6-3

 本当であれば一色の噂について聞くべきだったとは思っている。しかし話をしてみて、一色が不利になるような噂を天羽が流すとはどうしても思えなかった。一色が転校することになった理由を知っていて、それを誰かに話した可能性は十分ありえる。だが噂として広めようとしたわけではないんじゃないか。そうなると「世間話」から「噂話」に発展させた人物がいることになる。


 一色は女生徒に暴力を振って、学校に居づらくなって転校してきた。いい家柄ということらしいので、転校の件に関しては両親の意向が強かったんだと推測できる。一色自身もそれが転校の原因だと言っていた。


 天羽と一色が友人関係であったことも事実。となれば、本当は天羽がいまでも一色のことを嫌っていて嘘を言っている可能性が一つ。あとは噂をわざと広げた人がいる可能性が一つ。


「いやなんで俺がこんなこと考えなきゃならないんだ……」


 俺は一色と友達ではない。天羽ともだ。それなのになんで仲介役みたいなマネをしなければいけないんだ。


「帰るか」


 一色にこのことを話すのはいい。そこから先二人が仲直りするかどうするかは俺の知ったことではない。あとは勝手にやってくれ。


 ため息を吐きながら家路についた。一色が転校してきてからため息が増えた気がする。二人には早いところわだかまりを解消して欲しいが、先はまだまだ長そうだ。


 帰宅中に牛乳がないことを思い出し、少し足を伸ばしてスーパーに寄った。ついでに卵と牛肉、あとはキャベツやもやしを買った。特になにを作るというわけではないが、キャベツともやしがあれば炒めるだけでおかずになる。


 スーパーを出て近くの裏路地に入った。大通りを行くよりも近道だからだ。


 裏路地を歩いていると話し声が聞こえてきた。大声ではないが、元々静かな場所なのでボリュームを落としてもボソボソを聞こえてくる。ごくたまに地元のヤンキーなどが喫煙所として使っていたのだが、警察官が見回ることも増えたのでヤンキーたちがここに来ることは少ない。


 少し考えてから引き返そうとしたそのとき「志倉」という単語が聞こえてきた。


 頭の中で土曜日の出来事が蘇ってきた。青沙ちゃんが飛び降りたビルから志倉が出てきたことだ。


 どうしてか、俺は好奇心に勝てなかった。ずっとそういう気持ちを押し殺してきたんだ。興味を惹かれても見向きもしないフリをしてきた。けれど、このときばかりは気になって仕方がなかったん。嫌な予感がしたと言っても差し支えない胸のざわつきを抑えることができなかった。


 物音を立てないように歩みを進めていく。路地の陰で話をしているのか、会話が聞こえるところまで近寄ることができた。息を殺したいのに上手くできない。心臓が強く脈打って息が荒くなってしまう。


「お前、いつまで俺を脅すつもりなんだ?」


 聞き覚えがある声だった。担任の志倉の声、だと思う。


「脅してるつもりはないよ? 俺は普通に暮らしたいんだ。そのためにアンタに尽力してほしいだけなんだよ」


 その声もまた聞き覚えがあった。いや、馴染みがあると言った方が正しい。でも聞いたことがない方がよかった。


「あの時も協力してやっただろ。いつまで続ける気なんだ来栖」


 志倉が話をしていたのはリュウだった。姿は見えないが、この声質と喋り方は俺が知っている来栖龍星のものだ。


「高校卒業したらこっちから連絡することはもうないよ。約束する」

「ったく、嫌なやつに見られちまったもんだぜ」

「大変だよね、教師ってさ。教師じゃなくても未成年とラブホ入るのは犯罪だけどね。事実があろうとなかろうとさ」

「金払ってるのはこっちなんだぞ? 別にいいだろ」

「一応罪悪感あるみたいだし、こっちの要求も呑んでくれるから別にいいんだけどね。でもさ、もう中学生はやめときなよ」

「あれからはやってねーよ。お前みたいなやつに見られても嫌だしな」

「それでいいんだって。俺も志倉が教師らしくなってくれるの見守ってるからさ」

「そういうのはいらん。で、今日はなんで呼び出したんだ? わざわざこんなところ、誰かに聞かれたらどうすんだ」

「大丈夫大丈夫、ここ人あんまり来ないから。今日は特に用事はないんだよね。ちょっと顔でも見ておこうかなと思って」

「なんだよそれ。顔なら学校で見てるだろ」

「それは教師と生徒って関係でしょ。そうじゃないんだな。プライベートで顔を合わせるから、どっちが上かって認識させられるでしょ?」

「ホント嫌なヤツだなお前。そんなんだから両親にも見放される」

「嫌なヤツだから見放されたわけじゃないさ。俺が祖父母の家に預けられたのは別の理由があるんだよ。ま、そういうことだから俺はもう帰るね」

「クソ野郎」

「褒め言葉だよ」


 足音が遠ざかっていく。リュウは俺がいる方向とは逆の方へと歩いていったんだろう。志倉は志倉で大きく舌打ちをしてから歩き始めた。その足音はこちらへと近付いてくる。


 冷や汗で背中がじっりと濡れてきた。体を丸めて物陰に身を潜め続けた。


 どんどんと足音が大きくなり、同時に俺の心臓の音も大きくなっていく。


 そして、志倉の足音が俺の横を通り過ぎた。そのまま志倉は大通りの方に歩いていった。


 最後に志倉の背中が見えた。そこでようやくちゃんと呼吸ができたような、大きなため息が出た。


 正直、なにが起きたのか整理できていない。志倉とリュウの会話から推測すると、リュウが志倉を脅しているということは間違いない。それも志倉が援助交際をしていたという件で。けれど志倉に怯えた様子がないので、ほぼ対等な関係であるということはわかる。なぜ二人は対等に近い関係なんだ。なによりもリュウはなぜそれを使って志倉を脅しているんだ。志倉がおとなしく従っているということは、きっとリュウは証拠を持っているはずだ。


 しかしここでわずかだが点と点が繋がった。三年の三田に呼ばれた際、志倉が空き教室に来た理由だ。面倒臭がらずにリュウの言うことを利いたのはリュウに脅されているからだ。


 中学生、援助交際、廃ビルに住む志倉、廃ビルから飛び降りた青沙ちゃん。


「そんな、バカなことあるか……?」


 その閃きは禁忌とも呼ばるものだった。だって、俺の考えが確かなら青沙ちゃんが援助交際をしていたことになる。でも青沙ちゃんがそんなことをすると思えない。男性に苦手意識があったし、お金に困っていたようには見えなかった。それに飛び降りた理由だって――。


 あれが飛び降り自殺でなかったとしたら辻褄が合うのではないか。


 いや、いや違う。青沙ちゃんは自殺したんだ。


 じゃあ自殺するような少女だったのか。それもまた違う。


 頭の中がぐちゃぐちゃにかき回される感覚と、なにから整理していいかわからないという焦燥感で息が詰まりそうだった。


 こんなところに来たのがすべての間違いだった。あんな会話を聞かなければこんな気持にはならなかった。妙なことを考えることもなかった。


 好奇心に胸を焦がすこともなかったのだ。


 立ち上がり、呼吸を整えた。リュウが進んだ方向へと俺も歩き出す。今リュウを問いただすつもりはないし、志倉と話をするつもりもない。喉の奥に魚の骨がひっかかってるような気持ち悪さが拭えなかったからだ。この気持ちが解消されるまでは黙っていようと思った。


 自分から行動を起こすつもりはない。でも、もしもすべてが繋がってしまったら、きっと行動しなければいけないんだろうなと、そう思いながら歩幅を大きくして帰り道を急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る