9-3

 天羽に一緒に帰ろうと言われたが、あの二人は積もる話もあるだろう。俺が入る隙間なんてない。


 スマートフォンでメッセージを送ってから、俺は独りで家路を急いだ。


 家に帰るとドアの前には朱音ちゃんが座っていた。


「遅いよ、人のこと呼び出しておいて」

「ちょっと生徒指導室に呼ばれてね」


 鍵を開けて「どうぞ」と朱音ちゃんを家に招き入れた。彼女には先に部屋に行ってもらい、俺はコーヒーを入れてから自室に向かった。


「千歳さんは?」

「靴もなかったし編集さんと会ってるんじゃない? 連絡もないってことは急いででかけたっぽいし」

「忙しそうだよね、千歳さん」


 ズズッと、朱音ちゃんがコーヒーを啜った。


「それより今日はどうしたの? 千歳さんがいないときに呼んだってことはもしかして、そういうこと? そういうことなの? いやー、お姉さん恥ずかしいなあ」

「朱音ちゃんが想像してることはたぶん起きないよ。今日は見て欲しいものがあったんだ」


 俺はカバンを開けた。真新しいキーホルダーを取り出し、それをテーブルの上に置いた。


「なにこれ」

「なにに見える?」

「二匹のイルカが体を寄せ合ってるキーホルダー」

「見覚えない?」

「あるような、ないような」


 そう言うと思っていた。曖昧な返事をしておけば誤魔化せると思っているからだ。


「ずっと気になってたことがあったんだよ。そのキーホルダー、青沙ちゃんが飛び降りた場所の近くに落ちてたんだ」

「そうなんだ。でも青沙のって決まったわけじゃないよね?」

「そうだよ。これは青沙ちゃんのじゃない。これは朱音ちゃんのなんだ。青沙ちゃんが飛び降りたあの日、俺が朱音ちゃんにあげたんだよ」


 朱音ちゃんの頬がひきつったようにピクリと動いた。


「気が付かないフリをしてたんだ。でももう見てられない。ねえ、青沙ちゃん」


 今度は無表情のまま固まってしまった。


 それもそのはずだ。ずっと朱音ちゃんのフリを続けて、朱音ちゃんに成り代わって、それで全部騙せてると思っていたんだから。


「あのとき廃ビルから飛び降りたのは青沙ちゃんじゃない、朱音ちゃんだ」

「ど、どうしてそんなこと言うんだ? 私は朱音だよ。なにを勘違いしてるか知らないけどさ」

「あの廃ビルには志倉が住んでいた」


 なにを言っても否定されるのなら、一方的に話を進めていくしかない。


「志倉は何年か前から援助交際してたんだ。正直興味もないし知りたいとも思わないけど中学生を買ってたのは間違いない。そしてその相手の中に朱音ちゃんがいた」

「私はそんなことしてないって」

「俺の知り合いが援助交際の証拠を持ってるみたいなんだ。そいつに訊いたんだよ。「七楽青沙だったのか」って。そしたらそいつは言ったんだ。「それは青沙ちゃんではなかった」ってね」


 リュウと話をしていく中で、俺は朱音ちゃんを「七楽朱音」、青沙ちゃんを「七楽青沙」と表現した。きっとリュウもそれを汲み取ってくれたんだと思う。だからこそ「青沙ちゃんじゃない」と言ったのだ。

「それは青沙ではないけど七楽ではある、という意味だと受け取った。そうなると援助交際の証拠に写っているのは青沙ちゃんじゃなくて朱音ちゃんだ。加えてこのキーホルダー。三人で行った水族館で朱音ちゃんが見てたキーホルダーだ。俺はそれを買って彼女に渡した。そしてそれが現場に落ちていた。キミはキーホルダーに関して曖昧な表現をしたけど、一度手にしたことがある物に対してそんな曖昧なことを言うとは思えない」

