6-2

「こんなこと初対面の人間に話すのはイヤなんだけどね。アンタは周に信用されてるみたいだから話すわ」

「信用されてるかはわからないけど、多少は理解できてると思う」

「いい? 周が信用してると思うから、私も多少は信用して話すんだからね? 他言無用って言葉を胸に刻んで聞きなさいよ」

「わかったよ。誰にも言わない。っていうか友達がいない一色のこと誰に話せばいいんだよ。話す相手がいねーぞ」

「一応確認のためよ」


 彼女は視線を俺に戻し、テーブルの上で指を組んだ。その指は固く結ばれることなく、右手の人差指で左手の人差し指を掻いたりとやや落ち着きがないようだった。


「あの子のコンプレックスのことは知ってる?」

「色覚障害のことか?」

「それも当たってるんだけど、それじゃあ三分の一しか正解してない」

「半分にすら満たないのか……」

「周が育ちが良いのはわかるよね?」

「見るからにお嬢様って感じなのはなんとなく」

「そこそこ大きい会社の社長令嬢なのよ。十個上の兄と七つ上の姉がいるけど、どっちも頭が良くてすごく優しい。周を見てもわかると思うけど見た目もいい。何度か遊んでもらったこともあるけど、すごくいい人たち。両親もね」

「おじいさんは?」

「めちゃくちゃ優しかった。周のことは溺愛してたけど、誰に対しても物腰が柔らかくてね。周は昔から無表情だったけど、なにかとおじいさんの袖を引っ張ってた」

「それがコンプレックスとなんの関係があるんだ?」

「お嬢様で家柄も素晴らしい。そんな少女に取り入ろうとする人間は多いってこと。あの子とは仲良くしなさいって親が子供に言って、そういう子供たちに囲まれて育ってきた。だから自分の家柄にもコンプレックスを持ってる。どうせ近付いてくる人間は両親の気を引きたいだけなんだろう、ってね」

「それで三分の二ってことは他にもあるんだろ?」

「さっきも言ったけど、あの子の兄弟も両親もすごくいい人なの。周の口から兄や姉、父や母の悪口を聞いたことなんてなかった。だからこそ、腫れ物扱いされていると感じたんじゃないかな」

「でもみんながみんな誰に対しても優しければそう思わないだろ」

「でも家の中では周が一番年下で、みんながみんな溺愛していたのよ。そりゃそうよ。お兄ちゃんとは十個、お姉ちゃんとは七個離れてるんだから。可愛くてしょうがなかったと思う。私も年が離れた弟がいるからね、気持ちはわかる。家の中では、周が一番優しくされ、可愛がられる立場だったの。あの子はそれが「自分には色覚障害があるから優しくしてくれているんだ」と感じたのかもしれない。そういうの、口に出すような子じゃないからずっと誰にも言わなかったんじゃないかな」

「お前にも言わなかったのか?」

「直接聞いたわけじゃない。私が勝手にそう思ってるだけ。思ってるだけなんだけど、たぶん正解だろうなとも思ってる。あの子自分のことあんまり喋りたがらないし」


 最初はただのギャルで、周のストーカーで、噂を広めた陰湿な女かと思っていた。けれど話を聞けば聞くほどに噂を広めるような人間でないような気がしてくる。


「特におじいさんが亡くなった直後はさ、本当に誰に対しても壁作っちゃって、私とも話したがらない時期があったんだ。時間とともに元には戻ったんだけどさ。その代わりに学校に絵本を持ってくるようになった」

「今でもカバンに入ってるぞ。タイトルは忘れたけど」

「あの絵本はいろいろあるから、日によって持ってく絵本が変わるのよ。中学校の頃に男子にそれが見つかってバカにされたことあったな」

「バカにした男子に殴りかかった、とか?」

「バカにされたくらいでそんなことしないって。「アナタの両親が事故で死んで、その形見がバカにされたらどんな気持ちになるの?」って言ってたかな。男子は「俺の父ちゃんも母ちゃんも生きてるから関係ないね」って言ってた。でもそれきりその男子が周に近づくことはなくなったかな」

「大事な人からもらったものをバカにされれば怒ってもしかたねえな」

「それに絵本を持っていくことが心の支えみたいなところあったからね。それで元の周に戻ったならいいやって、その程度にしか考えてなかった。元々誰かに頼るような子じゃなかったからそれくらいはね」

「めちゃくちゃ一色のこと見てるね。ちょっと引くわ」

「あの子ってなに考えてるかちょっとわからないところあるでしょ。だから目が離せなかったのよ。でいろいろ見てきた結果、家柄のこと、家族のこと、そして色覚障害のこと。そういうのがコンプレックスになってるんだと考えたのよ。だから触れないように、してたんだけどねえ……」


 溶けかけたシェイクをズゾゾゾゾッっと飲み干した。


「言ったのか、それ」

「直接は言ってない。というか言おうとしたんだけど、呆れてやめちゃった」

「もしかしてそれがケンカの原因か」

「全然違う」

「今までの話なんだったの? 前置き長すぎないかとは思ったけどまったく関係ないって前置き以前の問題じゃない?」

「ようはコンプレックスの塊だってことよ。コンプレックスが邪魔をして、ちゃんと相手を見ることができないの。私が転校するときさ、あの子私になんて言ったか知らないでしょ? 寂しくなるとか、メール頂戴とか、元気でねとか、小学校に入る前から友人だった人に言うこといっぱいあるでしょ? でもあの子はこう言ったのよ。良かったわねって」


 天羽は下唇を強く噛んだ。


「あの子にとって、私ですら「お嬢様に取り入る有象無象」だったのよ。それを聞いて頭きちゃった。ずっとそんなふうに思ってたのかって怒鳴って、それっきりあの子とは疎遠になった。まあ、周がそう言いたくなるのも仕方なかったのかもしれないけど」

「仕方がなかったって、なんで?」

「私のお父さんね、周の家族と知り合いっていうか周のお父さんの会社に勤めてたの。でもヘッドハンティングで別の会社に移って、それで転勤することになったんだ。だから周としては「ようやく一色家から離れられるね」って意味だと思う」

「なんで訂正しなかった? 一色のことをそこまでわかってるんだったら否定してわからせてやることもできただろ」

「それをしてどうなるの? また仲良しこよしってできるの? 周が自分から動かないからっていつまでも私が手を差し伸べるの? これから私は転校するってときに、まだ周を甘やかすの?」

「お前……」


 そうか、ケンカ別れのままだったのは天羽なりの激励だったのか。誰かが動いてくれるまで待つんじゃなく、自分から行動を起こしてみせろっていう天羽なりの、友人としての行動だったのだ。


「ま、結局なんのアクションもないまま三年経ったわけだけどね」


 天羽はアップルパイを一気に食べ、俺のコーヒーを勝手に飲んだ。しかも全部。


「俺のなんだけど」

「固いこといいっこなし。でも周が元気そうで安心した。そうだ、連絡先交換しない?」

「急に? なんで?」

「これもなにかの縁でしょ。周のことも訊きたいし」

「それがメインだろ」


 本当にストーカーじゃないのか不安になってきた。


 だがちゃっかり連絡先は交換した。きっと俺から連絡することはないだろう。


「じゃあ帰ろっか」という天羽に「ああ」と返した。


 オボンを返却口に返して店を出た。天羽は外に出て「周には内緒だからね」と一人で駅の方へと消えていった。

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