8-1
朝起きるとまだ頭が重かった。昨日よりはましだと制服に着替える。リビングに行くと千歳さんが新聞を読みながらシリアルを食べていた。怖いくらい正確なルーティーンである。
俺もシリアルを食べてコーヒーを飲んだ。「いってきます」と言うと、新聞をバサバサと羽ばたかせていた。「もういいのか」とさえ訊かないのは彼女なりの励ましと受け取っておこう。
教室に入ると珍しく一色が来ていなかった。もしかして昨日ダメージを与えすぎてしまったのだろうか。
そのままホームルームが終わり、授業が始まってしまった。いよいよ心配になってくるが、彼女と連絡を取る手段がない。このまま登校拒否ということにはならないだろうが、顔を合わせない時間が長くなれば長くなるほど、いざ会ったときにどう対応していいかわからなくなる。
ああ、そうか。天羽と一色は今そういう状況なのかもしれないな。それならば強引にせっつき過ぎたかもしれない。
そんな反省をしながらも授業はどんどんと進んでいく。一応ノートはとっているが、今日も授業の内容はあまり頭に入ってこなかった。
帰りのホームルームが終わると廊下からリュウが顔を出した。俺が呼んでおいたのだ。
カバンを持って教室を出た。
「じゃあ帰るか」
「珍しいな、お前から呼び出すなんて。どこか行きたいところでもあるのか?」
「まあそうだな」
「どこで遊ぶ? 今日は俺暇だぜ」
「それはついてからのお楽しみってやつだ」
リュウに詳細を伝えないまま俺たちは学校をあとにした。
家とはちがう方角に向かう。リュウがゲームやマンガやテレビの話を振ってくるので時間はあっという間に過ぎた。
「お前と来たかったのはここだ」
それはある廃ビルの前だった。
「こ、ここ? なんかヤバそうだけど」
「いいから行くぞ」
路地裏の方へと入って非常階段を登っていく。かなり古い建物なので結構怖かった。
最上階に出ると一陣の風が吹いた。これだけ高い場所に登ることもなかなかないので膝が笑いそうになってしまう。
俺が中央へと歩いていくとリュウもちゃんと後ろからついてくる。しかし顔色は優れなかった。わかっているんだ、俺がなにをしようとしているのか。
「どうしたんだよこんなところに連れてきて。勝手に入って大丈夫なのか?」
「廃ビルだから大丈夫だろ」
「でも誰かの持ち物なんじゃないか?」
「そうかもな。でも今日はそんな話がしたかったわけじゃない。訊きたいことがあったんだが、人がいるような場所じゃできない話だから連れてきた」
「訊きたいことってなんだよ。人前じゃできないような話なって、なんかヤバいことにでも首突っ込んだか?」
「まだ突っ込んでないさ。たぶんこれから突っ込むことになるだろうけどな」
リュウの表情からは思考も感情も読み取れなかった。真顔で俺を見つめるだけだ。逆にいつものリュウと雰囲気が違いすぎて俺の方が気圧されてしまいそうになる。
「お前、ここで飛び降りた女子中学生の話は知ってるか?」
「そりゃあお前がめちゃくちゃ落ち込んでたやつだろ。朱音ちゃんの妹が飛び降りたって前に言ってた」
俺はコイツと友人関係だし、朱音ちゃんと俺はお隣さん。となるとなんだかんだでコイツと朱音ちゃんにも面識ができる。でも俺が遊びに誘うことはないからリュウと朱音ちゃんの親交が深いとは思えない。
「そう。でさ、別の話になるんだけど俺二日前にある人たちの会話を聞いたんだよ。ヒノマルマートの横の路地、その奥の方でさ」
リュウの眉がピクリと動く。
「お前と志倉の会話だ。お前たちがあそこでどんな話をしたのか、忘れたとは言わせないぞ」
「聞いてたのか」
「全部聞いてた。お前が志倉を脅してることも、志倉がなんで脅されているのかも」
「で、だからなんだってんだ? そんな話をしにここまで来たのだ?」
「本題はこれからだ。志倉は三年前まで援助交際をしていた。しかも中学生とだ。そしてお前はそれを使って志倉を脅している。脅しが成功してるってことはお前はその証拠を持ってる。写真か動画かこの際証拠がなにかなんてどうでもいい。重要なのはその写真に写ってる女子中学生が誰なのか、だ。お前はその人物を知ってるんだろ?」
リュウは表情を変えぬままため息を一つ。正直ため息を吐きたいのはこっちの方だ。こんなふうにしてリュウと対峙したことは今までない。飄々としているリュウと、流されるだけ流される俺。そんな二人だからケンカ一つもなくやってこられたんだ。
「俺は志倉と約束したんだ。このことを誰にも教えないしばらさない。その代わり志倉は俺の言うことを利く。そういう契約なんだ」
「じゃあこっちから一方的に話をさせてもらう。その女子中学生、もしかして七楽青沙だったんじゃないのか? 志倉が住んでいるこの廃ビルから飛び降りた七楽青沙だ」
「もしもその青沙ちゃんが志倉と関係を持っていたとして、なんで飛び降りる必要があったんだ?」
「志倉がリベンジポルノ目的の動画を撮っていたとしたら可能性はゼロじゃないだろ。脅されて強制的に関係を続けさせられていたら辻褄が合う」
「よくそこまでこじつけたもんだ。証拠なんて何一つとしてないのに」
「そうだよ。だからお前と話がしたかった。もう一度訊くぞ。志倉と関係を持っていたのは七楽青沙なのか?」
俺もリュウも視線を交えたままだ。答えを聞くまで俺が目をそらすことはない。そしてリュウもまた視線を外すつもりはないらしい。
「俺はこう見えて約束は守るタイプなんだ。だから詳細は省かせてもらう。そのうえで言えることがあるとすれば、あれは間違いなく青沙ではなかった。とだけ言っておく」
「わかった。お前がそこまで言うならあれは七楽青沙じゃないんだな」
リュウの眉がピクリと動いた。俺の口調になにかを感じ取ったのだろうか。
「さあ、どうかな。話がそれだけなら俺は帰らせてもらうぞ」
この短い間で意見を曲げた。いや違う。なにか明確な意図があって、それを知らせるために意見を変えたのか。
それでもここで問い詰め続けることはできない。押し問答が続くだけだ。それならばお互いのために切り上げた方がいい。
「ああ、こんなところまで連れてきて悪かったな」
「いやいい。じゃあな」
俺に背を向けて非常階段へと向かうリュウ。最後に見たヤツの目は俺を軽蔑しているような目だった。なにかにがっかりしているような印象も受けた。
でもこうするのが正しいって信じてるんだ。こうすることでしか俺の正義を突き通せないから。もう目を瞑っているだけなんて嫌だから。前に進む道を選ぶんだ。
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