第33話
異形の化物が揺らめいた。
化物の身体を支える爪のような足が小刻みに震える。黒々としたその瞳が煌めいたかと思えば、次の瞬間、二本の鋏が迫っていた。
間一髪でそれを回避するも、化物は次に太い尻尾を繰り出す。
その先端にある針が、翔子の胴を貫いた。
「ぐはぁ」
気の抜けた声を、翔子は発す。
戦闘技術。通称、戦技と呼ばれる授業の今回の課題は、EMITSとの戦闘訓練だった。
訓練であるため、そのEMITSは本物ではない。古倉班は今、訓練空域にて投影された巨大な蠍型のEMITSと対峙していた。
翔子の腹に突き刺さった蠍の針は、時折ノイズが混じったかのように、その輪郭を崩す。
「思ったよりも粘ったわね」
「……でも、全然攻撃できてない」
翔子とEMITSとの戦いを眺めていた班員が、口々に評価を論じる。
回避だけは一人前。
但し、天銃の扱いはとんでもなく下手糞だ。最後の尻尾の攻撃を避けられなかったのも、天銃の命中力の低さに業を煮やした結果である。
「いや、お前ら手伝えよ」
「各個撃破って言ったじゃない。私たちもう既に倒したし」
「各個撃破って、そういう作戦じゃないと思うんだが……」
各個撃破は各自、敵を倒したらすぐに他の人のサポートに回る戦法だ。
傍観に徹する班員たちを横目に、翔子はEMITSへと再び挑む。
避けることだけは問題ない。的が大きい分、狗賓の弾丸も何発か命中している。
だがどうしても決定打が足りなかった。マニュアルモードを使うのも悪くないが、あれは体力を消費する。今の翔子の最善手は、中距離を保ってちまちま銃を撃ち続けることだ。
「まあ今回の訓練は、EMITSの動きとか種類を実際に見て感じましょうって趣旨だし、初心者の翔子に倒すのは難しそうね」
一定時間を超えて、他のEMITSが姿を現した。
蠍型が二体と、粘液型が一体。前者は翔子と戦闘を繰り広げる固体と合流し、後者はぺたんぺたんと水音を鳴らしつつ、可愛らしい動きで近づいてくる。
「翔子、私たちのフォローをお願い」
「分かった」
後退する翔子と、入れ違うように花哩が前に出る。
先日の模擬戦では相手を撹乱するような飛翔を見せた花哩だが、対EMITS戦ではヒットアンドアウェイの戦法で攻めている。
「……翔子、上」
「上って……うおっ!?」
黒ずんた塊が、頭上より落下する。粘液型のEMITSが行う攻撃だ。
大地に触れることができないEMITSが、何故、足という部位を持つのか。これには諸説あるが、進化の過程はともかく一つ判明した事実がある。
EMITSは、人間で言うアーツを自在に扱えるのだ。
蠍型のEMITSは、大地を這うかの如く空中を歩行する。粘液型のEMITSは、大地で弾むかの如く空中で揺れる。これらは飛翔外套のアーツで言うところのステップであり、EMITSはこの空を、空中とも大地とも捉えることができた。
「さーて、ぶっ倒すわよ!!」
花哩が一体の蠍型のEMITSと、真正面から攻防を繰り広げる。花哩のみを敵視しているEMITSに対し、翔子が不意を突く形で背後からの射撃を行った。
粘液型のEMITSは、ぺたんぺたんと揺れている。
チャージした花哩の弾丸により、蠍型を一体討伐する。
砕け散ったホログラムの先では、ラーラと綾女が、二人と同じような連携を取って別の蠍型を相手にしていた。
粘液型のEMITSは、ぺたんぺたんと揺れている。
綾女とラーラが眼前のEMITSを討伐し、四人は最後の蠍型のEMITSへ一斉に攻撃を繰り出した。
灰色の弾丸に混じり、綾女の紫色の弾丸が蠍の背中を真っ直ぐに穿つ。
蠍は体を大きく反らし、やがて消失した。
粘液型のEMITSは、ぺたんぺたんと揺れている。
「……なぁ、綾女」
「……何?」
「あの粘液型のEMITSは、本当に危険なのか?」
「……さぁ? 正直、私も疑ってる」
先程、押し潰されそうになったばかりではあるが、早々に疑念を膨らませていた。
あれを可愛いと思うのは人によりけりだが、少なくとも有害には見えない。いや、実際に害があることは確認しているのだが、動きが鈍すぎて調子が狂ってしまうのだ。
(……試すか)
あの奇妙な深緑色の物体が、果たして脅威と成り得るのか。ぺたんぺたんと、向けられる銃口を意に介することなく、ソレは翔子たちに接近する。
粘液型に気を取られていると、上空より新たな敵影が出現した。
だが、翔子の好奇心は止まらない。
「豹型が一体いるわ! 皆、気をつけ――って、翔子!?」
「粘液型は俺に任せろ!」
「え、あ、わ、わかったわ!」
普段とはまるで違う、意気込んだその声に、花哩が気圧されるように頷いた。
真剣味を帯びた翔子の表情に、花哩は「漸くやる気になってくれたのね……!」と嬉しそうにはにかんでいるが、全くの誤解だった。
「く、くそー、全然当たらない。もっと、もっと近づかないとー」
もっと近づいて観察したいだけである。
適当に苦戦するフリをしつつ、翔子は粘液型との距離を詰める。
手を伸ばせば触れられるくらいの距離に達し、翔子は粘液型の全身像を見据えた。全長は五メートルにも及ぶだろう。間近で見ると、その巨体に圧巻する。
鼻白んだ好奇心を鼓舞し、恐る恐る、翔子が右手を差し伸ばした。
その時――。
「――ぇ?」
刹那のことだった。
粘液型がその巨躯を畝らせたかと思えば、次の瞬間、それは牙を剥いた。
翔子を包み込むように口腔が広げられ、その内側には夥しい数の歯が怪しく光る。生理的に受け付けられない悍ましい光景が、一瞬の内に視界を覆い尽くした。
「……ぁ?」
感触はない。わかっている、これは映像であって実物ではない。
だが、翔子は呆然と立ち尽くしていた。
遠くで花哩が怒鳴っているが、反応できない。
この日。翔子の心に二つ目のトラウマが植え付けられた。
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