第11話

 天防学院、学生寮のとある部屋にて。

 三人の少女と、一人の少年が、背の低いテーブルを挟んで対峙していた。


「美空翔子しょうごだ。よろしく」


 自身の名を告げる際に、少しだけ口調が強くなる。

 時刻は午後六時。――変態だの、変質者だの、散々な罵倒を浴びせられた挙句、遂には警備員を呼ばれそうになった翔子が、どうにか難を逃れた数分後。

 翔子は、はっきりと自身の名を告げた。


「……ややこしいのよ、名前」


「……よく言われる」


 全ての原因は目の前の少女が、翔子を女子と勘違いしたせいだった。

 三人は翔子もてなすために茶を用意していたらしい。しかしそれが零れ、二人の少女の服に掛かってしまい、そのため着替えていたそうだ。相手が女性なら着替え中に鉢合わせても問題ない。そう思っていた彼女たちにとって、男子である翔子が来たのだから、それは驚くのも当然だろう。もっとも、それで罵倒はともかく、ビンタまでされるのはどうかと思うが。


「その……悪かったわね。まだ痛む?」


「いや、もう引いてきた。……俺も悪かった。ノックもせずに入って」


 翔子の片頬には、真っ赤な椛が刻まれていた。


「その……改めて自己紹介するわ。古倉花哩こくらはなりよ。一応、この班の班長ってことになるわね」


 栗色の髪の少女が自己紹介を済ます。彼女の言う通り、端末から調べられる班員リストには古倉花哩が班長であると記されていた。

 次に、花哩と名乗った少女は隣の、紫髪の少女に目配せをした。


「……大和綾女やまとあやめ。よろしく」


 簡潔な自己紹介に、翔子も「おう」と簡素に返す。

 数分前の惨状でも彼女だけは取り乱していなかった。恐らく感情の機微が少ないタイプなのだろう。髪の色と似た紫紺のワンピースと、無口無表情な様子が、ミステリアスな雰囲気を醸し出す。御伽噺に出てくる魔女のような印象を受けた。


「その髪、染めてるのか?」


「……エーテル粒子の影響。私、適性高いから」


 綾女はその腰まで伸びるだろう紫の長髪を、ふわりと持ち上げて言う。

 聞いたことがあった。適性が高いとエーテル粒子の影響を過剰に受けてしまい、髪が変色する場合があるらしい。確か銀閃の名を持つ特務自衛官は、そのせいで銀髪なのだとか。


「で、最後は……」


 綾女の髪自慢を無視して、翔子は残る一人に視線を移す。


「ひっ」


 翔子の視線に金髪碧眼の少女は驚いた。その臆病な振る舞いは小動物を彷彿とさせる。


「ラーラ、いつまでも怖がらないで」


 盾代わりに使われていたクッションを花哩が押し退け、少女を手招きする。

 改めて翔子の斜め前に正座した彼女は、大きな深呼吸をしてから、口を開いた。


「ラ、ラーラ=セヴァリーです。そ、そそそ、その……よろしくお願いしまひゅっ!」


 最後の最後で噛んでしまったラーラは、顔を林檎のように真っ赤にした。


「ええと、う、生まれはイギリスなのですが、今は帰化して日本人になってます。……あ、その、こ、これは地毛です! 染めてないです!」


「お、おう。いや、別に疑ってはないけど……」


「特技は、皿回しですっ!」


「すげぇ。ちょっと見てみたい」


 兎のようだと侮っていたら、とんだ大物だ。これには翔子も興味津々の様子を取る。


「……プロの腕前。見るべし」


「え、えへへ。本当は、猿を回したかったのですが……」


 なんだコイツ――。

 この場で誰よりも個性の薄そうなラーラが、意外にも一番個性的だった。

 目の前の少女は眠れる獅子だ。多分、宴会の場では誰よりも輝くに違いない。


「ラーラは日本文化が好きなのよ。忍者とか侍とか、そういう一般的なやつだけじゃなくて、和楽器とか、歌舞伎とか。あと、なにげにアキバ系も好きよね」


「そ、そうですね。色々と……色々と、好きです」


 若干言葉を濁したラーラだが、既に彼女の情報に関しては飽和状態である。


「三人は元から知り合いなのか?」


 目の前の三人は、とても仲が良いように見える。少なくとも、数時間前に出会ったばかりで、ここまで意気投合することはないだろう。


「知り合いっていうか、私たちは初等部からの幼馴染みなのよ」


「そうなのか。……ということは、古倉たちはもう何年もこの島で暮らしているんだな」


「花哩でいいわよ。私も下の名で呼ぶから」


 綾女とラーラも彼女の言葉に便乗するように、首を縦に振る。


「私たちは三人とも初等部の入学式に合わせてこっちに来たから、もう十年近くいるわね。地上での暮らしよりもこっちでの暮らしの方が長いわ。そういうあんたは浮遊島、初めて?」


「ああ、転入組ってやつだ」


「じゃあ今日は楽しかったでしょ?」


「まぁな」


 確かに楽しかった。

 テーマパークに遊びにきたような感覚を、ずっと味わっていた。


「翔子さんは、その、どうして浮遊島に来たんですか?」


 ラーラの問いに、翔子は少し言葉を選ぶ。


「簡単に説明すると……元々は陸上部のスポーツ推薦で高校に通っていたんだが、去年の夏休みに怪我をして、学費免除が取り下げられたんだ。うちは貧乏だから、退学して働こうかと思っていたんだが、丁度その時に推薦状を貰ってな。それで、浮遊島に来ることにした」


