9-4
「じゃあどうして?」
「ミハルだって言ったじゃない。朱音のことが好きだったんだって。そういうことだよ。みんな朱音のことが好き。朱音は天真爛漫で明るく活発、なにもしなくても人に好かれる才能があった。特に苦労もなくて、いつも笑顔で、憎たらしくて、大好きだった」
自分とは対極にある朱音ちゃんのことが憎くて、でも憎みきれなかった。朱音ちゃんの優しさや底なしの明るさに青沙ちゃんも救われてきたからだ。
「朱音ちゃんになりたかったの?」
「朱音になればみんなに好かれるし、忖度しないで人と交流できるようになれる。今までの自分を切り捨てて自由になれる。そのはずだった。でも現実はそんなに甘くなくて、中学校の間は双子の妹が死んで落ち込んだ姉として振る舞い続けなきゃいけなかった。テストもできすぎちゃいけないし、体育はいつもより頑張らなきゃいけなかった。ホント、辛かった」
「それでも音を上げなかった。そこまでして人に好かれたかったのか? それが俺にはわからない」
青沙ちゃんが薄く笑った。少しだけ不気味でどこか危うさがあった。今すぐにでも朱音ちゃん同様にどこかから飛び降りてしまいそうな、そんな危うさだ。
「朱音のことが好きだったから。朱音のことを忘れたくなかったから。朱音のことを、誰にも忘れて欲しくなかったから」
「それじゃあ自分のことが忘れ去られてもいいっていうふうにも聞こえる」
「それでよかったのよ」
「よかったって、そんなのあんまりだろ」
「いつも比較されて、朱音は可愛い、青沙は無愛想ねって言われるのがどれだけ苦痛かわかる? 私の方が成績はいいのに持ち上げられるのは朱音なの。ミハルには一生わからないと思う。アナタにはそういう相手がいなかったでしょう」
「確かにいなかったけど、俺は青沙ちゃんのいいところもわかってる」
「それでも好きになったのは朱音でしょう? なによりも私は私のことが大っ嫌いだった。朱音が私の姿で死んだときにこれはチャンスだと思った。みんなに好かれる朱音になって、昔の私を捨てるにはここしかないって」
彼女がまた笑った。その瞳は「なにも言えないだろう」と語っている。
「羨ましかった。でも朱音を尊敬してる自分もいた。根暗で勉強だけが取り柄の自分もイヤだった。それをすべて満たすことができるのだからなにも怖くなかった。朱音のフリをするのは大変だったけど、大変だったのは中学を卒業するまでの数カ月間の間だけ。常に落ち込んでいれば、本当の私から朱音に切り替える準備ができる。周りの人間も無闇に触れようとしない。朱音の友人たちと関係を切ることもできた。向こうが気を使って連絡をしてこないのだから、こちらから連絡しなければ縁は切れる。希望の高校を変えて、朱音の友人たちが行かない高校を志願した。そうやって少しずつ時間をかけて、私は朱音になっていったの」
「青沙ちゃんは本当にそれでいいの?」
「なにも問題はないわ。私はこれからも七楽朱音として生きていく。ミハルはそんな私を止める? それは間違ってるって、そんなことは許されないって、青沙ちゃんのことが好きなんだって言える?」
なにもかもが遅かったのは俺の方だったのかもしれない。
もっと早く青沙ちゃんと話をしていればこんなことにならなかった。ちゃんと事実を突きつけて、そうすれば青沙ちゃんに戻れって言えた。
いや、どうやっても変えられない運命というものはある。朱音ちゃんが自分の意思で援助交際をしていた以上、こうなるのも仕方ないのかもしれない。
「言えないんでしょう?」
「ごめんね、俺嘘ついてたんだ」
「嘘? もういいよ、そういうの」
「そのキーホルダー、ここに来る前に買ったんだ」
「え? は? なにを言ってるの?」
「自分は青沙だって認めてもらうために芝居を打った。だから告白のことも嘘だ」
「自分でなにを言ってるかわかってるの? それに朱音が死んで私が落ち込んでるときにずっと私についててくれたじゃない。それは私を朱音だと思ってたからでしょう? 今更そんなこと言われて誰が信じるの?」
「朱音ちゃんでも青沙ちゃんでもどっちでもよかったんだ」
先程までの危うい笑顔は消え失せて、なにをどう反応していいかわからず目を白黒させている。
「ああやって落ち込んでる姿を見ていられなかったんだ。助けたいって、支えたいって思ったんだ。だから俺が好きになったのは死ぬ前の朱音ちゃんじゃない。朱音ちゃんの演技をする前の青沙ちゃんだ。あのときは朱音ちゃんだって思ってたけどね」
志倉と朱音ちゃんの援助交際、双子の入れ替わり、そういったものを知らなければ一生朱音ちゃんだと思い続けていた。でもようやくわかったんだ。俺が好きになった人が七楽青沙だということに。
「嘘よ、そんなの」
「嘘じゃないよ。あのとき確かに俺はキミのことが好きだった。だから朱音ちゃんばっかりが好かれてるわけじゃないって、ちゃんと自分を信じて欲しい」
「今は、好きじゃないの?」
「好きな人が、できたから」
「そう、なんだ」
正直これも嘘だ。好きな人ができたからじゃない。俺は薄情なことに「弱っている朱音ちゃん」に惹かれたのだ。後々あれは恋ではなく、ただのシンパシーだったんじゃないかと思った。だから、今は恋心などない。
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