4-2
「さっきまでの言葉はたぶん本気で言ってたんでしょうね。でも今の言葉は本心からでた言葉じゃないわね」
「どうしてそういう考えになるんだ」
「アナタはある部分にあえて触れようとしなかった。違う?」
ここまで人の感情に鋭いとは思ってもみなかった。感情の機微を感じ取れるならば俺が躊躇した理由だってわかりそうなものなのに。
「――そうだよ。他にどんな質問があるんだって言ったけど、ホントは別の質問も考えた。考えたくなかったら封をした。それじゃダメか?」
「私に同情してるから? 哀れんでいるの?」
「なんでそうなるんだよ。俺はただこの年で絵本読んで楽しいのかと思っただけだ」
「嘘ね」
「嘘じゃねーよ」
一層眼光が鋭くなった。
彼女がなにを言いたいのかは理解できる。一色は自分の色覚障害で大きなコンプレックスを抱いている。色とりどりの絵本を色覚障害者が見て楽しめるのかと、きっとそう訊いて欲しかったに違いない。
「私をバカにしてるのね。仕方ないことだとは思うけど」
「お前、勘違いしてるよ」
「なにが勘違いなの?」
「とりあえず言っておきたいことがある」
あまり言いたくはなかったが、誰かが言ってやらなきゃいけないんだ。彼女が抱いているコンプレックスのせいで周りが萎縮し、そのせいで本音を言える人間がいなかったからだ。
「お前が自分にどういうコンプレックスを抱いてるかなんてのは俺に関係ないんだよ。お前の周りの人間には関係ないんだよ。色がわからないのに絵本を楽しめるのかって言って欲しかったのか? 残念だけど俺はそんなこと思わなかった。だから言わなかった。お前の気持ちなんて一生わからない。どれだけ理解しようとしても無理だってこともわかってる。でも誰がなにをどうやって楽しもうが個人の勝手じゃないのかよ。お前に色覚異常があったって絵本は楽しめるだろ。だから絵本を見てたんじゃないのかよ」
一色はハッ小さく息を吸い、すぐに口を一文字に結った。かすかに唇が震えているようだった。
「いいかよく聞け。お前はいつも澄ましてるし絵本を読むようなタイプに見えなかった。だからお前でも絵本を読むんだなって、そうやって友達みたいに言おうとしたんだよ。でもそれがダメならなんならよかったんだ? お前をバカにすればよかったのか? 思ってもない言葉でお前を傷つければ満足か? 悪いけど俺はお前を満足させるための道具じゃないんでな。いくら要求されても、俺はお前を蔑むことも貶すこともするつもりはない」
「アナタは――」
「黙ってろ」
俺が強めに言うと、彼女は口を噤んで下を向いてしまった。当然だ。彼女が黙るように睨んだんだから。
大きくため息をついて文庫本を開いた。本を読みはじめてから彼女が話しかけてくることはなかった。息を呑む音とページがめくられる音だけが教室に舞っていた。他のクラスメイトが入ってくるまで行きが詰まりそうだったが、それを一色に悟られまいとするのがなによりも大変だった。
それから極力一色を意識しないようにと努めながら授業を受けた。
一色と顔を合わせたくなくて、四時間目の終わりを告げるチャイムと共に教室を出た。三組の前でリュウと合流してリュウが購買でパンと牛乳を買うのを待った。屋上に到着するとすでに他の生徒がいたので、中庭の端の方で昼食をとることにした。
「なんか今日元気ないな」
リュウはそう言ったあとで焼きそばパンを頬張った。
「そんなことないぞ。いつもと変わらない」
「いやいやそんなことないね。めちゃくちゃ落ち込んでる。わかった、誰かとケンカしたな。チーちゃんか? いやその顔は違うな。アカネちゃんとケンカしてもそんな顔にはならない。そうかわかったアマネちゃんだろ。ほーらその顔当たりだな?」
「一気にまくしたてるんじゃない」
疑問形で話しかけておいて自分で結論を出す。中学校の頃からそうだが考えてからしゃべるのではなくしゃべりながら考えるのだ。朱音ちゃんと同じタイプなので扱いには困らないが、それでもやかましいことに変わりはない。
