ペシミストと向日葵
月並海
第1話
その少女は町の中でも特別に美しいアパートに住んでいる。アパートが美しいのは、その外壁が全てガラスで作られているからだ。隅から隅まで毎日磨かれるガラスにはいつも空が映るから、そこは空色のアパートと呼ばれている。
けれども件の少女は、アパートの見た目になんて興味がない。手垢がついていようと曇ったガラスに書いた落書きが残っていようと、どうでもいい。
彼女の興味はただひとつ。彼女が眠るときも手放さない日に焼けた本だけだ。今日も少女は美しいガラスの箱の中で、本を読んでいる。
殺風景な部屋の中央、床にうつ伏せになっている少女の元へ規則的な足音が近づいてきた。
「お嬢様、そろそろお食事の時間です」
少女に声をかけたのは、燕尾服の男だった。いや、男かは分からない。それどころか、彼の種族は人間ではない。
彼に頭はなかった。凡そ人間の顔や髪の毛がある場所からは、一輪の茶色い向日葵が咲いているのだった。
少女は見慣れた彼の姿を見上げながら
「小煩いわねぇ、プロカットレッド。昼食はいらないわ」
と至極鬱陶しそうに言った。
向日葵の異形頭──プロカットレッドは顔のどこからか声を発する。
「駄目です。育ち盛りには必要な栄養を取りませんと、将来後悔しますよ」
小言に少女は手をひらひらさせながら答えた。
「大丈夫大丈夫。私はその後悔をするほど長くは生きないから」
その言葉にプロカットレッドの心臓が痛んだ。
少女の言葉は真実だ。
享年十八歳。それが今世での少女の死ぬ年だ。
寿命は魂に刻まれた不変の情報だと少女は言う。過去の記憶を持ちながら生まれ変わった者には自ずと理解できることらしい。
少女は自分の前世を知っている。
遠い昔、とある国の王族の不義の子として生を受けた彼女はその短い人生を、隠された塔の一室で一人きりで過ごしたという。彼女の魂には孤独の苦しみや自分を虐げた者たちへの怨みがこびりついている。。
彼女の持つ日に焼けた本には、彼女の前世だった時代の歴史が事細かに綴られている。とある王国の興亡。国が滅びた後に書かれたそれは、表舞台から秘されていた少女の前世についても書かれている。
復讐のためだけに始まった新しい人生ももう十四年が経とうとしていた。
プロカットレッドは返答に困った。いつも使われる言い逃れとはいえ、自分の寿命をそのように使うのは淑女として相応しくないからだ。
プロカットレッドは少女が生まれたときに少女の父から少女に与えられた召使だ。普段は気の利く従順な彼なのだが、如何せん少女のそういう悲観的なさまを見過ごすことができなかった。
「お嬢様」
「わぁ! ちょっと!」
プロカットレッドは少女の脇腹に手を差し入れると、少女から驚きと不満の声が上がる。
抱き上げる形で少女を食卓の椅子に座らせ、てきぱきと食事の用意をした。
不服そうな少女の目の前に並ぶのは、焼き立てのパンに新鮮な牛乳を使ったシチュー。良い匂いに少女のお腹がぐぅっと鳴った。
頬を赤くした彼女にプロカットレッドは茶色い花びらを揺らして笑う。
「どうぞ召し上がれ」
「……いただきます」
少女はシチューを一口食べた。赤い瞳が輝き、無言でシチューを次々口に運ぶ。
その様子を見て安心したプロカットレッドは一瞬だけ肩から力を抜いた。そして、また姿勢を正し主に向かう。
「それでは、私はガラスを磨いてまいります」
少女はシチューに浸したパンを頬張りながら小さく頷いた。
プロカッドレットは規則正しい足音を立てて、部屋を出ていく。
空色のアパートは今日も美しい色を映している。
ペシミストと向日葵 月並海 @badED_
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ペシミストと向日葵の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます