第28話

 第六演習場。そこに飛翔外套を纏った生徒たちが募る。

 高等部自衛科にとっては三回目の飛翔技術だ。入学組にとっては、空を飛ぶという行為に対して未だに熱が覚めておらず、嬉々として臨む者が多い。

 しかし、その一角であった筈の翔子は、普段以上の無気力な目をしていた。


「……はぁ」


 酷く落胆した様子で、翔子は溜息を吐いた。


 今日はいい天気だ。

 空は青く、雲も少ない。快晴と言っても過言ではない。

 しかし、四方を壁に囲まれたこの一室には青々とした光景は見えず、暖かな陽光も届かなかった。


 第六演習場は、室内だった。


「……室内を飛んで、何が楽しいんだよ」


「これはこれで役に立つんだから、ちゃんとしなさい」


 肩を落とす翔子に、花哩が喝を入れる。

 飛翔外套は本来、空を飛ぶことを目的に作られたが、空でなくとも広い空間を持つ室内ならば十分に飛翔できる。


 飛翔外套の普及によって、それを用いた犯罪が浮遊島内で発生してからは、天防学院の生徒も室内・狭所における飛翔外套の使い方も学ぶ決まりになっていた。


「前半は自由飛翔。後半は簡単な模擬戦を取り入れるぞ」


 亮が簡潔に授業内容を説明し、生徒たちがそれに応ずる。

 演習場はグラウンド一つ分と広いわけではあるが、流石に六十人が一斉に飛ぶほどの空間はない。一班から順に、三班ずつのペースで自由飛翔が行われた。


 十四番目の班である小倉班は、順番が回ってくるまでまだまだ時間がある。


「模擬戦って、具体的に何をするんだ?」


 練習する生徒たちを眺めつつ、隣の花哩へ訊いた。


「飛翔外套とAIを使った簡単な勝負よ。具体的な内容は私も知らないわ。中等部まではAIが使えなかったし、これまで通りなら鬼ごっことかなんだけど……」


「鬼ごっこって……疲れそうだな」


「……実際、疲れる」


 経験のある綾女が、その感想を語る。

 自衛科の模擬戦ともなれば、より実戦を意識した内容になる筈だ。

 想像して翔子はやる気を無くした。体力を消耗することは嫌いではないが、好きでもないことに体力を使うほど身体を動かしたいとは思っていない。


「おっ」


 四度目の交代が行われた時、見知った顔が前に出る。

 自衛科第十班の篠塚達揮だ。


 周りからは黄色い歓声が沸く。周りどころか班の中からもその声は聞こえていた。

 達揮の属している十班は、達揮を除けば全員が女子生徒だった。

 奇しくも翔子と同じである。


「同じ境遇でも、人が違えばあんなに変わるものなのね」


 花哩がポツリと呟く。


「いいんだ。俺にはラーラがいるから」


「ふぇっ!? で、でも私たち、その、女の子同士ですし……」


 ラーラが頬を赤らめる。

 冗談で言ったつもりだったが翔子だが、なんだか冗談では済まされないような雰囲気を感じ、隣の綾女へこっそり耳打ちした。


「……おい。これやばくないか。俺、もしかして、変なスイッチ入れちゃった?」


「……驚愕。でも、元々思い込みの激しい子だったから、まだ様子見の段階」


 などと適当に雑談していたその時、達揮が不意に飛翔を止めた。

 達揮は他の班員と真剣な顔で話し始める。


 飛翔を再開した達揮は、これまでとは違う軌道を見せた。

 滑らかな曲線を描く動きから……急旋回で角を作るように飛翔する。


「だいぶ実戦的な練習をしているわね。……金轟の弟とは言え、飛翔外套を貰って三日目であんな激しい飛び方をするなんて、中々根性あるじゃない」


