「さよならダーラム]

 5月9日(日)


 母の日が母の日が大惨事だったのはなにもバレッツだけではなかった。

レイザースは現在アメリカ西海岸で交流戦の遠征を続けていた。


 オークランド・アスリーツと対戦したこの日、レイザースはダラス・ブレイリーに完全試合を喫してしまった。そう、打線なんて所詮は水物!好調なんて思い込み。ざまぁ。あれ?俺ちょっと荒んでね?


 5月10日(月)


 今日からトレド・マッドルースターズを迎えての4連戦。トレドはデトロイト・タイタンズ傘下である。そして今日は先発投手。8回1失点。7回まで1対1の同点だったがダン・ジャクソンの10号ソロ本塁打で勝ち越し。

「打ってやった俺に感謝は?」

うぜえ。俺の半分しか打ってねえくせに。

「あざっす」

素直にお礼を言えるのは人生経験のおかげ。5勝1敗でヘル吉に並んだ。チームも20勝。


 5月11日 (火)


 2番レフトで先発出場。4打数1安打1四球。チームは4対5で敗れる。ここで衝撃のニュースが。レイザースの先発ノイマンが5回途中で肘の違和感を訴えて突如降板。検査の結果、じん帯をやっており今季絶望の診断。


5月12日(水)


 午前のトレーニングが終わったところで監督室に呼ばれる。前述したかもしれんが監督と関わるのは怒られるか降格かどちらかなのだ。よって気が重い。


「健、ノイマンのニュースは聞いたかね?」

「はい。故障者リストDL入りだそうですね。残念です。」

俺は強張った顔で言葉を選ぶ。


「それでアンディ(レイザースGM)から今朝がた連絡があってね。健、キミをレイザースに呼ぶことになったそうだ。」

「はい?」

ん……?それってもしかします?


「昇格おめでとう。」

監督が右手を差し出した。

「あ、ありがとうございます!」

もしかしてきたーーーーーーーーー!?


「まあ開幕から明らかにここはキミの居場所でないくらいは明白だったからね。……正式な告示トランザクションは15日付けだそうだ。とりあえず今から準備して明日中にはセント・ピートにつくように。まあ明日はレイザースが移動日だから試合自体はないがね。」


 昇格来たーーーーーーーっ!


他人様ひとさま故障けがや不調で昇格することで喜ぶというのがなんともはばかられるが昇格は昇格。嬉しいに決まっている。奴隷が両手にはめられた腕輪が外されるくらいには嬉しい。これがわからないのはお前らが幸せなせいだからな!


「お世話になりました。」

俺が一礼すると監督は笑った。

「今日の試合は出なくてもいいからね。ロッカールームを片付けてフロリダへ行く準備をしておきなさい。航空券チケットも手配してくれると思うよ。」


 とりあえずマシューに昇格を報告し、球場までの迎えを頼む。

「おめでとう。向こうの家の掃除とか準備とか頼まなくてはだな。」

「うん。いろいろ頼むよ。」

向こうに家はシーズン前から用意はしてあるけどほうっておきぱなしだった。住めるまではホテル暮らしか。


 ロッカールームに行き、私物を片付けているとデズとヘル吉がきた。

「健、昇格だって?おめでとう。」

「ありがとう。」

かわるがわるハグを交わす。


「ヘル吉も今年こそはデビューできそうだな。」

「うん。ここまで順調に来てるから、なんとか9月にはいきたいよね。」

「9月と言わず、早めに来いよ。」


「俺もすぐ健に続くぜ。」

お前はちゃうやろ。デズ。

「デズは開幕から出遅れた分をこれから取り戻せよな。」

「なんだよそれ。……確かにまだ本調子じゃないからな。てか俺の本気はこんなもんじゃねーからな。」

うん、今すぐそれを見せてみやがれ。


 二人ともAAから一緒に這い上がってきた戦友だ。お互いに嫉妬心がないとは言わないがそれを補って有り余るくらいの苦楽をともにしてきた。


「聞いたぞ健、昇格だってな。上は初めてか?」

ダンが俺に声をかける。

「いや、昨年セプテンバーコールアップで呼ばれてるから。3週間だけですけどね」

「へえ。そうか。それじゃ上を知ってるだけによけいに下はキツかったろ?まぁいつでも帰って来いよ。俺が代わってやるから。」

「嫌ですよ。」

ここは即答。


「ダンは早く健の記録をぬいてこっちで本塁打王にならないとな。健、おめでとう。」

ジョーも祝福してくれた。

「いやだよ。こんなとこでウジウジしてられっかよ。俺もさっさと上にあがりたいわ。」


 そこは「お前の代わりはいくらでもいる」という世界。夢と野望と欲望が渦巻く世界、だからこそ得るものもまた大きい。


 クリフも祝福してくれた。

「がんばれよ。今回は昨年の時みたいにみんなもお前を『お客さん』扱いはしないからな。特にお前はアジア系だ。周りの当たりもキツくなる。そこは辛抱しろ。まだこの国では差別がなくならないから毎年ロビンソン・デーをやってるの覚えておいてくれ。だから自分からチャンスをつぶすような真似はするなよ。」

「はい。」


 日本人は時々忘れてしまいがちだが、アメリカにおけるアジア系の地位は黒人よりも低い。第二次大戦でヨーロッパで日系人兵士が祖国アメリカのためにさんざん血を流してなお、差別は色濃く残っているのだ。


荷物をもってクラブハウスを出るとちょうどマシューが迎えに来ていた。


「おめでとう、健。昇格のニュースは家族や亜美には伝えたの?」

「向こうは真夜中だからメールだけにしておいた。」


日本時間が夜中の1時過ぎなので家族と亜美、そして代理人のケントにだけメールで伝えたのだ。

「そうだね。僕も由香には伝えておいたから。マスコミ対応はケントにしてもらおう。直接対応していたら準備できなくなっちゃうし。」


 準備といっても遠征の準備とそう変わらない。「仮住まい」と決めていたこともあり必要最小限のものしかこちらのアパートにはおいていなかったし。


 夜には両親や妹、亜美から祝福の電話やメールがはいった。

亜美も妹の美咲も「おめでとう」より先に「母の日のコスプレ見た」だったのには辟易したが。

「母としては息子が間違った道へ進まないか心配です。」

母ちゃん、女装すると俺、自分が母ちゃんの若い頃に似てると思うからそこで立ち止まってマス。


 5月13日(木)


 早朝、ついにひと月半生活したアパートを後にした。マシューの運転でローリー=ダーラム空港へ向かう。さよなら、ダーラム。二度と選手としてここには戻ってこない。それだけが確かな誓いだ。

 


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