第15話 理玖14

 何故だろう。


 なんだか飛ぶように一歩前に進んで着地。そしてもう一歩。


 身体が軽い。


 楽しい。


 というところで僕はストップした。


 両脇の下に手が差し入れられている。


 僕の手足がぶらりと垂れ下がっているのが目に入った。


 捕まった。


 後ろを振り返れなくて、誰に捕まったのかからない。そのまま大人しく捕まろうと、暴れずにいた。


 バタバタと足音がして病室に看護師さんが入ってくる。

 看護師さんはおじいさんに話しかけながら、腕の止血をし始めた。


 僕は捕まったまま病室から出される。


 扉が閉まった後、床に下ろされた。


 振り返ると昨日の白衣の男の人だった。


「いやぁ、きみ、危なかったね。出勤して良かったよ。なんかだかね、嫌な予感がしたんだよ。まあ冗談だけれど」


 走っている僕を捕まえるなんて意外にも腕力があるのだなと、関係のないことを考えながら「ありがとうございます」と僕は言った。


 白衣の人は頷くと「病室に戻ろう」と言った。僕の背中に軽く手を当てて、並んで歩き始める。


 今のはなんだったのだろうか。


 身体が勝手に動いた。


 驚いたけれど嫌な心地ではない。

 あんなに軽く走れるなんて。

 むしろ気分が良かった気もする。

 自分は何に向かって走っていたのだろうか。


 血溜まりを見た瞬間だったのだから、やっぱり血なのだろうか。

 でも、あの時も今も、血を飲みたいという気持ちはまったくない。

 むしろ想像すると気分が悪くなりそうだった。


 どんどん身体が重くなってきた。


 病室に戻る頃には、体重が三倍くらい重くなった気がした。


 白衣の人も一緒に病室に入ると扉を閉め、隅に立てかけてあったパイプ椅子を持ってきて座った。

 僕も向き合うようにベッドに腰掛ける。


「気分はどうだい?」

「なんだか、重たいです。疲れちゃったのかな」

「うん。すごい勢いだったからね。たぶん今までで一番早く走ってたと思うよ」

「僕はいけないことをしようとしたんですよね?」


 白衣の人は首を傾げる。


「自分が何をしようとしていたか自覚がないかい?」


 僕は頷く。


「身体が軽くなって、急に飛び出していったんです」

「きっかけはわかるかな?」

「たぶん、血を見たから…かも」


 白衣の人は「へえ」と言ったあと何か話そうとしたけれど、けっきょく何も言わなかった。


 それからベッドに横になるように言われた。どうやら顔色が悪かったらしい。


 夕ご飯の時間まで、白衣の人は病室にいてくれた。書類を読んだり、パソコンで何かを入力したり、時折電話をしていた。

 僕は何もする気がなくて、横になったまま眠ったり起きたりを繰り返した。


 夕ご飯を食べているとトオルさんが病室に入ってきた。

 白衣の人は小声でトオルさんに話しかけて、二人で病室を出ていく。


 きっと昼間の僕のことを話すのだろうと思ったけれど、トオルさんはすぐに病室に戻ってきた。


 さっきまで白衣の人が座っていた椅子にトオルさんが座る。


 僕は箸を置いた。

 もとから食欲はなかった。


「食べたくないだろうけれど、食べたほうが良いよ」


 トオルさんはそう言った。口調がとても優しい。


「昼間の話…」

「うん」

「ごめんなさい」


「いや、謝らなければいけないのは俺のほうだよ。きちんと説明するべきだった。今、どういう状態なのかとか、そういったことを」


 トオルさんは僕の目をじっと見ている。


「血液に対してああいった行動をとってしまうのは、ままあることなんだ」

「身体が勝手に動いたんです」

「そうだね」

「食欲もないし、僕は吸血鬼になってしまうんですか?」


「そんなことはないよ。きみの中にある僕の血がそうさせたんだ。だから、その血がなくなるまで、少し注意が必要なんだよ。入院してもらったのは、そのためでもあるんだ。それを言っておくべきだった。周りに人もいるし、そういった症状はもっと後で起こることが多いから、大丈夫だなんて思ってしまった。ごめんね」


「病院だと、血を見ることが多い気がします」

「まあね。ただ、本人が吸血鬼になりかけていることを知らない場合、隔離するには病院のほうが都合が良いんだ」


「また見たら、ぼくは飛び出して行っちゃいますか?」

「そのときは周りがちゃんと止めるから」

「はい」

「目を瞑ると、目の前に道が見えたりするだろう? その道を進まなければ大丈夫だから」

「トオルさんにも道が見えるんですか?」

「俺の場合は道じゃなかったな」


 トオルさんは目を閉じた。目を開けたときには、ずっと遠くを見ているような眼差しになっている。


「それに、もう見えないんだよ。もう選択できないからね」

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