 不敵な笑みを浮かべて花哩が呟く。

 まるで好敵手と出会ったかのようだ。


 だが、花哩がそう思う気持ちも良く分かる。

 達揮はそれだけ強い熱量で努力しているのが見て取れた。


「……やっぱり、達揮は凄いな」


 ふと、翔子の口からそんな言葉が零れる。


「しょ、翔子ちゃんだって、十分凄いと思いますよ!」


 素直に褒めてくれるラーラに対し、翔子は素直に礼を言った。


 ありがとう。――でも、違うんだ。


 達揮が態勢を崩したことで、彼の傍で飛翔していた女子が心配そうに近づいた。

 だが達揮は肩を借そうとする彼女を、片手を突き出して制止した。「まだ続けられる」と言っているのだろう。

 顎から汗を滴らせ、達揮は飛翔を再開する。


 一体、何が達揮を突き動かしているのか。

 死に物狂いに努力するその姿を、翔子は静かに眺めていた。


「よし! 次は私たちの番ね!」


 順番が巡ってきたと同時に、花哩は我先にと立ち上がって宙に浮いた。


「取り敢えず、翔子は私に着いてきなさい。綾女とラーラは翔子の隣でアドバイスして」


 各位、花哩の指示に頷いた。

 基本的な隊形は先日と変わらない。花哩が先頭。綾女と翔子がそれに続き、最後尾にラーラがいる。


 壁の側面に沿って飛翔したり、床に降りてから急上昇して天井に向かったりと、空での飛翔と比べるとトリッキーな動きをした。


 進むに連れて景色が狭まり、壁が迫ってくる感覚は空では味わえない独特なものだ。ただ翔子にとって、それは新鮮でもなく、ひたすらに息苦しいと思うだけだった。


「でも、ちょっと残念ね。折角使える《ステップ》を封じられるなんて」


 先行していた花哩が少し速度を落とし、翔子に近づきながら言う。


「まあ、使えないなら使えないで、普通に飛べばいいだけだ」


「それはまあ、そうかもしれないけど……アーツが使えるのって凄く貴重だし、いっそ他のアーツを覚えてみるのもいいわね」


「……アーツって、簡単には覚えられないんじゃないのか?」


「あんた以外には言わないわよ、こんなこと」


 信頼されているのか。それとも同じ班故に遠慮がないのか。

 閉口する翔子の隣に、綾女がゆっくりと近づいてきた。


「ねえ、翔子」


「ん?」


 綾女は、小さな声で訊く。


「翔子……あんまり、アーツが好きじゃない?」


「……一応、そう思った理由を教えてもらってもいいか?」


「アーツは、空を飛ぶだけなら必要ない技術だから」


 どうやら完璧に心情を見透かされたようだ。

 翔子は目を丸くして驚く。


「綾女って、あれだよな。意外と人のことをよく見てる」


「……ふふん」


 正確には――好き嫌いではなく、興味がない。

 綾女の考えている通り、翔子が求めているのは空を飛ぶことのみである。そこに小手先のテクニックや競技性は必要ない。

 やがて、交代の時間を知らせるタイマーの音が演習場に響いた。


「次は簡単な模擬戦だ」


 自由飛翔を終えて集合した生徒たちの前で、亮が説明を始めた。


「今回の模擬戦はカウント形式で行う。使用するITEMは飛翔外套と、戦闘技術で習った天銃・狗賓。それと、普段から身に付けている万能端末の三つだ」


 説明と同時に、宙に浮く画面にルールが記される。

 カウント形式とは文字通り、相手に与えた攻撃の数によって勝敗が決するルールだ。天銃が射出するのは実際の弾丸ではなく、威力が皆無の光弾となる。これを相手の外套に命中させることで、ポイントが獲得できる仕組みだった。


