EP30 取り残された者達

 私たちが所属する二年B組朝のホームルームは、いつもならアシモフ先生のウィットに富んだ小話から始まる陽気な時間だ。


 しかし普段より1時間以上遅れて始まったそれの空気は重い。その理由はもちろん先程の出来事にある。

 一人の生徒を標的とし失踪させてしまったその事件は、規律がなりより大切な軍隊において許されざる行為である事間違いない。

 

「いいか諸君、軍事にとって情報とはライフだ。伝達ミス一つでアクシデントに陥り、同胞が命を落とす事などプラクティスで何度も経験したはすだ。にも関わらずこの様な事になってしまうとは……」


 アシモフ先生は淡々と、確かな怒りを発しながら説教を続ける。しかし私はそんな事よりもレイの事が気になっていた。

 彼は帰ってこなかった。ホームルームが遅れたのは教師達が彼を探したり、この事件の関係者への処罰を会議していたからだ。


 結論から言って私とミツルギ君の処罰は一時保留となった。私達は元を辿れば被害者であり、親衛隊の罪が余りにも大きすぎた為に彼らへの暴行はほぼ無罪というのが教師陣の見解だという。とはいえそれだけでなく彼らに多数の余罪が発覚したとか、ミツルギ君が皇族の人間でなんらかの力が働いたとかの事情はあるだろうが。

 だが止めに入った生徒たちへの反撃に関してはそうはいかず、いずれ然るべき処置が下るだろう。だが今の私にとってそれは、どうでも良い事だった。


「レイ……」


 最後に見た彼の表情が脳裏にこびりついて離れない。私達への怒りだけではなく、得体の知れない物への嫌悪すら感じられた。


『こんなの……私にも予想外よ……』


 "声"が聞こえる。だがいつもの小馬鹿にした風ではない。彼女には珍しく狼狽えてる様だ。


『もう…どうしようもないじゃ無い……どうして……こんな……』


 そう言い残すと、"声"は聞こえなくなってしまった。胸にぽっかりと穴が空いた様な感覚。まるで心の中心がなくなったかの様な。

 自問自答が止まらない。何がいけなかったのか、どこで間違えたのか。誰の所為なのか……。


「全部……私のせいだ……」


 ポツリとそんな事を呟いてしまう。


「そうだよ……」


「え……?」

 

 俯いていた顔を上げると、いつの間にか目の前にはミツルギ君が立っていた。彼の顔にも私と同じく絶望が映っている。


「全部お前のせいだ……。お前がもうちょっと上手くやってたら……こんな事にはならなかったのに!」


「ミツルギ……君……?」


 突然の言葉に理解が追いつかない。そんな私を無視して彼は続ける。


「お前が最後まで爪が甘かったからこうなったんだ!どうせ今朝一緒にいたのを見られて、アイツが俺たちに疑いができたからこうなったんだよ!大体なんでレイと一緒にいなかったんだ!?アイツならお前を守ってくれるのに、でもそうしなかったから俺がお前を守らなきゃいけなくなって、それを見られたからこのザマだ!」


「そ、そんな……事……」


 しようとするも否定はできない。心当たりが多すぎるのだ。彼は凄まじい剣幕で私の胸ぐらを両腕で掴んでくる。


「全部お前の所為だ!お前がヘマしたからこうなったんだ!お前のせいで……俺もアイツを傷つけることになってしまった……!」


 ミツルギ君は怒っているが、同時に悲しんでもいた。彼はレイの親友で、酷い事をしてしまった私を許せないのだ。そしてそれに自分も加担しているという事実に耐えられないのだろう。


「お前がいたからレイはああなっちまったんだ……返せよ!俺のレイを返せよ!」


 涙を流しながら物凄い剣幕で捲し立てる彼に圧倒されて、私は成す術も無かった。悲しかった。レイを傷つけたのみならず幼馴染である私が蚊帳の外にあるという事実、彼の友をこうさせた現実に私も涙を流すことしか出来なかった。


