第21話

 飛翔外套を与えられ、空を飛ぶことが許された翌日。


「浮遊島、最高」


 翔子は仰向けになり、温かな日光を浴びながら飛行していた。


「なーにが、最高よ。もうちょっとシャキッとしなさい。今は授業中よ?」


 花哩の指摘に、翔子は気の抜けた返事をして通常の飛行姿勢に戻った。

 先日に続き、本日も飛翔技術の授業があった。転入組が未だ飛翔に手間取っている中、翔子は自由気ままに、まるで流れるプールに身を委ねるかのように空を滑る。


「……でも、凄い。翔子、飛ぶのが上手い」


「わ、私もそう思います。仰向けの飛行って意外と難しいですし。な、なんていうか、ぎこちなさも全然なくて……い、いつの間に、こんなに上手く飛べるようになったんですか?」


 質問に答えるべく翔子はラーラの方を見る。するとラーラは「ひっ」と小さな悲鳴を上げて綾女の影に隠れた。

 怖いなら何故、質問してきたのだろうか……翔子は複雑な顔をする。


「いつと言われても……昨日の放課後か、今朝の散歩くらいしか思いつかないけどな」


 そう答えると、綾女がじっとりとした目で睨んできた。


「……早朝五時に起きて、ぶっ続けで二時間飛ぶことを、散歩とは言わない」


「き、昨日の放課後も、日が暮れるまでずっと飛んでいましたよね。……ば、晩ご飯を食べた後も、すぐに外へ出ていましたし……ど、努力家です」


「努力家と言うより……中毒」


 中毒と言われてもおかしくない。そのくらい翔子は、時間さえあれば空を飛んでいる。

 しかし、上達のためではなく好きで飛んでいるため、成長の実感は全くなかった。


「二人とも駄目よ、コイツを甘やかしたら。射撃センスが皆無であることを考慮すれば、翔子の価値は今、プラマイゼロ。ここから増やさなくちゃならないわ」


 そう言って花哩は翔子を睨む。


「で、でも翔子さんは、アーツを使えますし……」


「む……まあ、それだけは認めるしかないわね」


 ラーラの発言に、花哩は渋々といった様子で告げた。


「アーツって、そんなに便利なのか?」


「便利どころじゃない。とにかく、凄いのよ」


 花哩が溜息交じりに言う。


「あんた、アーツについてちゃんと調べてきた?」


「ああ、しつこく勉強しろって言われたからな」


「私が言わなくても調べなさい」


 この男……私が言わなかったら本当に何も調べなかったな。花哩は内心でそう思った。

 アーツは飛翔外套を使いこなすための高等技術だ。それを偶然とはいえ発動できたのだから、普通はもっと興味を持つはずである。

 しかし翔子は、あまり興味なさそうな様子だった。


「確か、全身を覆っているエーテル粒子を、身体の動きと連動するように操作することで発動するんだよな。エーテル粒子の流動を意識して、素早く、正確に思念を送るとか……」


「そう。それを実現するためには、まず飛翔外套を徹底的に使いこなす必要がある。そうしてエーテル粒子の存在を、感覚的に捉えることができるようになって、初めてアーツ習得の入り口に立つことができるわ」


 花哩は翔子の説明を補足するように語る。


「……でも、あんたはそれを、初心者なのに使える」


 花哩は真っ直ぐ翔子の瞳を見た。


「信じられないけど、あんたは既に、エーテル粒子を感覚的に捉えることができるのよ。きっとそういう才能を持ってるんだと思う」


「はぁ」


「はぁ……って、その返事は全然自覚してないわね」


 花哩は額に手をやった。

 眉間の皺を揉みながら、花哩は口を開く。


「いい? この島において、上手に飛ぶということは他の何よりも重要なことよ。それさえあれば特務自衛隊や特区警察にも一目置かれるし、学院での成績も高くなりやすいわ」


「へぇ」


「幸いあんたには飛翔の才能がある。なら、それを伸ばさない手はないわよ」


「ふぅん」


「……あんた、聞いてる?」


 聞いてる、と翔子は頷いた。

 聞いてはいるが殆ど頭には入っていなかった。特務自衛隊も、特区警察も、学院の成績も興味がない。


 ついでに言うと、翔子は他のことを考えていた。

 昨日からずっと悩んでいることだ。


 ――裏切らないであげて。


 昨日、篠塚凛に告げられた言葉。

 あれは、誰を裏切らないでと言っていたのだろうか。


 仲間を?

