第16話 理玖15

 トオルさんは、今後、夜は病室にくると話した。


 要は僕が吸血鬼にならないように見張ってくれるということだろう。


 そういうことなら、僕は夜に起きて昼間は寝ていたほうが良いのではないだろうか。

 そうトオルさんに提案してみたけれど、夜にちゃんと寝たほうが良いと言われてしまった。


 それでもその日は、夜遅い時間まで起きていた。


 部屋の明かりは消していたけれど、トオルさんと話したり、枕元のライトで本を読んだりして過ごした。

 そのうち、うとうとして眠ってしまい、気づけば朝になっていて、トオルさんはいなくなっていた。

 挨拶くらいしたかったが、また今夜も会えるのだ。


 こうして何ないまま東京での入院生活も終わるのだと思っていたけれど、次の日、外に出ることになった。


 夕方の、まだ明るい時間帯にトオルさんはやってきた。

 直射日光が当たらなければ、身体は大丈夫なのかもしれない。


 トオルさんは少し苦々しい顔をしていた。


 ちょっと一緒に来てもらわなければならないと言った。嫌なら拒否しても良いのだとも。


 トオルさんは拒否してほしいと思っているようだった。けれど、本当に拒否しても良いような案件なら、トオルさんは僕のところまで話を持ってこないだろう。僕が行かないと言えば、もしかしたらトオルさんの立場が悪くなるのかもしれない。だから僕は行くと答えた。


 一緒に怒られると申し出たのは僕なのだから。


 もしかしたら、今日がその日なのかもしれない。


 トオルさんは息を大きく吸うと、少し止めてゆっくりと吐き出した。


 白衣の人に了解を得て、消灯までには戻ると約束して病院を出た。


 そうそう、白衣の人は都築つづき先生という。


 あれから度々僕の様子を見に来て、気にかけてくれているから、変わってはいるけれど優しい先生なのだと思う。


 病院の前からタクシーに乗った。


 道は混んでいて、時間帯のせいだと運転手さんはぼやいていた。


 僕は車線がたくさんある道路が珍しくて、窓の外を見るのが楽しかった。赤信号なのに、右折ができる表示があったり、僕の住んでいるところにはないものだ。


 大通りの、いかにも都会といった道を進んでいたのに、一つ道を曲がって、雰囲気の違う地域に入った。そしてもう一つ曲がると、もう住宅地だった。

 樹木が密集している場所もある。犬を散歩させている人が何人もいた。

 住宅の間の狭い道に入り進んでいくと、道の先には学校があった。

 門は閉まっていて、その向こうには小さいながら校庭があった。


 タクシーを校門の前でおりる。


 タクシーは切り返しができるところまでバックすると、もとの道をかえっていった。テールランプが見えなくなるまで待って、トオルさんは校門に手をかけた。


 人が通れるだけの幅を広げると、僕を先に中に入れてから自分も入る。門はそのままにして歩き始めた。


 校庭に遊具らしいものはない。

 校舎は三階建てで、窓はすべてカーテンが引いてあった。


 まだ空が少し明るいから歩けるけれど、目に入る場所に照明はない。


 昇降口だと思われる場所にはシャッターが下りていた。僕は近づいていって、そっとシャッターを触る。砂埃で汚れていた。毎日開け閉めしているのではないのかもしれない。


 トオルさんはその横にあるサッシの扉を開けて僕を振り返っていたから、僕は走って追いつくと、校舎の中に入った。


 入った先はやっぱり昇降口だった。靴箱が並んでいる。ここにも明かりはない。

 背後で扉が閉まると、ぐっと暗くなった。

 トオルさんが先に歩くので、僕はトオルさんのシャツを握って進んだ。靴は脱がなかった。


 廊下にでる。こちら側の窓にはカーテンがないので、歩くぶんには困らない程度の明るさはあったからシャツから手を離した。けれど夜になれば真っ暗になってしまうだろう。


 トオルさんは迷うことなく進んでいく。時折、心配そうに僕のほうを振り返るから、僕は大丈夫だと言うように頷いた。


 校内を靴のままで歩くのは、悪いことをしているみたいでドキドキした。通りすぎるときに教室をちらりと見たけれど、備品などはなかった。机と椅子が教室の片側に寄せられていたりもするから、きっと使われなくなった学校なんだと思う。

 その割には埃っぽいということはなかったし、土足で歩いている廊下も最低限掃除されているようだった。


 一度二階へ上がり渡り廊下を使って隣の校舎に移ると、また階段をおりた。どうやら一階からでは直接移動できないらしい。


 こちらの校舎からは微かに物音が聞こえた。新しく取り付けられたらしい照明も、控えめに灯っている。


 きょろきょろしているうちに、トオルさんは少し先で立ち止まった。そして僕が追いつくのを待つと、目の前の扉をノックした。校長室とかかれたプレートが廊下側に飛び出している。ほかの部屋とは違う重厚な扉だった。


「どうぞ」という声が聞こえた。トオルさんは一度僕を見下ろし、頷くと、軽く息を吐いて扉を開けた。


 本棚で囲まれた部屋だった。


 手前にソファと低いテーブルがあって、奥には大きなデスクが置いてある。


 そこには男の子が座っていた。


 僕より年下の。


「ようこそ」と声が聞こえた。


 低く落ち着いた声だった。トオルさんの声よりもずっと低い。そして小さな音量なのによく響いた。


 思わず誰が話したのか探してしまいそうになったくらいだった。到底子供が出す声ではない。でも確かに、目の前の男の子から発せられた声だった。


「鏡はもっているかな?」


 男の子がそう尋ねる。


 トオルさんは無言でこちらを見た。僕が尋ねれたのだと気づいて、まごまごしながら「持ってません」と答えた。


「小さな子だって聞いていたけど一応ね。鏡なんてあったら、内緒話もできやしない」


 なぜ鏡があったらだめなのか、意味がわからなかったけれど、二人とも説明する気はないようだった。


「きみの名前は?」


冴島さえじま理玖りくです」

「理玖ね。よろしく。僕は三月ウサギ。まあ、みんなからは公主って呼ばれているよ。どちらもあだ名みたいなものかな。どう呼んでもらっても構わない」


 公主というのはお姫様のことだ。三月ウサギは不思議の国のアリスだろうか。


 三月ウサギさんよりも、公主のほうが呼びかけやすいので、必要なときは公主と言おうと決めた。


 そこで公主は少し笑ったようだった。

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