11-1
千歳さんが次回作の取材にでかけた。そのため一週間ほど家を空けることになった。土日はいつも以上に自堕落に暮らせる。そう思っていた矢先にチャイムが鳴った。時刻は午前十時。これくらいの時間なら郵便や勧誘が来てもおかしくはないか。
そしてまた、いつもどおりのぞき穴を見ずにドアを開けた。
「おはよう外村くん」
そこには私服姿の一色が立っていた。上は薄緑色のノースリーブブラウス、下は紺色のスカートだった。スカートはギリギリ膝下丈で彼女らしい慎ましさがあった。キャメルのハンドバッグは高級そうな落ち着きがある。
しかし化粧っ気はほとんどない。これもまたいつものことだ。
酷く汗をかいているというわけではないが、額にはうっすらと汗が滲んでいた。それがなんだか妙に色っぽい。
「これどういうこと? なに? なにが始まるの?」
「別になにも始まらないわ。友人の家を尋ねることがそんなにおかしいこと?」
友人と言われるとこそばゆいが、一色もちゃんと前に進んでいるという証拠と受け取った。
「おかしくはないけど。なにか用事でもあったか?」
「そうね、これから時間あるかしら」
「用事は特にない。クーラーをガンガンにかけてゲームでもしようかなって」
「それじゃあすぐに着替えてちょうだい。出かけるわ」
「出かけるわって、そんな強引な誘い方あります?」
「イヤなの?」
「イヤとかそういうんじゃないけど……」
俺だってそのへんの高校男児だ。一色ほどの美人と出かけられたら嬉しいに決まっている。だが一色とどこにでかけるというのだ。
「じゃあ着替え終わるまで待たせてもらうわ」
俺の脇をすり抜けて、ミュールを揃えて家に上がっていった。俺の女友達はどうしてこうも男の家に躊躇なく上がり込むのか。
とりあえず麦茶だけ出して、俺は自室で着替えることにした。
水色と白のポロシャツに腕を通し、茶色のテーパードパンツを穿いた。上はワイシャツかポロシャツ、下はチノパンかテーパードパンツくらいしかないが着回しが可能なのでおしゃれとかはあまり考えていない。
「おまたせ」
着替えの時間は五分とかかっていないが麦茶は半分ほど飲まれていた。この暑さだから仕方がないだろう。むしろ全部飲み干さなかったのが驚きだ。俺なら一気に飲み干してしまう。
「千歳さんはいないの?」
「昨日からな。一週間は帰ってこないって言ってたぞ。今だからこそクローズドサークルの雪山を題材にした作品を書くんだ、とか言って取材に出た」
「保護者がいない家に同級生を入れたのね。困るわ」
「お前が勝手に入ったんだけどな。ほら行くぞ」
どこに行くかはまだ聞いていないが、どこかの飲食店か買い物かってとこだろう。
財布と鍵、それとスマートフォンをポケットに入れて家を出た。
マンションの中はよかったが、一階の自動ドアを出て思わず「うわっ」と声を上げてしまった。すぐにでも家の中に戻りたくなるくらいの暑さだ。常時サウナの中にいるような感覚で、出かけて間もないというのに服がベタついていた。
「それじゃあ行きましょうか」
彼女は日傘を差し、俺を置いて歩き始めてしまった。どうして俺の家に来たのか、今からどこに向かうのかくらいは言っておいて欲しいものだ。しかし今になって俺から訊くのもなんか負けた気がする。
「今日はアナタにお礼をしようと思ったの」
「お礼? なんの?」
横に並んで一色を見た。ハンカチで額の汗を拭う姿も様になる。
「いろいろよ」
「そのいろいろを訊いてるんだけど」
「そうね、三田先輩のことが一つ。誉のことが一つ。それと、私の夢を応援してくれたことが一つ」
「全体的に成り行きみたいなとこがあったけどな。三田のことだって見つけたから仕方なく追いかけて、結果的にお前を助けることになった。天羽のことだってアイツの方から接触してきたんだ」
「たとえ成り行き上のこととはいっても、アナタは結果として私を助けてくれたわ。三田先輩に呼ばれたとき、アナタが来てくれなければ私はいいように脱がされ、動画を撮られていたでしょうね。アナタがいなかったら誉とは一生すれ違ったままだった」
「三田の件はそうだとしても、天羽の件は違ったと思うぞ」
「そうかしら」
「あの天羽だぞ。たぶん自分からなんやかんやで接触してきて、なんやかんやでお前の心を開かせたに違いない。あの女ならやりかねん」
「確かに、そうね」
一色は「ふふっ」と小さく笑った。その姿が新鮮そのもので、きっと男ならば誰だって息を飲むくらいの美しさだった。
「なに、その顔」
「あ、いや、お前も笑うんだなと思って」
「私が笑ったら変かしら?」
「そういうキャラじゃなかったろ。そのキャラクターはお前自身が作り上げたものだけど、人との関わりを避けて感情を押しつぶしてきた。俺は今のお前よりも以前のお前と過ごした時間の方が長いんだ。感情を表に出すお前の方が珍しいんだよ」
「人はそう簡単には変わらないわ。いきなり百八十度性格が変わったら怖いでしょう?」
「まあドン引きだわな」
「それに私はずっとそういう人間として生きてきたの。笑ったり泣いたり怒ったりすることはあるけれど、基本的な『一色周』としての人格は変えようがないわ」
「そりゃよかった」
「よかった?」
「つまりお前はお前のままってことだろ。お前が作り上げたキャラクターは、実はそこまで本当のお前とギャップがないってことだ。だったら俺は接し方を変える必要がないってわけだ」
「それはどうでしょうね」
「どういう意味だよ。今までとあんまり変わらないってことじゃないのか?」
「基本的には、よ。それ以外の部分はアナタにも変わってもらわないと困るわ」
「なんで俺がお前のために変わらなきゃならないんだ」
「でも私が転校してきた頃よりも、アナタも随分と生き生きしているように見えるわ。なにかあった?」
「ある人に励ましてもらえたからだな。慰めとか励ましって、確かに受け取る側の気持ちがかなり大事なんだなって感じたよ」
「それは私も思ったわ。結局のところ、相手の言葉をどれだけ真摯に受け取れるか。どうやってその言葉を消化するか。それができるのは受け取った側だけだものね」
「お互いに成長したってことだな」
それからは好きな本の話をしながら歩き続けた。
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