「おい!なんか言えヨォォォンッッッ!?!?」


 だが罪悪感に押しつぶされそうになる直前、突如彼は奇声を上げたと思ったら股間を押さえて地面に倒れた。

 その後ろにはツイノメさんがいて、更にその後方にはハクユさんと同じく股間を押さえているアンドウ君。


「痛ぇ……見てるだけで痛ぇ……!」


「アッシュ……だ、大丈夫?」


 先程までとは一転、弛緩した空気が流れる。状況的に考えるとツイノメさんがミツルギ君の股間を蹴り上げたのだろう。今の私達に割って入ろうとする魂胆もさる事ながら金的を躊躇なく潰すとは。


「ツイノメさん……どうして……?」


 だが彼女は私を一瞥すると、直ぐに悶えるミツルギ君に視線を戻す。


「オォン!アオォン!」


 その表情に詫びる雰囲気は一切無く、いつもの鋭い目線で彼を貫いている。


「お前人のモノを……!」


「頭は冷えましたか?」


「あぁん…?なんて……」


「そんな事した所であの男が戻ってくるんですか?」


 それを聞いたミツルギ君がはっと黙り込む。ツイノメさんの言葉は今の彼に対して、無論私にとっても正論だった。


「あなた達のしたことを詳しく分かってはいませんが、大体予想は出来ます。大方私たちの知らない仕込みがバレ、それをかの親衛隊(つまらない人達)に利用された……といった所でしょうか」


 私たちに起こった事をここまで正確に言い当てるとは、流石レイのライバルを名乗るだけの事はある。下手をすれば私より彼のことを知っているのではないだろうか。

 場違いと分かっていても悔しさを感じてしまい、下唇を噛み締める。未だうずくまっているミツルギ君も苦虫を嚙み潰したような顔をしていて、同じことを思っているのだろうか。


「……ですが、それを気に病む必要はないのでは?」


「え……?」


 ツイノメさんの一言で、私とミツルギ君は同時に顔を上げる。そこにはいつもの皮肉めいた微笑ではなく、優しげな顔があった。私達の目をしっかりと見ながら言葉を続ける。


「あなた達はレイ・ラースを意図して追い詰めた訳では無いでしょう?むしろ彼の為に動いていた。少なくとも私が把握しているあなた達はそうでした。ならすべき事は一つしかないでしょう?落ち込んでいる暇なんて、あなた達には無い。」


「……そう……だね。」


 彼女の言葉に心を打たれて私は立ち上がる。そうだ、まだ諦めてはいけない。今ならやり直す事ができる。レイの誤解を解いて謝れるはずだ。彼はきっと戻ってくるし、その時に私たちがこの様ではそれこそ更に誤解を招くだけではないか。


「それでこそです。……あなたもそこで寝転がってないで、早く立ちなさい」


「……誰がやったと思ってんだよ……けど、そうだな……ここでいがみ合ってても無駄だってのは同意だ。」


 彼の瞳にも決意が灯る。まだ痛みが完全に引いてはいないのか前屈みではあるが、その表情はレイの横にいる不敵な男の子のそれであった。


「それでこそです。貴方達はラースと同じ様に私のライバル。こんな所で萎縮されては困ります。今日の訓練で私に負けたなんて、彼に報告できませんよねぇ?」


 彼女はいつもの鋭い表情に戻っていた。その皮肉にすら最早安心さえ感じて、私も彼も吹き出してしまう。


「何がおかしいのですか?」


「いや……おまっ……」


 しかもそれをシラフでやっているのだから尚更腹に悪い。後ろにいるアンドウ君達でさえ肩を震わせている。

 皮肉が減ることが無い彼女は良き隣人とは言えないかもしれないが、決して悪では無いのだと断じれる。


「ふぅん……」


 だが彼女は何かを考える素振りを見せたかと思うと、またミツルギ君に蹴りを入れた。


「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛」


 耐性がついたのか手加減か、彼は今度は何とか倒れずに済んだものの再び奇声を上げて股間を抑える。


「二度も蹴った……親父にも蹴られた事ないのにぃ!」


「し……シバさん……流石にひどいよ……」


「ふん。なんだか馬鹿にされてる様な気がしたので。」


 そう言ってソッポを向いた。どうやらバレてたらしい。ミツルギ君の怨念籠った視線を意にも介さず、彼女は二度の蹴りで乱れた髪をかき上げて教室から出ていく。既にほとんどの生徒がスタジアムに向かっており、授業もあと十分で始まる時間だ。