「だって質問したって答えてくれないだろ? だったら質問と結論を同時に投げかけて反応見た方が早くない?」
「お前のそういう狡猾なところ、尊敬してるけど怖くもある」
「勉強はできないけどな」
「まったく勉強できなかったらこの学校入れてないから」
「そりゃ勉強見てくれた先生が良かったんだろ? あーその先生が目の前にいるじゃないか。サンキュ、センセー」
「そういう言い方ホントムカつくな」
リュウは確かに勉強ができる方ではない。やればできるのだがやる気がないのだ。にも関わらず俺と同じ学校を受けたいとか言い出して、そのくせ俺に勉強を見させるという暴挙に出た。受け入れてしまった俺にも問題はあるのだが、短期間でこの学校に入れるくらいには学力を上げた。それに関しては心からすごいと思う。
「で、なんでケンカしたわけ? この前は協力して困難を乗り切ったじゃんか。ボスを倒したパーティメンバーと言ってもいい」
「ゲームみたいに言うなよ。あのときは結構冷や汗ものだったんだから」
「その冷や汗ドバドバの状況を乗り切った仲間だ。仲間だからこそケンカもするだろうが、そのまま放置しとくってわけにもいかんだろ」
焼きそばパンを一気に食べきり「だろ?」と笑った。
俺は朝の出来事を掻い摘んで話してやった。一色が絵本を持ってきていること、それを大事にしているだろうということ、彼女が抱えているコンプレックスのこと、そしてそのコンプレックスを他人から攻撃されたがっていること。
「アマネちゃん、ドMなのかな」
「どうしてそういう答えが出てくるのか」
「冗談だって。でもなんでわざわざ攻撃されたがるんだ? コンプレックスなんて誰にでもあると思うけど、攻撃されたくないってのが本当のところだろ?」
「そんなの俺にわかるか。だから困ってる」
だから、わからなくなる。
「でも、そのうちなんとかなるんじゃないのって思うけどね」
「どうして?」
「一色周が外村未陽を嫌っているとは考えられないから」
「意味がよくわからん」
「嫌ってる相手を退けるために攻撃される、ないし攻撃するっていうのはなんとなく心情として理解できる。特に人を無理矢理遠ざけようとするアマネちゃんだったらなおさら。でもアマネちゃんがミハルを嫌っているようには見えない。そんな人間に攻撃されたがるだろうかっていう話よ」
「そこが理解できないから悩んでるんだけどな」
「ってことはつまりなんか他にも理由があるんだ。だから大丈夫だって。そのうちなんとかなる」
いつもどおりの楽観的でなんでもかんでも笑い飛ばそうとする。そういう部分に助けられたこともあるので一概に否定はできない。
「そうなると俺はなにもしなくていいってことか? それはそれで歯がゆいな」
「なんとかなるっていうのは時間が解決するって意味じゃないぞ」
「じゃあどういうことなんだよ、意味がわからん……」
「なんにもしないってことはなんにもしないようにしちゃってるじゃん。俺が言いたいのはお前がやりたいようにやったらなんとかなるんじゃないかって意味。なんにもしないように努力するのと、今まで生きてきた通り動くのとじゃ意味が違うだろ?」
なにもしないという能動と、今まで通りに振る舞うという能動。あくまでも受け身には回るなよということだろうか。
それに一色のことだから、今回のこともなかったかのように接してくるかもしれない。それは今リュウが言ったように、彼女もまた「いつもの自分」を崩さなかったから。
「そろそろ休み時間も終わりだな。帰るか」
リュウが立ち上がり俺も「そうだな」と言ってから重い腰を上げた。
普段は楽観的な男だが、こういうときには非常に頼りになる。友人という友人はリュウくらいしかいないが、唯一の友人がコイツで良かったのかもしれない。
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