第14話 理玖13
目が覚めると部屋には看護師さんがいた。
さまざまなものが乗っているワゴンの前に立っていて、一番上に置いたパソコンを開いている。
夢の余韻がまだあって、しばらくはぼんやりと看護師さんを眺めた。
夕焼けから星空のグラデーション。
それがじわじわと後退していく。その尻尾が消えるまで見送ってから起きあがった。
看護師さんはそれに気づいてこちらを見る。
「おはよう。理玖くんだね。私は担当の
「よろしくお願いします」
僕がお辞儀をするのを見て、日向さんは何度か頷くと、ホットタオルをテーブルの上に置いてくれた。持っていられないくらい熱いから注意するように言われる。
しばらく冷ましてから恐る恐る広げると、顔を拭く。
温かくて気持ちが良かった。
「今日の予定は聞いてる?」
日向さんはパソコンの画面を見ながらそう尋ねた。そこに僕の状態が入力されてあるのだろう。
「昨日の夜に会った先生は、今日がお休みだからなにもないと言ってました」
そういえば昨日の先生の名前を聞いていなかった。
「あー、そうなの。うん。きみには退屈かもしれないけど、出来るだけ病室で過ごしてもらえるかな。何か時間を潰せるもの持ってきてる?」
「はい。夏休みの宿題とか」
「なら大丈夫だね。私は昼と夕方と様子を見に来るから。もちろん何かあったらそのブザーを押して呼んでね」
「はい」
体温計を渡されたので体温を測った。その間に、反対側の指を小さな機械で挟まれる。
それぞれの数値をパソコンに入力すると日向さんは病室から出ていった。
八時になれば朝ごはんだ。まだ一時間ほどある。
僕はベッドから降りると、カーテンを開けた。
昨日は暗くてあまり外がわからなかったから、確認したかった。
すぐ隣は公園のようだった。芝生が広がっていて、今の時間は誰も見当たらない。
あとはビル。近くには見下ろすくらいの高さの建物しかないけれど、遠くには大きなビルがいくつも並んでいた。
よく見ようとしておでこをぶつけた。
空は晴れていて、今日も日差しが強くなるだろうことがわかった。
ベッドに戻り、横になる。
トオルさんが東京に戻るというから、ついてきてしまったけれど、まさか入院になるなんて。
たしかにトオルさんがいない間、僕の面倒を見る人が必要なのはわかる。でも僕も小学生だし、家で大人しくしていることぐらいできるのに。
なんだか、そう、入院なんて大袈裟に感じてしまう。
でも、前の病院で、トオルさんはたしか自分の代わりに友人が来ると言っていたから、吸血鬼にならないためには誰かが見張っていないといけないのかもしれない。
手を見てみる。
どうだろう。吸血鬼になりかけているだろうか。
実感はない。
もちろん、なくなった足がくっついたのだから、嘘ということはないのだろうけれど。もしあれは夢だったんだと言われたら、きっと信じたはずだ。
何か治療のようなものをするのかと思ったが、今のところ何もないし。
二度寝しようかと目を閉じて、それから思い直してベッドからおりた。
リュックから夏休みの宿題や本を取り出すと、キャビネットの空いているところに置く。
朝ごはんまでは詩を覚えよう。
空腹のほうが暗記しやすいと聞いたことがあった。
朝ごはんを食べたら、午前中は問題集だ。
これは家にいるときと同じ。
でも、病院には誘惑がないから、家よりも集中できそうだった。
お昼まではそうやって宿題をこなした。
適度に休憩もしたし、こっそりと病室を抜け出してフロアを丹念にもしたけれど、今日の分の宿題は概ね計画通りにできた。それが嬉しくて、より計画遂行に熱が入った気がする。
お昼ご飯を食べ終わった頃に、日向さんが病室にきた。
僕の食べた量をチェックすると、朝と同じように熱を測って、小さな機械___パルスオキシメーターと言うらしい、で指を挟んだ。
それから、少しだけ話もした。
おもに今の僕の気持ちや、状況に対する不満や不安がないか、みたいなことを遠回しに尋ねられたから、問題ないとこたえた。
日向さんが出ていくと、眠くなったので少しだけお昼寝をした。眠り過ぎないように目覚ましをかけて。
一時間ほど眠った。
まだ眠りたかったけれど、夜に眠れなくなるだろうから頑張って起きた。
眠気覚ましに、またフロアを探検することにした。
僕が入院しているフロアに、子供は僕一人だけのようだった。見かけるのはお年寄りばかりだからだ。それに、そのお年寄りも、病室の数に対してそんなに人数はいない。
さっきも見回ったから、目新しいものもなく、すぐに一周してしまった。
自分の病室に戻る道すがら、なにかとても良い香りがしてきた。
それがなんなのか考えていると、足は勝手にその香りの元へと歩いていく。
こんなことは初めてだった。匂いは微かなのに、どこからしてくるのかちゃんとわかった。
香りはとある病室から漂っていた。
扉が閉まっている。
誰もいない病室は、たいてい扉が開いているようだから、この病室にはきっと誰かが入院しているのだ。
入ったら怒られるだろうか。
いたとしても、きっとお年寄りだから、大声で怒鳴られたりはしないはずだ。
それにらうまくいけば気づかれずに、香りの正体がわかるかもしれない。
意を決して扉を少しだけ開けた。
この病室も一人部屋だった。
僕の病室よりも広い。ベッドのほかにソファとテーブルもあった。
ベッドにはおじいさんが一人座っていて、ゆっくりとしたら動作でカーディガンを羽織ろうとしているが、うまく腕が入らないようだった。
手伝ってあげようと思って、中に入るために大きく扉を開けた。
おじいさんはこちらに気づかない。
香りは強くなる。
視線が床に吸い寄せられた。
ベッドの脇に血溜まりができている。
白いシーツにも赤い斑点。
おじいさんの腕からだ。
僕の足が床を蹴った。
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