「な、なんか思ったよりハードな人生歩んでいるわね」


 花哩が同情の眼差しを翔子に注ぐ。


「でも、そんなタイミングで推薦状を貰ったなんて運がいいわね。誰から貰ったの?」


「篠塚凛って人」


「篠塚凛? ふぅん、どこかで聞いたことがある名前ね。確か……」


 極めて自然に告げた翔子に、花哩も自然な対応をする。

 だが、やがて花哩たちはゆっくりと目を見開く。


「……は、ぇ?」


「……篠塚、凛?」


「そ、それってまさか、あの金轟のことですか……?」


 驚く三人の少女に、翔子は、


「ああ」


 と頷いた。

 同じ班になった以上、いずれは話さなければはらないことだ。

 すると花哩は、小刻みに身体を震わせ――。


「よっしゃーーーーーーー!! 期待のルーキー、ゲットぉ!」


 拳を振り上げながら歓喜した。


「……先に言っておくが、あんまり期待しない方がいいぞ」


「なーに謙遜してんのよ! 期待しない方が無理って話よ! あんたを推薦したのは、浮遊島が誇る英雄の一人……特務自衛隊のエースなのよ!? 他の学科は知らないけど、特務自衛隊や特区警察を目指す自衛科の生徒たちにとって、あんたは注目の的よ!」


 特区警察とは、文字通り浮遊島の警察だ。浮遊島では先進技術が普及しているため、犯罪者もその技術を用いて悪事を働く。彼らを捕えるには、特務自衛隊と同様、エーテル粒子による技術を人一倍、使いこなす必要があった。


「そう言われてもな……別に俺は、特務自衛隊や特区警察に興味あるわけじゃないし」


「……え、じゃあなんで自衛科に来たのよ?」


「推薦状で勝手に指定されていたんだ。そうじゃなかったら多分、普通科に入っていた」


 花哩は「むむ?」と首を傾げる。


「そもそも俺自身、なんで推薦されたのか全く分からないんだ。篠塚凛と会ったのもその一回だけだし、今まで浮遊島と関わったこともない。……適性も戊種だしな」


「て、適性戊種ぅ……?」


 花哩が眉間に皺を寄せながら言う。


「じ、自衛科で適性戊種は、相当苦労すると思います……」


 ラーラがボソリと呟いた。なんとなく、そんな予想はしていた。


「……本当に、ただの気まぐれで翔子を推薦したのかもしれない。金轟って、いつも何を考えているのか分からないタイプから」


「金轟もあんたにだけは言われたくないでしょうけど……なんかそれ、有り得る気がするわ」


 綾女の推理に、花哩が複雑な表情で頷く。

 確かに篠塚凛は感情が読みにくい人物だった。その点は綾女に似ているかもしれない。


「……ところで翔子。敬語、使った方がいい?」


 ふと、綾女が訊く。花哩とラーラもすぐにその意図を悟る。


「そっか。地上で高校に通っていたってことは、翔子って私たちより……」


「い、一歳年上ですぅ……」


 ラーラが、まるで年上は皆化物だと言わんばかりの怯えた表情を浮かべる。


「いや、いい。普通にしてくれ」


「まあ……ていうか今更よね」


 花哩の言う通りだ。翔子も頷く。


「わ、わかりましたっ!」


「全然わかってないけどな」


「す、すみません……」


 あたふたと動揺するラーラに翔子は苦笑いする。他二人にも丁寧な口調であることから、彼女にとってはそれが自然なのだろう。


「あ、そうだ。今のうちに私たちの目標について話しておくわ」


 思い出したかのように花哩は言った。


「私たちは全員、本気で特務自衛隊を目指しているの。だから、あんたが将来どういう道を選ぶのかは好きにすればいいと思うけれど……私たちの足だけは引っ張らないでちょうだい」


「……分かった、善処する」


 本心からの言葉だった。好きで入った自衛科ではないが、こうして班に所属した以上は、できるだけ足手纏いにならないよう努力したい。


「あんたはないの? 浮遊島でやりたいこと」


 花哩が訊く。綾女とラーラも、無言で翔子の方を見つめていた。

 浮遊島でやりたいこと。――それだけは、とっくに決まっている。


「……空を飛びたい」


 観光でも、青春でもない。


「俺が浮遊島に来た、一番の理由は……空を飛びたいからだ」


 篠塚凛が見せてくれたように、自由にこの空を飛び回りたい。

 その願望は、自分でも驚くほど自然と口から零れ出た。


「翔子、いいことを教えてあげる。……空を飛びたいなら、自衛科に入ったのは正解よ」


 花哩が不敵な笑みを浮かべて言う。


「自衛科は、最も実戦に近い経験を積むことができる学科よ。……言い換えれば、一番空を飛ぶことができる学科なの。現に明日の飛翔技術も、自衛科だけ時間が長いしね」


 飛翔技術は、文字通り空を飛ぶための技術を学ぶ授業だ。翔子が最も受けたい授業である。


「……自衛科も、悪くないかもな」


 今後の学院生活が、少しだけ楽しみになった。

 その時、翔子と……綾女の腹から、空腹を訴える音がした。


「綾女とはいい友達になれそうだ」


「……マブダチ」


 サムズアップする綾女に対し、翔子も自らの親指を突き立てた。


「取り敢えず、ご飯にしましょうか」


 立ち上がる花哩に、翔子、綾女、ラーラの三人は賛同した。

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