 浮遊島を?

 それとも自分を?


 或いは――空を?


「じゃあ、飛翔の練習を再開するわ」


 翔子の思考を、花哩の言葉が遮った。


「翔子は辺りを水平飛行で十周してきなさい。今は速さよりも安定した速度の維持を意識するのよ。……それとアーツの練習も忘れないで。発動できることと使いこなすことは別物だから、どんどん練習しなさい」


「分かった」


 翔子は早速、花哩の指示通り演習場の傍を周回する。

 やはり、空を飛ぶこと自体は楽しいのだろう。

 翔子は先程よりも活き活きとしていた。


「あっちのルーキーも、恐るべき速度で上達しているわね」


 花哩が翔子から視線を外す。

 少し離れたところでは、達揮が班のメンバーたちと共に必死に飛翔の練習をしていた。


「ん。……流石、金轟の弟。戦技の方も優秀だし、隙がない」


 綾女も達揮の上達には感心を示した。

 それでも――空を飛ぶことに関してだけは、翔子の方が圧倒的に上手い。


「あ、あの」


 その時、先程から黙っていたラーラが遠慮がちに声を発する。


「その……翔子さんが今、練習しているアーツって、《ステップ》ですよね?」


「そうよ。空中を蹴ったり跳ねたりするアーツね」


「そ、それって、足を怪我している翔子さんが、使ってもいいんでしょうか……?」


 訥々とラーラは告げる。

 その意見を聞いて、花哩の顔は……みるみる青褪めた。


「しょ、翔子、聞こえる!?」


 飛翔外套の通信機能を利用して、花哩は遠くで飛んでいる翔子を呼ぶ。


『聞こえてる。今、五周目だ』


「い、いったんこっちに来て!」


 花哩が焦りながら言う。

 暫くすると、翔子が不思議な顔を浮かべながら戻ってきた。


「どうかしたのか?」


「あ、あんた、そういえば足を怪我しているのよね? その……本当にごめんなさい。今更だけど、もしかしたら《ステップ》は、足に負荷をかけるかもしれないわ」


 アーツ《ステップ》は、空中を地面と同じ要領で蹴るテクニックだ。それは足を怪我して走ることができない翔子にとって、使うべきではない技かもしれない。


「言われてみると、そうかもしれないが……」


 翔子は釈然としない様子で考え込む。


「……実際、使ってみて何も感じなかった?」


 考え込む翔子に綾女が訊いた。


「ああ、何も感じなかった筈だが……ちょっと試してみる」


 そう言って、翔子は花哩たちから距離を取った。

 翔子は真っ直ぐ急降下する。


 二十メートルほど落下を続けた翔子は、次の瞬間に身体を反転し、両足を突き出した。

 翡翠の外套が翻ると同時に、翔子は宙を蹴って真上に方向転換した。

 ――《ステップ》だ。


「……微妙だな。走る時と比べれば負荷は少ないが……全くないと言えば嘘になるか」


 平然と傍に戻ってきた翔子は、顎に指を添えながら自己分析を行っていた。


「……さらっと、使うわね」


 そんな翔子に花哩は複雑な面持ちをする。

 当然だ。

 この場でアーツを使えるのは、翔子のみ。

 花哩も、綾女も、ラーラも……長い間、浮遊島で生活しているが、それでもアーツは使えない。それほどの高等技術なのだ。


 アーツは、喉から手が出るほど欲しいと願っていても、手に入らないことが多い。

 事実、花哩は特務自衛隊のエースを目指しているためアーツの習得を目指していたが、どれだけ努力しても習得する気配が全くなかったので今は諦めている。


「……翔子は一度、保健室に行った方がいい」


 綾女が冷静に告げた。


「手遅れになる前に専門家へ相談するべき。放課後になったら保健室に行って、《ステップ》を使っていいかどうか訊いてきて」


「……分かった」


 真面目に告げる綾女に、翔子は頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る