「さて、適当に手本を見せたいんだが……古倉、頼めるか?」


 亮は、翔子の隣に座る花哩を指名した。

 花哩は威勢良く返事をして立ち上がる。

 亮はすぐに花哩へ狗賓を手渡し、演習場の中央へ飛翔した。


「綾女。花哩は大丈夫なのか?」


「……大丈夫だと思われたから指名された。花哩はかなり優秀。問題なし」


 翔子の問い掛けに、綾女が答える。

 よくよく思い返せば、先日の特別訓練でも花哩は活躍していた。リタイアした原因が間抜けだったため、その印象が薄れていただけだ。


 薄茶色の外套を纏った亮と、赤い外套を纏った花哩が空中にて対峙する。

 生徒たちの前に半透明の壁が敷かれた。直方体である演習場の中に、更に直方体を収めるように障壁が展開される。これで天銃から放たれる弾丸が、観客に直撃することはない。


 試合時間は僅か三分。

 アラームが戦いの火蓋を切り、二人は同時に動き出した。


 天銃に決まった構えがないというのも納得だ。三次元的な飛翔の最中、構える暇なんて微塵もない。意味もなく停止すれば、それが致命的な隙と成り得る。


 紅の外套を翻し、花哩は縦横無尽に疾駆する。渦を描く軌道から、直線的な軌道へ。緩急を付けて相手を惑わす。或いは、フェイントを織り交ぜて相手を翻弄する。


 対し、亮はあまり動かず、放たれる光弾を最小限の動きで回避することに専念していた。


 花哩が狗賓をマニュアルモードに切り替える。

 引き金を絞り続ける花哩に眉を潜めた亮は、彼女と距離を取るように後方へ飛翔した。


「くらえッ!!」


 光線が走る。

 光弾よりも速い、光の一撃を亮は避けた。


「お返しだ」


 今度は亮が光弾を連発する。

 花哩はそれを壁に沿って回避した。回避しながら壁を蹴り、亮目掛けて急激な方向転換をする。


 距離が近づき――二人の視線と銃口が交差する。


 互いにあらん限りの光弾を放った。

 弾と弾が鬩ぎ合い、砕け散る。

 この瞬間、最低でも三発のカウントを、両者は獲得した。


 真紅の人影と、淡い土色の人影が、それぞれ弾けるように真逆の方向へ飛翔する。二色の軌道はさながら剣戟に散る火花の如く、熾烈かつ鮮麗な彩りを魅せた。


 けたたましい音が終了の合図を告げるのは、そんな光景に観客が息を呑んだ直後だった。


「五対三、俺の勝ちだな」


 互いに一礼を済ました後、亮が結果を簡潔に述べる。

 次いで、二人の飛翔外套の張る膜に白い水玉模様が浮かび上がった。

 亮は腕と胸の辺りに三つ、花哩は胸の辺りに二つ。腰に一つ。左足に一つ。そして、背中に一つだ。


「背中の一発はでかいな。知覚はしていたか?」


「……いえ、当たるまで気づきませんでした」


「正直で何より。古倉は速度に頼りがちだから、もう少し止まることも覚えた方がいい」


 半透明の障壁が解除され、二人が見学していた生徒たちの元へ戻る。

 翔子の隣にまで戻ってきた花哩は、腰を下ろすその瞬間まで、生徒たちの賞賛の視線に晒されていた。


「……お疲れ」


 綾女の一声に、花哩が応じる。


「初めてやったけど、思ったより楽しいわよ、これ」


 その瞳に獰猛な光が宿ったのは、見間違えではないだろう。

 古倉班の一員として暫く過ごしてきた翔子は、今の花哩がこれまでにないくらい活き活きとしているように見えた。


「でも、初心者にはキツいかもね。下手したら吐くかも」


「おっと、急に腹痛が」


「逃がさないわよぉ?」


 立ち上がり、逃げようとした翔子を花哩が捕まえる。

 亮の指示により、模擬戦は一対一で二組同時に行うことになった。生徒たちはすぐに対戦相手を決めて前方のボードに順番を記す。


「……ラーラ、やる?」


「は、はい、お願いします!」


 綾女がラーラを相手に指名した。ラーラもそれを承認する。


「待て。待ってくれ、それだと俺の相手が花哩になってしまう」


「ギッタギタにしてやるわ」


 花哩がガキ大将のような笑みを浮かべる。

 しかし、そこに思わぬ助け舟が現れた。


「翔子、よければ僕と対戦しないか?」


 それは助け舟だった。

 しかし恐らく……泥船だった。


 慌てて周りを見渡す。しかし既に他の生徒は相手を決めているようだった。

 自衛科は意識の高い生徒たちの集まりだ。「適当に流そうぜ」と体育の授業でお決まりの台詞も、ここでは通じない。


 花哩と達揮、どちらがマシか……もとい楽か。無論どちらも楽ではないのだが、翔子の中では同じ転入組である達揮の方へ、僅かに軍配が上がった。


「花哩、達揮とやってもいいか?」


「ええ。私も興味あるし」


 どっちに転んだところで、花哩にとっては儲けものらしい。

 程なくして模擬戦が始まった。制限時間は三分。AブロックとBブロック、どちらのブロックでも飛翔外套の軌道と、天銃から放たれる光弾が走る。

 しかしその実力は、いずれも花哩には及ばないだろう。

 こうして比較することで、花哩の能力の高さがよく分かる。


 やがて――翔子の番が回ってきた。

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