3 ボドゲ仲間と妹の関係を眺めている

 これまで、バレンタインデーというものに縁がない方だった。

 だから、店先にギフト用のチョコレートが並んでも、ついこないだまで正月だったのになあとか、節分とバレンタインのディスプレイが並んでるのはややこしいなあとか、そんなことを思うくらいだった。そういうのは自分に関係のない行事で、他人事。

 あ、いや、この時期にボドゲ会に行くと、チョコレートが差し入れされていることがある。チョコレートを使った限定メニューを用意するボドゲカフェもある。それを見て「そんな時期か」と思ったりはする。全く無縁ということもなかったか。

 ともかく、普段は気にもしてないバレンタインの存在を思い出したのは、妹が突然にチョコを渡してきたからだった。夕食後、付けっ放しのテレビの前で、次に買う予定のボドゲの海外での評価を見ていたときだった。

 スマホから目をあげて、突然目の前のテーブルに置かれたそれを眺める。透明なビニール袋の口が絞られて、リボンが巻きついている。そのリボンを留めるハート型のシール。シールにはお洒落な字体で「Happy Valentine」と書かれていた。

 それで、もうじきバレンタインだったと思い出した。

 だとすれば、ビニール袋の中に入っているのは、きっとチョコレートだ。カラフルな銀紙でぴったりと包まれた真四角の立方体がコロコロといくつか入っている。その銀紙はどうやらダイスを模したものらしい。見慣れたドット柄がプリントされている。


「何だ、これ」


 妹からバレンタインのチョコレートを貰うなんて、初めてのことだった。意味がわからなくて手が出せないまま、隣に立っている妹を見上げる。


「こないだのお礼」


 眉を寄せて怒っているような瑠々るるのその表情は、まったくもって人に物をあげる態度には見えなかった。でも、以前のろくに話もしなかった頃と比べたら、とても軟化している気はする。


「そういうことなら貰っとく」

「何その言い方、要らないなら返してよ」

「要らないとは言ってないだろ。返せって言うなら返すけど」


 テーブルの上のその袋を持ち上げて、瑠々るるなりにボドゲっぽい物を考えて選んだんだろうな、とその中身を眺めた。こないだの買い物は、こんな風にお礼を考えるほどには助かったってことなんだろう。その気持ち自体は別に悪い気はしない。

 だから、素直にお礼の言葉を述べた。


「わざわざありがとうな」

「別に。かどくんのを選ぶついでだったし」


 俺の素直な言葉に対して、瑠々るるがふいと横を向いてそう言った。可愛げのないその声に、俺はとても納得して「ああ」と声を出してしまった。


「バレンタインてそういうことか。カドさんのついでなら納得だ」


 突然に始まったバレンタインの意味がわからなかったけど、俺がついでと言うなら納得できる。それに、この二人はどうにもならなさそうだった割にどうにかなりそうじゃないか、という気持ちにもなった。

 そうやって俺は一人で深く頷いたのだけど、さっと頬を赤くした瑠々るるが、慌てたように声を上げた。


「何か勘違いしてない? バレンタインて別にそういうことじゃないよね。友達どうしだってチョコあげたりするし、日頃の感謝とかそういうのだってあるし。だいたい、お菓子のお礼ならお菓子が無難って兄さんだって言ってたよね?」

「いや、そういうことってどういうことだよ、俺そこまで言ってないだろ今」


 瑠々るるの言い訳のような早口を見上げると、視線を逸らされた。


「だからどういうことでもないんだってば。良さそうなお菓子を探したんだけど、この時期どこもチョコレートばっかりで。それだけだから。バレンタインは関係なくて、いつもお菓子貰ってるお礼ってだけだから」


 いやでも、カドさんがどう受け取るかはわからないだろ。それとも瑠々るるはそんな説明をカドさんにもするつもりなのか。

 瑠々るるのこれはただの照れ隠しなんだろうか、それとも本気でそう思ってるんだろうか。これ、隠れて付き合ってますとか言われた方がまだわかるのに、そうじゃないんだろうか。


「文句言うなら返して」

「いや、文句は言ってないだろ。でも返せってんなら返すよ」

「何その言い方。せっかく用意したんだから受け取ってよ」

「無茶言うなよ」


 なんだか面倒くさいことになってしまった、とこっそり後悔する。余計なことを言わずに受け取ってさっさと部屋に戻れば良かった。でも今それを言えばもっと面倒なことになる。


「ともかく、有り難く受け取るよ。ありがとうな」


 テレビの電源を消して、自分のスマホと瑠々るるから貰ったチョコレートを持って立ち上がる。あとは逃げるように部屋に戻った。




 瑠々るるからもらったチョコレートを翌日にひとつ食べてみた。

 こういうことを言うと瑠々るるに怒られそうだけど、ダイスの包装がしてあるというだけで、中身はまあ、普通のチョコレートだった。そもそもチョコレートの味の違いとか、甘いかどうかくらいしかわからない。さすがにフレーバーとかあればわかるだろうけど。

 だから、ダイスの包装を剥いてしまえばそれはただの四角いチョコレートだったし、口に入れてしまえば甘いだけだった。

 そうやって、俺が自分のバレンタイン適性の低さに気付いた頃、カドさんからメッセージが届いた。

 カドさんとのメッセージのやりとりは別に珍しくない。ボドゲ会の話だとか、もうちょっとプライベートなボドゲの集まりなんかに誘うこともあって、その連絡だとか、あるいはもうじき発売のあのボドゲを買うかどうかとか、そんな話をすることもある。

 ボドゲ会の中ではよく話す方だし、妹が言う通りに仲の良い方だとは思っている。カドさんがどう思ってるかは知らないけど。

 スマホ画面の通知にカドさんの名前を確認して、メッセージアプリを開く。その時にふと日付が目に入って、バレンタインは今日が当日だったのか、とちらと考えた。バレンタインに気付けたのは、きっとちょうどチョコレートを食べていたからだ。


 ──いかさんてチョコレートファクトリー持ってましたよね


 ここでもチョコレートか、と思いながら俺はボドゲ棚にちらりと目をやって返信する。


 ──持ってますよ。次のボドゲ会に持っていきましょうか?