「そんなの、貰ったその日に失くしちゃったんだから覚えてなくても仕方ないでしょ? 申し訳ないなとは思うけどね」


 やはり彼女は無理をしている。


「それを渡したとき、俺が言った言葉を覚えてる?」

「えっと、それは……忘れちゃったよ。そのあとすぐに青沙が飛び降りちゃってそれどころじゃなかったし」

「キミがもしも朱音ちゃんだとしたら、そんな薄情なことはないよね。だって俺はあの日、朱音ちゃんに好きだって告白したんだから」


 朱音ちゃん、いや青沙ちゃんの目が大きく開かれる。ここからどうやって挽回しよう、どんな言い訳をしようかと考えているに違いなかった。


 でももう遅いんだ。


「朱音ちゃんの太ももの内側にはね、小さなホクロが二つ並んでるんだ」


 確実な証拠なんてない。だから最後の手に出る。


「見せてくれない? それとも見せられない?」

「そんなの嘘。だってそんなの、見たことない」

「青沙ちゃんがいなくて、家には千歳さんもいなくて、二人きりだったときがあったんだ。そのとき俺は言ったんだよ。ここにホクロがあるねって。恋人関係ではないけど、そういうこともあったんだ」

「やめて!」


 彼女は取り乱して両手で耳を塞いだ。下唇を噛み、必死に涙をこらえているようだった。


「もう、やめてよ……」


 けれどこらえきれずに涙が溢れてきた。涙は頬を伝い、彼女の制服を濡らした。


「ちなみにホクロの件は嘘なんだけどね。肉体関係も当然ない」

「なに、それ……騙したの?」

「キミが本当に朱音ちゃんだったら否定できたでしょ。否定できないのは、その事実があったのかなかったのかがわからないから。キミは朱音ちゃんじゃない、間違いなく青沙ちゃんだ。そしてキミは朱音ちゃんが援助交際をしていることを知っていた。違う?」


 しばらくは耳を押さえていた青沙ちゃんだったが、深呼吸を数度繰り返してから手を下ろした。スッと、その肩から力が抜けていった。表情はなく視線は冷ややかだ。


「何度もやめなさいって言った。そんなことしてたらお母さんも悲しむって。ミハルだって軽蔑するって。でもやめてくれなかった。そのうちに、あの子は飛び降りた」


 やっと認めてくれたようだ。ここまで追い詰めたくはなかった。彼女を傷つけたいわけでもない。それでもこのままでいいとは到底思えなかったのだ。


「最初は普段の姿のままだったんだけど、客受けがいいからって私の格好を真似るようになった。清楚な感じを装って援助交際してたんだ。名前だけは隠してたみたいだけど、静かな子の方が人気があるからって。だからあの日もあの子は私と同じような地味な格好をしてた。あの日は嫌な予感がして、廃ビルに行ってたのは知ってたから私も廃ビルに行った。そしたら、朱音が落ちてきた」

「そこで入れ替わることを思いついた?」

「服装は地味、化粧はほとんどしていない、偽装工作さえできれば死んだのは青沙っていうことになると思った」

「じゃあ思い通りにいったわけだ」


 青沙ちゃんは小さく頷いた。


「朱音のカバンを持ち帰って、代わりに私の財布とスマートフォンを持たせた。お母さんもお父さんも青沙が死んだんだって疑わなかった。それはそうよね、私が全部、そうなるように仕組んだんだから」

「なんでそんなことしたんだ? 朱音ちゃんに成り代わる必要なんてないだろ。それに中学生にもなれば交友関係も固定化される。双子だって言っても癖や思想、学力や運動能力だって違う。朱音ちゃんの代わりをするなんて簡単じゃないってわかるはずだ」

「わかってたよ、そんなことくらい」


 青沙ちゃんは昔から勉強ができた。それに朱音ちゃんと青沙ちゃんは顔や体型は似ているが性格は真逆と言ってもいい。青沙ちゃんが朱音ちゃんの代わりをするのはあまりにも難しすぎるのだ。それこそ自分を殺し、それなりの覚悟を決める必要があった。

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