第22話

 放課後。

 教室の窓から空へ飛び立った翔子は、保健室へと向かった。


 学院の窓は、飛翔外套で出入りするために敢えて大きめに作られている。学生寮にも同じように大きめの窓が設置されており、浮遊島の住居の殆どには、それぞれ歩行用と飛翔用、二つの出入り口が作られていた。


(……そう言えば、保健室の場所を知らないな)


 一度教室に戻って誰かに訊くべきかと考えたが、すぐに別案を思いつく。

 こんな時のためのサポートアバターだ。


「依々那」


 万能端末の画面を開き、アバターの名を呼ぶ。

 すると画面の右端から、ゆっくりと狐娘が現れた。


『はい……鬱陶しくて、口煩い依々那でございます……』


 先日の飛翔技術の時、ろくに構ってやらなかったせいか、ずっとこの調子である。

 正直、面倒極まりないが……背に腹はかえられない。これでも彼女は便利なのだ。


「依々那。昨日は悪かったから、そろそろ機嫌を直してくれ」


『……どうせ依々那は鬱陶しいアバターで御座います。気に食わなければ、いっそ一思いに消せばいいじゃないですか。所詮、依々那は、口煩いアバターで御座います……』


「そんなこと言うなって。お前がいないと、色々不便だろ」


『不便って……なら、別のアバターを作ればいいじゃないですか』


「金がない」


『……そこで正直に答える辺り、流石ですご主人様』


 しまった。

 つい、本音を言ってしまった。


『あー! はいはい! もういいですよ! ご主人様がそういう性格なのは十分知っておりましたとも! で、私はご主人様を保健室に案内すればいいんですねっ!? はいどうぞ!! この経路で進んでくださいましっ!!』


「仕事が早いな。助かる」


 憤慨しながら仕事を瞬時に済ませる依々那に、翔子は感心する。

 本当に感情豊かなアバターだ。とてもプログラムで動いているとは思えない。


 浮遊島の空には、幾つもの誘導ラインが引かれている。肉眼では認識できないが、飛翔外套が展開する網膜上のスクリーンがあれば視認できるものだ。依々那の案内は、この経路に色をつけるものだった。通常が黄色のラインに対し、一本だけ橙色のラインがある。


 案内通りに飛翔する。

 視界の端で、速度メーターが時速二十キロを示していた。


 天防学院は広々とした演習場が設置されている関係もあり、校舎が広い。保健室は高等部の校舎から少し離れた位置にあった。


『しかし、ご主人様。たった一日で随分と飛べるようになりましたね』


「そうか?」


『通常なら、体勢を崩さず浮遊できるようになるまで半日。そこから水平飛行が移動できるようになるまで、また半日。今みたいに、自由自在に飛行できるようになるまでは、一週間から一ヶ月近くかかると言われております』


「それは流石に大袈裟だろ。花哩たちも、そんなことは言ってなかったぞ」


『あの方々は長い間、浮遊島にいるせいで感覚が麻痺しているんですよ。正直、飛翔に関しては、ご主人様は歴代でも最高レベルの才能を持っているかと思われます』


「そうか」


 適当に相槌を打ちながら、のんびりと保健室へと向かった。

 空を飛ぶことは楽しいが――勝ち負けや優劣には興味がない。だから、才能を持っていると言われても、いまいち嬉しいとは思わなかった。


 その時、不意に――奇妙な感覚に襲われる。


「……ん?」


 ゆっくりと視界が広がっていくような、不思議な感覚が訪れた。

 視界の端から端まで、何故かいつも以上に鮮明に見える。


 ITEMが特殊なモードを起動したわけではない。唐突な出来事に、翔子はつい飛行を止めた。


『どうかしましたか、ご主人様?』


 依々那に呼びかけられた直後、その不思議な感覚は終わりを迎えた。

 広がっていた視界が一瞬で元に戻る。


「……いや、なんでもない」


 僅かな閉塞感を覚えつつ、翔子は飛行を再開した。


『あ、そう言えばご主人様。先程こんな速報が流れていました』


 依々那が告げると同時に、画面の端に緊急ニュースのテロップが現れた。


「……EMITSか」


 島から離れたところで、特務自衛隊がEMITSと交戦し、撃退したらしい。

 こちらは訓練ではなく、正真正銘、本物の戦争だ。


 実際のEMITSとの戦闘は、大抵、浮遊島から離れたところで行われる。島から肉眼で見える距離にEMITSがいる場合、特務自衛隊の防衛網が破られたことになるので、かなりの緊急事態だ。


『ご主人様も、いつか本当の意味でEMITSと戦う時が来るかもしれないですね』


「そうなったら俺たちは心中だな」


『そうならないためにも努力を継続してください!』


 依々那が怒鳴る。


『着きましたよ、ご主人様』


 依々那の声に「ああ」と返事をした翔子は、ゆっくりと降下し、飛翔外套の電源を切った。

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