第24話

 綾女と別れ、ラーラを探しに空を飛ぶこと数十分。


『ご主人様、あちらを』


 依々那がそう告げると同時に、翔子の視界がズームされる。数十メートル先。浮遊島の商店街から少し離れた位置にて、目当ての人物を発見した。


「なぁ、いいじゃんかよぉ。俺らこの辺に詳しいぜ?」


「そうそう。オススメの観光地とか教えてあげるからさ、一緒にお茶とかどう? ていうか君、日本語うまいね。もしかして留学生だったりする?」


「えぇと、その、あの……あ、あぁ……うぅ……っ」


 どうもトラブルに巻き込まれているようだ。

 翔子は顔を顰めつつ、柄の悪い二人の男に絡まれているラーラへ近づいた。


「ラーラ」


「しょ、翔子さんっ!?」


 名を呼ばれたラーラが跳び上がるように驚愕する。泣き出しそうだったその顔は、途端に一縷の望みを見たかのように綻んだ。


「なんだぁ、お前?」


 ラーラの両脇に立つ二人の男が翔子を睨む。

 翔子は内心で面倒臭さを感じつつ、声をかけた。


「すみません。その人、連れなんで……」


「おう、んで? だからなんだよ?」


「えぇ……」


 強メンタル過ぎる。退いてくれないことに翔子は困惑した。

 ラーラは飛翔外套を身に纏っていない。ここまで徒歩で来たのだろう。

 彼女の片手には買い物袋がある。買い出しは終わった後のようだ。


 話し合い。

 逃亡。

 それとも放置。

 どれを選ぶべきか……逡巡した翔子は、やがて決断した。


「あー、じゃあせめて、その買い物袋だけは貰ってもいいですか? それが無いと夕食作れないんですよ。いやー、もう腹減っちゃって」


「しょ、翔子さんっ!?」


「受け取ったらすぐ帰りますんで。ちょっと失礼しますね」


「翔子さんっ!?」


 驚愕するラーラを無視して、翔子は彼女に近づき、買い物袋をやや強引に取り上げた。


「あれ、数が少ない。玉ねぎ買った?」


「え、え? い、いえ、買ったと思いますけど……」


「いやいや、無いじゃん。全く、困った子だなぁー、はははは……」


 適当に笑いながら、不良を押しのけ、ラーラの肩に手を回す翔子。

 そのまま腕をラーラの脇の下へ潜らせる。ラーラが身じろぎしたが、下手に抵抗される前に翔子は腕に力を入れる。


「それ落とすなよ」


「え――?」


 買い物袋を落とさないよう注意を促して、翔子はラーラを持ち上げた。

 左手で膝裏、右手で背中を支え、しっかりと手前に引く。


 俗に言うお姫様抱っこだ。

 ラーラの全身をしっかりと抱え――翔子は素早く浮遊した。


「ひぃあ――っ!?」


 顔を真っ赤にして、ラーラが奇妙な声を上げた。

 しかし落ちては死んでしまうので、必死に翔子にしがみつく。


「て、てて、てめぇ――ッ!!」


「謀ったなコラァ!!」


 二人の不良も飛翔外套を起動して空を飛んだ。

 想像以上にしつこい連中だ。


「依々那。あいつらをまくには、どうしたらいい?」


『そうですねぇ。……むむっ、閃きました! ここを利用しては如何でしょう?』


 帰り道を示していた橙色のラインが、別の方角を示す。

 依々那を信頼して、翔子は方向転換した。

 学生寮から離れることで、ラーラが困惑を露わにする。


「しょ、翔子さん? どちらに――」


「えーっと……アスレチックゾーン? ってとこ」


 依々那が示した目的地の名称を訥々と読み上げて答える。

 時折、後方を一瞥しながら翔子は飛翔を続けた。


 五分と経たない内に、アスレチックゾーンは目の前に現れる。


 アスレチックゾーンは空を飛ぶことに娯楽的要素を付加させる施設である。

 施設と言っても、建造物があるわけではない。そこにあるのは直線と曲線を織り交ぜたコースと、配置された多種多様の障害物だけだ。


 目を凝らせば子どもたちが互いに競い合いながら、各コースを駆け抜けているのが見える。どうやら簡単なレースを行っているらしい。


『ここで適当にまいちゃいましょう!』


 依々那の強気な発言に翔子が「そうだな」と同意する。

 だが、あまりに簡単なコースではまくことができない。ある程度、難しい飛翔を求められるコースを利用するべきだ。


 その時――また、視界がぶわりと広がった。


(なんだろうな、これ。……でも、気分は悪くない)


 保健室に行く前にも似たような感覚があった。

 あの時は途中で集中を切らしてしまい、すぐ元に戻ってしまったが、今度はその感覚に身を委ねてみる。


 空がいつもより鮮明だ。

 無限に広がるその空間に、心地よさを感じる。


『あのコースなんてどうですか?』


「……空いているし、丁度いいな」


「え、ちょ、ちょっと待って下さいっ! そ、そっちは一番難しい競技用のコースで――」


『ご主人様なら大丈夫です』


 指定されたコースへ向かい、翔子は躊躇うことなく速度を上げた。

 スタート地点を通過すると同時にブザー音が響き、半透明の障害物が作動する。

 円形のバリアが道を阻み、長方形の壁が前後左右から襲いかかった。


「だ、駄目です! 引き返して下さい!」


 ラーラは焦った様子で言う。


「競技用と言っても、怪我はするんです! いくらなんでも、練習もせずに進むのは危険で――」


「そうか?」


「え?」


 焦るラーラに、翔子は言う。




「こんなに広いなら、楽勝だろ」




 ゾクリ、と得体の知れない感覚をラーラは覚えた。

 ラーラには、今、翔子が何を視ているのか分からなかった。


 広い? ――どこが?


 右も左も障害物だらけだ。おまけに一度でもコースを間違えると行き止まりに直面してしまうため、常に先を見通して飛ばなくてはならない。


 飛翔を続けると、更に多くのオブジェクトが出現する。

 だが翔子は速度を一切緩めることなく、真っ直ぐに滑空した。


 前方より飛来する円形のバリアを、上昇することで回避。次いで訪れる左右からの壁を今度は下降することで避ける。


 単調な障害物は次第に複雑さを増していき、無限の空が少しずつ削り取られていく。正解のルートが三つから二つへ。二つから一つへ。気づけば障害物の密度も増しており、人間一人が辛うじて通れるくらいの隙間しか存在しない。


「ひ……っ!?」


 駄目だ――ぶつかる。

 そう思ってラーラは目を閉じる。


 だが、いつまで経っても予期していた衝撃は訪れない。


「ラーラ」


 少女の頭上から、気の抜けた声がする。


「終わったぞ」


 ラーラが顔を上げた時――そこには何も無かった。

 アスレチックはいつの間にか終わっている。障害物もなく、少し前まではしつこく追ってきていた不良も気がつけば姿が見えない。


 目の前に広がっているのは、美しい夕焼けだった。


 ふぅ、と翔子が呼気を発する。

 悠然と――当たり前のようにこの空で佇むその姿は、さながら空ののように見えた。


 ラーラは呆然としたまま口を噤む。

 そんな少女に、翔子は首を傾げた。


「どうした? ……あ、悪い。気持ち悪くなったか? 結構雑に動いたからな」


 完全に見当違いの思考を巡らせる翔子に、ラーラはまだ口を開かない。

 けれど、それから寮に帰るまで。

 ラーラはずっと落ち着いて……翔子の腕の中に収まっていた。

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