 アンドウ君が彼の肩を持ったのを確認して、私達もその後を追った。……これから起こる惨劇などつゆ知らず。



 プラクティススーツに着替えた私達は各々が今日の訓練で使う武器を背負い、スタジアムのグラウンドに出ていた。整列して先生の到着を待っていると、出入り口の扉が開く。見るまでもなく先生が来たのだろう。先程よりはマシになったものの相変わらずレイの事で頭がいっぱいの私は興味を示すことすら無かった。

 

「ら、ラース君!?」


「え……」「なんだと!?」


 だがクラスメイトの一人の言葉によって私は跳ね起きた。それはミツルギ君も同じで、私達は顔を見合わせて立ち上がった。

 私達だけではない。コミュケーションを取る人間は少ないものの学年二位の実力を持つレイは多くの注目を浴びている為、彼を心配していた生徒は少なくない。だが彼らはレイから少し離れて、半円状に彼を囲んでいるだけであった。シバさん達でさえその中にいる。


「レイ……っ!?」

 

 その理由は彼から発せられるプレッシャー、凄まじい怒り。否、怒りと言うには静かで、全く別のナニか。得体の知れないものに対して恐怖を覚えてしまう。

 それでも私とミツルギ君は踏み出す。停滞の選択肢は無かったし、撤退など論外だ。


「レイ……聞いてくれ。俺とカミゾノはお前が思っている関係ではない。俺たちは……」


「聞いてくれよサナエ。俺、気づいたんだ。」


 だが彼の言葉を意にも介さずレイはゆっくりと、子供に読み聞かせるような口調で話す。


「何を……?」


 恐る恐る問いかけると、彼はゆっくりと顔を上げる。その瞳に光はなく、ただただ虚無が広がっていた。


「君と一緒にいる方法。気づくのに、時間かかっちゃったけど。」


 そして一際彼の感情が昂まったと感じた次の瞬間、彼はミツルギ君に一瞬で接近。腹部に拳をめり込ませていた。


「その為には、みんな死ねば良い。俺以外のみんなが。」


 深々と食い込んだ拳を引き抜くと、彼は地面に倒れて踞る。あまりの力に悶絶しながら涙を流す彼を見下ろすその視線は、まるで親友を見るものではなく汚物に向けるそれ。

 周囲からどよめきと悲鳴が漏れる。私も恐怖で足が震えているが、決死の覚悟で言葉を紡ぐ。


「お願い聞いて!私とミツルギ君は……」


「知ってるよ。君達は別に付き合ってる訳じゃないって。冷静に考えれば分かる。」


「じゃあ何で……!」


「怖いんだよ。君達が隠し事をしてたって事実が。また俺の知らない所で、俺が傷つくような事を隠すんじゃないかって……それが怖くて、怖くて怖くて仕方ない。」


 彼はそう言いながら震える腕で自分の体を抱きしめる。彼の言葉で自分の罪を自覚するが、余りにも異質すぎる。私の知っている彼はこんなにも疑い深い性格だったのだろうか。

 だが腕の震えがぴたりと止み、黒い炎が揺らめきながら彼を包んでいく。悪意、憤怒、憎悪、絶望、殺意。ありとあらゆる攻撃的な負の感情がレイから溢れ出す。


「怖い奴は消してしまえば良い。」


 そう言った次の瞬間、彼の纏う黒い炎は地面に染み込んで広がっていく。やがてそこから同じように真っ黒な人型のロボットが無数に現れた。その手に握られたコンバットナイフをギラつかせ、私達の方に向かってくる。


「俺にはそれが出来るらしいんで!」


 レイの顔には狂気の笑みが張り付いていた。

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