愉悦の王妃(他者視点)
冷たくなった夫の体を前に、私は顔を俯かせ、両手で顔を覆って、表情がわからないように、肩を震わせていました。
声を我慢しているこの状況ですので、一目には、愛がないとはいえ、夫の死に嘆いているように見えるでしょう。
けれども、今、私の顔に浮かんでいるのは愉悦の表情です。
初夜には一度だけ抱かれ、その後すぐに側妃の元に向かわれ、それ以降ベッドを共にしていないとはいえ、運よくティームを授かり、私は王妃として、第一王子の母として、今まで生きてきました。
夫に逆らおうにも、『誓い』のせいでそれも出来ず、後宮に居る側妃たちには、夫に捨てられた哀れな王妃と馬鹿にされていました。
けれども、側妃が何人いようとも、夫の子供はティームとマロンのみで、夫は私が密かに飲ませるように指示している避妊薬に、気づきもしないようでした。
薬師として有名な公爵家の娘である私には、夫の食事に避妊薬を混ぜさせるなど、簡単な事でした。
夫は、私を力のない、ただの公爵家の娘だと思っているようですが、侮らないでいただきたいものです。
ティームのスペアとしてマロンまでは許しましたが、側妃と夫の教育に毒されているあれは、近いうちに自滅すると思っていましたが、まさか、あのミレイア様と婚約破棄をするとは思いませんでした。
ギリギリのところで繋ぎとめていたのに、自ら手放すなど、なんと愚かなと呆れ、同時にこの国の終わりを悟りました。
出来ることなら、ティームをこの国から逃がしてあげたかったのですが、『誓い』のせいでそれも叶わず、苦々しい思いをしておりましたし、北の塔に幽閉された時は、夫たちが死に急いでいると思わず笑いそうになりました。
私の大切な人を奪った夫を、私は絶対に許せません。
ルミリア様は、私にとってかけがえのない親友でした。
王女という立場から、学友として親しくしており、この国を変えようと誓いあいました。
私は王妃として、ルミリア様はジュピタル公爵家の妻として。
けれども、夫はずっとルミリア様に負い目を感じていたようで、何かにつけては無茶を押し付けるようになっておりました。
守護結界に不備などないのに、事細かにありもしない欠点を指摘させ、その度に魔力を無駄に消費させたり、他国からの無茶とも言える討伐要請を、ジュピタル公爵家に押し付けたりしていました。
それでも、ルミリア様は子供を産んで、政略結婚とはいえ、愛情をはぐくみ、至高の魔導士として、多くの人から慕われる存在になりました。
ルミリア様が慕われるようになればなるほど、夫はルミリア様に嫉妬をするようになりました。
そうして、あの忌まわしい『渡り』が行われることになったのです。
もちろん、なんの危機に襲われている状況でもないのに、無意味に『渡り』をするなどありえないと抗議をしましたが、全く聞き入れてもらえず、『渡り』は実行されてしまいました。
異世界の女を見てみたいなどという下らない理由は、きっとルミリア様を亡き者にする為のこじつけでしかなく、本当の目的は、ルミリア様を犠牲にする事だったのでしょう。
そこまでした結果が今なのだとすれば、何とも愚かしい。
ルミリア様を犠牲にして『渡り』をしなければ、ジュピタル公爵家は今もこの国にとどまり、変わらぬ繁栄を約束されていたでしょうに、それを手放したのは夫自身。
マロンもあの『渡り人』に誑し込まれたけれど、きっと『王族に気に入られる女』を条件にしたのかもしれませんので、それも仕方がなかったのかもしれません。
結局の所、この国の終焉は、夫の自分勝手な行動によるものでしかないのです。
ルミリア様に託されたブレスレッドは、ここに転移する前に魔導士に渡してしまいました。
もうこの国に、私が守るべきものはないのですもの。
しばらくして、表情を取り繕えるようになって、やっと顔を覆っていた手を離し、惜しむように夫の体に両手を添えます。
私にはルミリア様ほどの魔力はないけれど、目の前の死体を八つ裂きにするぐらいは出来ます。
「駄目ですよ」
発しようとした魔法は、いつの間にか相殺されていて、私は護衛と称されている魔導士に視線を向けます。
「なぜです?」
「その死体は、まだ利用すると言う話です。せっかく綺麗な死体なので、むやみに傷つけて欲しくはないのです」
「そうですか……。それは、残念ですね」
本当に、心の底からそう思ってしまいます。
いままでの、ルミリア様の犠牲を、私の手で少しでも返してやりたいですが、それでミレイア様達に迷惑が掛かっては元も子もありません。
けれども、夫が死んだことは、私にとってこれ以上ない幸福な事です。
毒杯を飲みながら、『誓い』に逆らえない自分を恨めしく思いつつ、憎しみを目に浮かべている姿を思い出して、また愉悦を含んだ笑みを浮かべそうになってしまいました。
この国は歴史上から消える。
私が守ってきたものは、もう何の意味も無くなってしまう。
その事が虚しくないのかといえばそうではないけれど、長年私を苦しめていた者が、一人でも死んだのはいい事ですね。
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