するわけがない」
どこか忌々しそうに、達揮は告げた。
「……それは、挑発と受け取っても?」
「構わない」
否定しろよ、と翔子は内心で毒突く。
「達揮は熱いな」
「翔子は冷めているね」
舌戦に付き合う気はない。翔子は小さく呼気を吐いた。
花哩の方を一瞥し、開戦までの時間を知る。……残り十五秒。交わせる言葉の数はそう多くない。翔子は、胸の奥底にあった本音を、吐露することにした。
「前々から、思ってはいたんだが」
達揮を見据え、翔子は言葉を紡ぐ。
「――俺、お前のこと苦手だわ」
その言葉を聞いた達揮は、薄っすらと笑んだ。
「――僕も、君のことは苦手だ」
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