不機嫌な過日
5月15日(土)
今日は夕方4時に
俺は球場近くの新しい住まい(正確にはすでに借りているのだが)の清掃が終わったので試合がおわればそちらに引っ越す予定なのだ。マシューもはるばる俺の愛車をダーラムから転がしてくれているので今日には合流。彼も
「健、今日の試合はお前を指名打者で使う。準備しておくように。」
ベンチコーチのデイブに告げられる。ベンチコーチとは日本でいうところのヘッドコーチに近い。作戦参謀役が主な仕事であるのは一緒だが、監督から依頼された雑務もこなす、まさに右腕。
「はい。」
今日の先発投手はこちらがエースのフィールズ、シアトルは左腕のバンガスが登板予定。MLBは先発ローテーションが確立しているので数日前から先発投手が予告されているのだ。(ちなみにノイマンの代わりに入った俺の先発はすでに明後日と公表されている)。しかも打順は5番指名打者。
うーん。最初はもっと楽な打順から打たせそうだけどな。活躍を期待されているのか、あるいは活躍しなかったら遠慮なく下に落とすよという意思表示なのか。
いずれにしてもせっかく手にしたチャンスを活かさないわけにはいかない。
とりあえずトレーニング。午前中からみな汗を流している。なんとなくアメリカ人には練習嫌いなイメージがあるが、基本的にみんなきっちりとトレーニングをしている。日本人のようにただ時間をかければいいというわけではないのだろう。
チーム練習を終えても1時くらい。試合が4時と早いので昼飯は軽めにしておこう。
カフェテリアに入り、ビュッフェ形式で提供されている料理をとると席をさがす。そこでパット・レベルと目があった。レベルはかつてフィラデルフィア・ペイトリオッツからドラフト1位、しかも全体1位で指名されている。あ、なんか嫌な予感。
「
そうか。このチームの今季の指名打者はこれまでこの人の指定席だったんだよな。
うーむ、なんか気まずい。しかも目で
「まぁ、気にすんな。俺も怪我の
「そうなんですね。」
反応困る……。
「お前が俺のちょうど10年後の(ドラフト)全体1位なんだってな。……これが世代交代かってやつかな。」
いやこれ結構精神的に追い込まれてる?というか
「……多分(契約を)切られる。」
そういって頭を抱えた。一瞬で空気が凍り付くカフェテリア。
「そこは堂々としていてくださいよ。今調子が悪いなら後はあがるだけじゃないですか。あのですね。先輩には壁でいてもらわないと僕ら若手が困るんですよ。高く、強い壁でいてくださいよ。そして鬼のような形相で僕らの挑戦を跳ね返してくださいよ。それがあなたの義務です。……すんません。生意気言いました。」
俺にとってはヰチローさんもそうだし、今季からロサンゼルスに行った松居さんもそうだ。ピーク時の「凄さ」を過ぎてもなお、より「研ぎ澄まされた」野球への姿勢と培った技術は若手選手の眼前にいまだに高い壁としてそびえている。
パットは彼らよりは「まだ」若いのだからまだまだ枯れてる場合じゃない。もちろんそれはまだ「老いた」ことがない俺の傲慢さかもしれない。
試合直前のラインナップのアナウンスで5番指名打者として俺の名を上げられると観客席はどよめいた。
シアトル・マトリックスはヰチローさんの安打から初回得点。俺は気合が空回りしたのか2回の初打席はセンターフライ。少し飛距離がたりなかった。
ヰチローさんはこの試合も
エースのフィールズは8回2失点と先発の役目を十分にはたしたが、チームの打撃陣は7回まで0行進。ようやく8回にタイムリーと犠牲フライで同点に追いつく。
なにを思ったか、マディソン監督は同点にも拘わらず
そして9回裏。先頭打者は俺。パットが俺に声をかけた。
「思いきり振ってこい。若いんだからかっこつけんなよ。凡退したって明日がある。それがお前の特権だ。」
それでいいんですよ。
「Yes,sir」
俺は敬礼してからサークルに向かった。
投手は右投げのヘスス・コロン。ベテランのセットアッパーだ。くさい球の出し入れで2B2Sからの5球目。ひっかけ目的の外角へのスライダーを完璧にとらえた。
ヰチローさんの頭上を越えていく今季1号(通算10号)本塁打。うれしいというよりはホッとした。先輩に偉そうな口をたたいても、それは弱気な自分に言ってんのよ。
ダイアモンドを一周した俺を真っ先に出迎えたのもまたパットだった。
お昼の失態は取り戻せたと思いますよとは口が裂けても言えないが。
【沢村健の今季成績(通算)。】
打席4 打数3 安打1(長打1) 四球1 打点1 本塁打1 打率.333
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