 カドさんからの返事はなかなか来なかった。どうしたのかと思う頃、ようやくメッセージが届いた。


 ──だいすさんとどうかなと思って


 バレンタイン、チョコレート、チョコレートファクトリー。連想ゲームとしてはちょっと安直じゃないだろうか。

 好きなボドゲなのは確かなので、遊ぶことは歓迎するけど、と思いながら返信する。


 ──うちに遊びに来ます?


 その返信もまた遅かった。返信を待つ間に、ふと、カドさんは瑠々るると二人でこのゲームを遊びたいんじゃないか、という可能性に思い至る。

 それはそれで構わないけど、それならそうとはっきり言ってくれ、と思った。それとも、それは俺の考え過ぎだろうか。


 ──またお邪魔しても良いなら


 カドさんから返ってきたのは、そんな当たり障りない言葉だったので、本当のところがどうだったのか、俺にはわからない。

 わからないまま話は進んで、結局カドさんは遊びに来ることになった。それで話が終わるかと思ったけど、カドさんからまたメッセージが届く。


 ──キーホルダーいかさんが選びました?


 どうやらカドさんにとってはこっちが本題だったらしい。俺に聞くなよ本人に聞けよ、と小さく呟いてからメッセージを返す。


 ──相談されて店に案内はしたけど選んだのはるるですよ。


 それに返ってきたのは、URLリンクだった。瑠々るるがプレゼントを悩みに悩んで買った、あの店のウェブサイトへのリンク。


 ──店ってここですか?

 ──よくわかりましたね。

 ──これと同じのをそこで見たので

 ──ひょっとして同じの持ってました?

 ──持ってはないです そうじゃなくて だってあの店ボドゲ売ってるしだいすさんがあの店で買い物とか


 どうやらそのメッセージは、入力の途中で送られてきてしまったものらしい。でも、カドさんの言いたいことはわかった。カドさんも、瑠々るるがあの店──ボドゲがたくさん並んでいる店に行って自分で買ったことに、驚いたんだろう。

 だから俺は、もう一度そのことを伝える。


 ──俺も一緒に行きましたけど、るるが自分であの店に入って、自分で選んで、自分で買いました。

 ──、さ

 ──さ?

 ──ごめんなさい ただの操作ミスです


 そのメッセージを見て、なんとなくうろたえているカドさんの姿が想像できてしまった。カドさんは動揺がプレイに出る方だ。それで割とプレイミスプレミも多い。

 こういうところだよなあ、なんて思いながら画面を眺めていたら、またメッセージが届いた。


 ──なんでダイスなのか いかさん知ってますか?

 ──いや、知らないですけど。


 そう返してから、少し考えて言葉を足す。俺がそのメッセージを送信したのと、カドさんからのメッセージが届いたのは、ほとんど同時だった。


 ──るるなりにカドさんの好きそうなものを考えて選んだんだと思いますけど。

 ──だいすさんだからダイスなのかと


 カドさんのメッセージを見て、一瞬その意味を考えて、意味がわかった時にはもうメッセージの送信が取り消されていた。

 画面に表示されている「メッセージの送信を取り消しました」の文字に構わず、メッセージを送る。


 ──いや、それはちょっと考え過ぎじゃないですか。ていうか、ちょっと引きますよ、それ。

 ──ごめんなさい 忘れてください

 ──名前なら俺もダイスですけど。

 ──ほんとわすれてください


 他にも言いたいことがないわけではなかったけど、取り消されたメッセージについてこれ以上あれこれ言うのも可哀想なので、カドさんの希望通りに「忘れる」ことにした。それに正直、ちょっと面倒になってきていたし。

 身内のゲームなら巻き戻しも許そうと、俺は優しく話を変えてやった。


 ──るるはかなり長考して選んでましたよ。

 ──そ

 ──そ?

 ──ごめんなさい 操作ミスです


 この程度でもうろたえるのか。わかりやすい。

 あまりのわかりやすさに、面倒くささを飛び越えてちょっと面白くなってしまった。

 これも全部カドさんのせいですよ、と入力して、でもそれはさすがに言い過ぎオーバーキルだなと思って送信せずに全部消した。

 でも、そう、本当に全部カドさんのせいだ。瑠々るるがボドゲを遊ぶようになったのも、ボドゲが並んでいるような店に行ったのも、ボドゲを毛嫌いするだけじゃなくなったのも、今まで縁のなかったバレンタインが突然に始まったのも、それから、たいして仲良くなかった俺と会話するようになったのも。

 カドさんは自分が瑠々るるを変えたんだってさっさと気付けば良いものを。瑠々るるもカドさんのせいだってさっさと自覚すれば良いものを。

 まあとりあえずは、と次にカドさんが家に来るときの計画を立てる。カドさんにはバイト終わりよりも早めの時間を伝えて、瑠々にカドさんの出迎えを頼んで、それで二人でしばらく待たせておこう。

 この二人が面倒くさいのは確かだけど、それでも、もうしばらく様子を見る気分にはなった。まだ当分時間がかかりそうな気はするけど、それもきっと長考を待つようなものだ。

 身内のゲームなら長考も待ってやろう、と俺は自分を納得させた。



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ボドゲ仲間と妹のバレンタインを眺めている くれは @kurehaa

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